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2006年10月 4日 (水)

ああうれし

ああうれし 讃美歌にあり 今はなし
 残念至極 なぜか分からぬ

「讃美歌21」が、今、使われている讃美歌ですが、その前の「讃美歌」の529番は「ああうれし」という歌でした。救いの喜びを歌ったもので、私の愛唱歌の一つでした。救世軍の軍歌にも載せられていたのですが、そちらでは「あなうれし」という歌詞で、少し違っていました。今、この歌を歌う人はいないのかも知れませんが、救いの体験を重んじるウェスレーやメソジストの流れの中では、忘れられるというのは、少し淋しい気持ちがします。

一番の歌詞は次のようです。
「ああうれし わが身も 主のものとなりけり うき世だにさながら あまつ世のここちす うたわでやあるべき すくわれし身のさち たたえでやあるべきみすくいのかしこさ」

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コメント

「今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない」(使徒行伝2・15)。

聖霊降臨の時、弟子たちは他国の言葉で語りだしたというのです。それを見た人たちは、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」(使徒行伝2・13)と言ったというのです。

それに対して、ペテロは言います。「今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない」(使徒行伝2・15)。

救いの喜びにひたっている人は、他人から見れば、酒に酔っているように見えるかも知れません。しかし、そうではありません。

酒に酔うのは気持ちのよいものです。そのため、その気分を得て、運転する人が絶えず、事故が多発しているのが現代です。しかし、飲酒を止めることはできそうにもありません。

あの聖霊降臨の日、弟子たちは、正常の意識の下で、「酒に酔っている」ように見える満たされた気分を味わうことができたのではないでしょうか。その気分は、今でも味わうことが出来るのだと思います。

その気分を示しているのが、讃美歌「ああうれし」と思います。

投稿: | 2006年10月 4日 (水) 17時43分

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