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2006年10月29日 (日)

『天皇のロザリオ』(感想)

『天皇のロザリオ 上・下』(鬼塚英昭著、成甲書房)については、以前、問題点を紹介したことがあった。少し、整理して、再度、紹介する。

■全体
「1949年6月8日、昭和天皇が大分県別府市のカトリック系小百合愛児園に行幸した時、カトリック教会とマッカーサー、吉田茂によって、天皇をカトリックに回心させる国際大謀略が組織された」として、この謀略の前後を膨大に資料を使って究明しようとしている。

■感想
①日本がカトリックの国になったら、困るのはマッカーサーその人ではないだろうか。彼はプロテスタントなのだから。だから、マッカーサーがカトリック教会と一緒になって、天皇をカトリックにさせようとしたことは、そのことを思えばないはずではないだろうか。

②吉田茂はカトリックだという。臨終間際に洗礼を受けたことは事実であるが、本書では、それ以前から、カトリックと言っている。こういう言い方は問題ではないだろうか。普通、洗礼を受けるとか、一定の集会に加入するとか、そんな過程を通して、信徒と認められるも のである。しかし、著者にとっては、理解を示すだけで、キリスト教信徒と認められるという、甘い信徒の定義があるように思う。現在、日本のキリスト教信徒数は全体の1%、約100数十万ということになっているが、著者の信徒定義によれば、その数倍はいるだろうと思う。いや、もっといる かも知れない。

③著者の基本的スタンスはキリスト教批判なのだが、私には、逆にも思える。励ましているようにも思える。今、キリスト教界には元気がないだろうと思う。日本キリスト教国化なんて、今、誰が考えている のだろうか、と思う。しかし、宣教に行き詰っている弱いキリスト教を批判する人が、そんな大それた思いが教会にあると過大評価している。これは、自分では批判しているつもりなのだが、神が教会を元気づけようとしているようにも思える。不思議なことである。まあ、こんな本を読むと、日本も捨てたものではないと、教会も元気が 出てくるかも知れない。著者の意図に反して、教会を元気づける本を書いてしまって、他の宗教の人たちの顰蹙を買わなければと、思う。

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