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2006年11月30日 (木)

還暦後

還暦を 過ぎれば余命 その使命
 遺言を書いて 執着捨てて

世を去るは 誰もの定め その日見て
 日々バイバイと 後腐れなく

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地球家族

核家族 そう言われるが 心中に
 地球家族が 来てこんにちは

血の家族 霊の家族が 重なりて
 血を超えるもの 日々見つめつつ

血の固執 八紘一宇 かつてあり
 地球家族に 似て非なるもの

ああうれし 愛に満ちたる 世界あり
 憂世にありて 天つ世のごと

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2006年11月29日 (水)

サイバー大学

教育の 機会拡大 ITも
 利用しようよ 個性実現

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足元を見よ

嘆かわし 名所多くも 目を向けず
 東京にいて 東京知らず

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フェノロサ

夢殿の 救世観音に 魅せられて
 その人ついに 仏教の徒に

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2006年11月27日 (月)

あの時

特攻に 参加学徒の 遺書を聞く
 我が生ありし 頃と思えず

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2006年11月24日 (金)

都会のオアシス

ドトールに 来て一休み オアシスに
 たどりついたか 都会人には

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時流と点

時流れ 点の重みも 巻き込んで
 その重みをば 歌に留めん

歌の真髄というものは、カイロスあるいはカイロスに準じた瞬間の描写なのだと思います。その意味では短歌は優れた手段と思います。
ただ、歌を詠む対象がカイロスなどではない場合には、短歌の良さを十分に発揮できないのではないかと思います。

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2006年11月23日 (木)

作曲家

あの曲も この曲もだよ アンカーの
 驚き続く 米山正夫

11月23日朝の「にっぽんの歌こころの歌」での宮川アンカーの言葉から。この作曲家は長く覚えられると、私も思う。

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2006年11月22日 (水)

民族の使命

月に行け 星にも行けよ 野心たち
 太陽目指せ 真の狙いぞ

太陽に 行けば暑さで 生きられぬ
 この矛盾解け 太陽の子ら

日本人 太陽の子ら その使命
 絶対矛盾 自己同一に

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役割

非力なる 歌の役割 あるとせば
 時事的批判 その一つなり

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宗教哲学

宗教の 哲学乗せて 短歌行く
 読む人救い 大海原へ

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素人

歌人とは 専門家なり われ違う
 言葉選びて 韻に酔うだけ

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自由

神さまも 手の届かない 自由あり
 不確定性 原理の中に

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2006年11月21日 (火)

深夜便

深夜こそ 真実の時 昼の無は
 やがて色生む 昼の姿を

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企業合併

合併が 続く現代 恐れあり
 バベルの塔を 造るのだろか

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人生達人

目標は 定め忘れず 日々思い
 その習慣が やがて結実

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自由

したいこと できる自由は したくない
 しない自由も 含むんだよね

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儲け話

儲かるよ 投資話 よく来るが
 心と時間 高い買い物

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我は誰 人らの間 泳ぎ来て
 いろんな名前 呼ばれているよ

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損得

悲しくも 色即是空 本人は
 されど得する 人もいるのだ

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私学経営

寄付願い 卒業生は 金づるで
 私学経営 アップアップか

現代は ハードの時代 いや違う
 ソフト優先 それでなくては

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作歌

技巧なら 習えばいいが 本質は
 意識の密度 その発散に

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天上ごと

Rimg00111 東天や にわか異様な 雲おこり
 天上ごとの 始まるきざし

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念仏の果(仮説)

口誦の 念仏の果は 往生か
 その中間に も一つあると

親鸞は それを知ってた だからこそ
 答えあいまい 即果と言わず

中間に あるのは何か それは信
 信が果を出す 口誦でない

口誦が 信と一つは 誤解なり
 誤解広がり 歎異抄あり

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2006年11月20日 (月)

淀君哀歌

秀頼の 筋目正論 分かるけど
 現実が先 力関係

淀君は 大坂城の 魔力にて
 力感覚 いつか失せたり

豊臣を 憎しと思い その子受け
 後の世知らず 伯父の死に似て

秀吉の 寵愛受けし 母と子に
 つっぱりなくば 命を得んに

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目当て

目当てなき 人生はもう 敗北で
 目当て探しを 自分探しと

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自由

宗教を 抜いた自由の 怖さ知る
 憲法あれど 心なくして

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民主主義

民主主義 世論の世とは なりにけり
 世論のゆくえ 目標価値で

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夫婦

夫婦はね 二人で一人 一人こけ
 も一人合わせ コケコケ鳴いて

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体制

社会主義 権力世襲 あるのかな
 マルクス以前 それはあったが

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短歌革新

自然詠む ならば社会も 詠めばよい
 叫び聞こえる それも歌だよ

関心は 自然のみでは ないんだよ
 社会もあれば 我もあるんだ

短歌でね 社会批評も できるんだ
 何でもできる 証明しよう

発表が なければどれも 無に等し
 告白により 救わるという

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2006年11月19日 (日)

同じ家

宗教は 多くあれども 同じ家
 同じ主(あるじ)を 見てはいないか

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善と悪

善は善 悪はなお悪 このギャップ
 社会の姿 見てめまいする

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2006年11月18日 (土)

憂い

生き方を 知らぬ子多く 憂いあり
 我も知らぬが 知らんと欲す

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生還

生と死の はざまを生きた ビアク兵
 短歌をもちて 歴史にとどむ

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環境

環境の 破壊は続く あと知らず
 見方変えれば 神の庭なり

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生は苦と 言われてきたが 謎だった
 煩悩苦なり これで納得

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ブログデビュー論

ブログにて 誰でもデビュー 現代は
 鐘一つでも 参加は止まず

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2006年11月17日 (金)

hitomiさんは哲学者

歌手のhitomiさんには、最近、お目にかからないのですが、お元気でしょうか。少し早いですが、もう来月はクリスマスですね。

hitomiさんのクリスマス・ソングと言えば、やはり、「MARIA」でしょうか。なぜ、「MARIA」がクリスマス・ソングなのか説明します。

「MARIA」に、「誰の仕業でもない さまよっている感情を 君にてらして」という個所がありますね。これが、きっと、クリスマスにぴったりの個所なんでしょう。特に「てらして」という個所がポイント。

天使が、マリアに、あんたから救い主が生まれるよ、と告げると、マリアは「そのようになりますように」と、言ったそうです。それは、一種の祈りですけど、その祈りが、一番大切なんだと、よく言われますね。

「君にてらして」という個所は、「マリアの、あの受胎告知の時の祈りに合わせて」と、こちらの意志の持ち方というか、方向性というか、そんなものを示唆していると読むならば、これは、クリスマスの一番大切なところを表現していることになりますね。

そうすると、結果は、どうなるのだろうか。イエスの誕生というのは、人類史では、奇跡みたいなものだった、と思うんですが、hitomiさんは、既に、そのことを別の曲で歌っています。「奇跡は きっと君にかかっている」と。これは「in the future」で繰り返されているフレーズですね。

奇跡は、「君にてらして」における、君の意志にかかっている。これは2000年前の、MARIAにおける出来事ですが、まあ、今でも通用するかもしれない、奇跡を呼び起こすやり方です。

外見は、hitomiさんは哲学者っぽくないのですが、僕はhitomiさんは哲学者と思っています。ハ・ハ・ハ。

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将軍

将軍の 名を聞く 今の不思議かな
 中世日本 いや北のこと

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一日

白々と 夜が明けて来て 日が昇り
 煩悩踊り また夢を見る

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特攻隊

特攻の 子らを思いて 涙する
 復讐でない 涙にせねば

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命はね 親がきっかけ 半分は
 戦場の子は 親に別れを

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文語

文語には 格調があり 時にそを
 そっと混ぜるも 時によしかと

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一生

一生が 夢のようにも 思う時
 秀吉辞世 納得せらる

夢覚めて ここはどこかと 思う時
 深き眠りは まだのようだと

眠りには 休みの意味も あるんだね
 同行二人 これで行きたし

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2006年11月16日 (木)

ブログ論

ブログとは 所詮個人の 土俵かな
 議論の場とは なり難しかな

以前、電子会議室というのがありました。活発な議論展開がありました。私も発言したのですが、少し、緊張感が強すぎて、間もなく、黙ってしまいました。

ブログには、コメント欄があって、第三者も発言できるのですが、やはり、管理人の頁という性格が強いと思われます。

ブログとは、言ってみれば、公開日記です。ですから、ブログ論というものは、公開日記論なのです。これから、公開日記というものが、現代社会で、どういう意味を持つのか、論じられるかも知れません。

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2006年11月15日 (水)

死者

死ぬことは 一種の物化 固定化で
 分別知での 探求許す

死者を見よ 生者のための 犠牲ぞや
 踏み台にして 眺望得よと

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近代との対話

近代と 対話せずには 開けない
 時のゆくえを 見んと欲して

中世を 見本にするは 精神で
 そのまま移植 誰も思わず

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リスク

経済が 好転したら 新リスク
 心の驕り 余りにひどい

日銀の 総裁それを 察知して
 金利対応 リスク回避へ

狂奔か 雄たけびなのか 我は聞く
 物に目くらみ 心崩壊

出会い系 迷惑メール はびこって
 こんな国では 未来あるかな 

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2006年11月14日 (火)

無の墓

Rimg0062 小津さんの 墓に似た墓 見つけたよ
 無の一字なり 雑司ヶ谷にて

小津安二郎監督と同じ、無一字の墓が雑司ヶ谷霊園にあるので、びっくりしました。もちろん、別人の墓(写真)なのですが。

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自殺考

わが命 わが持ち物か 至宝なる
 自殺続きて ふと思う時

償いや 諌めの意味も ありそうだ
 命投げ出す 日本文化に

物ならば 取り替えられる 命でも
 そんな問いかけ 答えはどこに

絶壁に 立ちて問いたる 人数多
 実存知らぬ 人らあたふた

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らち

らちされて 祖国あきらめ 無念でも
 新たな国に 生きる決意を

北朝鮮にらちされた人たちに、こんな思いはなかったろうか、と思います。今、生きていたら、どんな思いだったか、聞いてみたいと思います。

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2006年11月13日 (月)

日米保守党

共和党 自民党共 日米の
 保守党にして 歴史に生きる

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2006年11月11日 (土)

不幸

子の時に 不幸味わい 長じては
 大をなす人 たくさんいるよ

梅原猛さんの本を読むのですが、母親が出産後、まもなく亡くなられているようです。小さいころに不幸を味わった人で、のちに大きなことをされる人が目に付くのです。

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先祖の話

もしも子を いとしと思う 親ならば
 聞かせてあげよ 先祖の話

親は子に、自分の家系の先祖の話をしてあげるべきと思います。

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2006年11月10日 (金)

血縁社会

らち事件 確認したよ 日本また
 血縁社会 地縁以上に

ラジオ深夜便の「ないとエッセー」で、AMDA代表の菅波茂氏が、11月6日から9日まで話されていました。日本は、沖縄は血縁社会だが、他の地域は、そうほどでもない。しかし、世界を見れば血縁社会が多い。そんな内容でした。しかし、らち事件を見ていると、その根底には血縁社会が生きているのだと思いました。

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習作

習作は 数の問題 駄作でも
 調子上がれば 目的達す

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スター

暗き夜に 星輝けり スターまた
 暗き世にあり 夜道行く我

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カイロス

一人去り 二人去りして ただ一人
 淋しき境地 空即是色

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肩書き

未知の人 威力与える 肩書きも
 無きに等しい 親友同士

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偉人の印象

会った時 普通の人も 偉人とて
 持ち上げられて 戸惑う私

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自由業

生活は あなたのものだ どう生きる
 会社のリズム 代わりをどこに

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大作

毎日の リズムの中で 書き続け
 集めてみたら 大作になり

生活の リズムがカギだ 土台だよ
 リズム整え すいすい行くよ

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フリーライター

夢の中 自由に書けよ 上司言う
 周りに笑顔 天国気分

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拉致問題

武士道が あればと思う 北の国
 忠は見えても 拉致どうしてか

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家康の妻

戦国の 主取替え 生き延びる
 夫の心 理解できずに

家康の 妻にあったか 武士ごころ
あれば歴史は 変わったかもね

築山殿を思う

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被害者の行動

被害者は 法の公正 求めつつ
 法の違反を 避けた選択

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目覚め

急がずに ゆっくり起きよ わが魂よ
 列車はすぐに 動かないから

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2006年11月 9日 (木)

古き国

古き国 中印に陽が 輝きて
 何のしるしか 尋ねたき我

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錯覚

世の中に 錯覚多し 渦巻いて
 竜巻のごと 被害の不安

事実をば それのみ語る 被害なし
 解釈入りて 錯覚の渦

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簡易生活

ゴミ多く 豊かなりとの 錯覚に
 生きる人あり 病引き寄せ

嘆かわし ああ嘆かわし 管理者の
 責務忘れて 足元を見ず

健康は ゴミをなくして 簡易なる
 生活にあり 生きた調和に

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社会論

社会とは 一つの機械 なのだけど
 無数の目あり 針の痛みも

物と心(しん) からみつきたる 現実を
 分けて繋いで 理解深まる

機械の目 社会すべてに 及ぶなり
 心隠れて 共感乏し

心をば 広げて見せん 物使い
 物言わぬ人 語りだす時

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ゴミ

役目終え ゴミとなりたる 物たちよ
 別れを告ぐる 何と難きよ

非情でも 狭き限りに 生きるため
 般若を唱え 後生を念ず

ゴミたちよ 祈りの中で 身を変えて
 新たな役目 見い出すべしと

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実存

新生を 求めて過去を 葬れど
 現在のカギ 現在になし

自殺して 今生見切り 来世を
 期待すれども 今生問わる

可能性 ただ一つなり 一つのみ
 三世を見つつ 今を生きると

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逆境

逆境に メッセージあり 落ち着いて
 それ聴くことが 解決の道

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管理責任

我聞けり 悲しみの声 死蔵せる
 持ち物たちの 声が聞こえる

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心の薬

感謝はね 心の薬 言う人も
 錠剤のほか 服用すべし

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2006年11月 8日 (水)

効能

歌作り 生活の質 向上を
 気づかぬうちに 進めつつあり

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夭折の人

夭折の 人は不幸と 思いしが
 歴史に留む 若き日の顔

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日本の遺産

生活で 忙しければ 分からない
 ふと立ち止まり 思いめぐらす

ちょっと見は よく知られたる ものばかり
 なお語りかけ 心に響く

日本の 遺産は多く 相続の
 責任果たし 未来を開く

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短文の国

トマスさん どうやら日本 無理ですな
 大体系の 余裕ない国

島国で となり気になる 習性で
 孤独心も いつか乱れる

だから言う 短文がいい 日本では
 ずばり本質 一言で言え

短文を 嫌ってもいい しかしなお
 そのシステムは 厳然残る

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たかが

被造物 とらわれぬべし 何事も
 たかがたかがと 思う心を

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赤ちゃんの結婚

赤ちゃんが 赤ちゃんに会い 結婚し
 最初祝福 のち困惑す

赤ちゃんは 大きくなれば いいんだよ
 なれなかったよ いついつまでも

赤ちゃんは 努力はしたよ それでもね
 何かなかった 反省力が

周りはね はらはらしたり どきどきね
 赤ちゃんそれを 知らなかったよ

孤独がね 時に近くを 通ったが
 あいさつ程度 薬にならず

赤ちゃんは 問題児だよ 問題を
 定期している この世の中に

赤ちゃん謹んで記す

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2006年11月 7日 (火)

日本の美

西哲に 心ひかれし 若き日も
 過ぎ去りゆけり 日本に立とう

頑なな 日本主義者に 我ならず
 その頑なさ 対話できずに

日本の美 いずこにあるか 尋ぬれば
 超越を生む 対話のあたり

対話にて 超越目指せ 西洋は
 その智恵注ぐ 日本の幹に

「西哲」は「西洋哲学」のこと。

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孤独人

孤独人(こどくびと) ネットの中で 大暴れ
 付き合い悪い いや良すぎるよ

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広告

加熱気味 怖いくらいだ ネット系
 うわさを流す 広告会社

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フリーター

フリーター 自由な人の 意味だろう
 自分の価値を 実現できる

給料は 安いけれども 自由あり
 その自由をば 売ってしまうか

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ネットデビュー

いつの日か ネットデビューの 日が来るか
 マスコミに出る 今は簡単

ニートさんがネットデビューする日が来ているのかも知れません。ニート対策なんて、発想が古いのかも知れません。

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アデンティティ

冒険家 世界旅して 自己区切り
 家にいる人 同じく区切る

冒険家も、家にいる人も、自己限定では同じ。

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2006年11月 6日 (月)

汎在神論

最近、汎在神論という目新しい言葉を目にしている。耳にはしていない。どういう意味なのだろう。

小田垣氏は著書の中で、井上洋治神父の立場なのだと言っている。確かに、私も井上神父の著書で、初めて、この言葉を知った。神父は、著書『南無の心に生きる』の「あとがき」で、「アッバ讃句」を載せているが、その「アッバが、信仰の対象としての有神論の神を超えた、汎在神論の神であることは明らかである。汎在神論というのは、自分自身を含めて、すべてがすでにその中にある神、したがって自分の認識の対象にはならず、その意味では無なる神のことであ。ちなみに西田幾多郎は、自分の宗教的立場は汎在神論であると言っている」(『コミュニケーションと宗教』99-100頁)と、小田垣氏は記している。

要するに、汎在神論の神は有神論の神を超えていて、その意味では少し違っている、認識の対象ではないのだ、と言われている。しかし、有神論の神は認識の対象なのだろうか。我々が見ているのは被造物であり、被造物は創造主ではない、だから神ではない。そういう論理は有神論で無理なのだろうか。そういう考え方は汎在神論でなければならないのだろうか。神は在る、と言っても、被造物が在るように在るのではない、そういうことは、有神論の中では言えていないのだろうか。そんな疑問を持った。

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キリスト教短歌

カテゴリーの「キリスト教短歌」を新しいブログにしました。移行していきます。

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アクセス数

見られてる 意識がありて やりがいも
 自然出てくる アクセスの数

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瞑想

終日を 部屋にこもりて 瞑想す
 みことば聞きて 投稿の日々

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都会暮らし

隣室の 笑顔の老婆 逝くを知る
 喪服姿の 人ら行き来し

マンションの 暮らし冷ややか 都会では
 あいさつ以上 付き合いはなし

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時空飛翔

目をつむり 時空を駆けて ゆく楽し
 発見あれば なおなお楽し

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大道

大道を 大声あげて 叫ぶ人
 いま大道は ネットとなった

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世情

世の中の きしみの音が 聞こえるね
 痛みともない 時に悲鳴

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手塚治虫さん

還暦で 生涯閉じた 手塚さん
 若死にだなあ 同時代人

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信仰の報酬

報酬は 神を喜ぶ 永遠に
 されど魔術に 傾く心

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貧富を超えて

Rimg0048 貧しきは 幸いなりと 言う人に
 豪奢な家に 集いて学ぶ

明治18年ころから始まる欧化主義時代に、「当時岩崎の一族岩崎弥之助宅でキリスト教の研究会が定期的に開かれ、帝大教授和田垣謙三、子爵岡部長職、大審院判事三好退蔵、大山及び桂公爵夫人等が信徒として教会に席を連ねました」(『近代日本とキリスト教 明治篇』基督教学徒兄弟団発行、133頁)と言われています。岩崎本邸でも、キリスト教研究会が行われていたのかも知れません。大山公爵夫人は捨松のことでしょう。
(写真は旧岩崎本邸)

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2006年11月 5日 (日)

対話

ネットでは、タテヨコナナメ 見られてる
 対話深まり 淘汰もあろう

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教派

ITに 教派はあるか ないんだよ
 近代超える 条件ここに

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興奮

興奮は ブログ作りの 過程にて
 本にするのは 継続のため

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おまえ見ず おまえを見てる 目があるよ
 その目に語れ 良心に生き

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スピノザ

慎ましき 生活なれど 大いなる
 思想抱きて スピノザは生く

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新中世

中世に 過去の香りは 匂えども
 ポストモダンは 内容伏せて

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好機

潮が満つ その勢いを 身に受けて
 一気に走れ ゴール目指して

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あはれ

頼りなき 我を頼りて 来る人は
 あはれなりれり 信に応えん

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2006年11月 4日 (土)

驚嘆

ブログとは ついこの前の スタートで
 既に満開 時代は動く

ブログ世界は満開のような感じがしています。

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キリスト者の慰め

「キリスト者の慰め」というブログがあります。著者は「無宗教主義」という立場のキリスト者とのこと。面白いです。

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家康の悲劇

今川の 中での妻子 信長に
 屈する中で 悲劇は起きた

家康の最初の妻と長男の悲劇は、家康が信長に屈するという変化がもたらしたものではなかったか、そんな気がしています。戦国の世てあり、家康は柔軟に対応せざるを得なかったのでしょうが、妻には、その柔軟さがなかった、できなかったのではないでしょうか。

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ゴールドラッシュ

浮き浮きの ゴールドラッシュ 現代は
 プログ登場 成金続く

東京新聞2006年11月4日付けの第9面「ネットの申し子たち」(2)に、ドリコムの内藤裕紀社長登場。

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ポストモダン

思想史の 複雑系を 解明し
 ポストモダンへ 道造る人

『コミュニケーションと宗教』の感想。

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近代人批判

内村に 近代人の 批判あり
 その目確かと 思わるるなり

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トリエント

トリエント 近世を生く 覚悟して
 中世手本 聖書と共に

トリエントはトリエント公会議のこと、中世手本はトマスの『神学大全』のこと。

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実存主義後

実存は アンチ近代 そのあとに
 ポストモダンが あるというのだ

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2006年11月 3日 (金)

魂の風

経験と 合理の二論 認識を
 狭めてないか 魂の風

人間には対象的認識以外の認識もあります。それは神の認識であり、今のところ、感じるといったものかも知れません。しかし、これが一番大切な認識なので、その方面にも関心を向けねばなりません。

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生活技術

情報の 洪水浴びる 毎日を
 短歌でさばく わざがなければ

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競争社会

競争の 社会を生きる 秘訣問う
 競争でなく 根本に生く

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荒廃

未履修は 1校のみに とどまらず
 驚き呆れ 学び舎異変

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深夜便

深夜便 愛する我に 満足で
 死に至るので お付き合い乞う

アンカーの 口ぐせ聞きて 快感を
 覚える我の 謎深まりて

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マニュアル

人動く 歯車として マニュアルに
 書かれし通り 違反許さず

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出版

出版は 時代遅れに なったかな
 知的産業 あこがれたけど

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2006年11月 2日 (木)

建築

建築は 精神伝え また固定
 異なる価値を 見極めながら

永遠なる精神と時代的制約下にある精神の二つの要素が建築に見られると思います。

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2006年11月 1日 (水)

ケーベル会

ケーベル関連投稿は移転しました。

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達観

日が暮れて 明日も命が あるだろか
 生きるのもよし 死ぬるのもよし

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現状批判

再臨主 そこまでどうか 批判過ぎ
 聖霊論で 新境地行け

再臨主とは再臨のキリストという意味ではありません。統一教会の立場、信仰という意味です。統一教会で、既成キリスト教会の批判がされている時、よく使われていた言葉です。ユダヤ教とキリスト教との関係がキリスト教と統一教会との関係のように思えて、それでキリスト教と言えるか、と思ったことでした。

教会改革はいつでも必要ですが、聖霊の働きに着目したものがあってもいいのではないでしょうか。カリスマ運動もありますが、別の角度から理論的な活動もあっていいと思いました。

実は、聖霊論的神学の提唱は以前からされていました。『コミュニケーションと宗教』(小田垣雅也著)24頁によれば、
『宗教哲学の新しい可能性』武藤一雄、国際日本研究所、1974年)
『大地の神学-聖霊論』小野寺功、行路社、1992年)
『現代思想の中の神-現代における聖霊論』(小田垣雅也、新地書房、1988年)
などがあるようです。

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宗教の間

同僚に 異を唱えしが 異教徒に
 心ひかれる バルトかな

異教徒とは親鸞のことです。『教会教義学』第1巻第2冊372頁以下の詳細な注の中で、バルトは浄土真宗に対する同意と根本的な批判を述べています。この注は滝沢克己氏により、訳出されています。滝沢克己著『続・仏教とキリスト教』法蔵館、1979年、11-29頁にあります。

『コミュニケーションと宗教』(小田垣雅也著、創文社)の20-21頁に、以上の解説があります。バルトは、親鸞の悪人正機説は信仰義認そのものであり、12世紀の日本にこのような宗教があったのは、「神慮のはからい」だと、言っているようです。また、「フランシスコ・ザヴィエルが、浄土真宗の中に、一点紛れのない『ルター派の異端』を再認したと思ったとしても、無理からぬことである」とも、言っているようです。

面白いですね。ザヴィエルの中に、そんな感想があるのでしょうか。そして、もし、そうだとしたら、現在、信仰義認はカトリックも公に認めているのですから、当時のザヴィエルの信仰はおかしかったということになりはしないでしょうか。

さて、バルトの浄土真宗に対する批判はどんなでしょうか。こんな引用がされています。
「まさにこの本願への信仰そのものもまた、神のたまものだということ」
「イエス・キリストというみ名のみが、浄土教の存在が神慮のはからいであると呼ばれるべきであることが、浄土教では充分に理解されていないこと」
そして、イエス・キリストというみ名のみが、「われわれを異教徒たちから区別する」と、バルトは言っているようです。

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問い

ザビエルの時代、日本人は初めてキリスト教に接した。その時に、日本人はすでに教義の根本に関わる深刻な問いを発していた。護教書を書いたあと、棄教したハビアンにおいて、棄教の理由というものは、実はアウグスチヌスの悩みと同じ類のものであった。神の全能とは何か、どうして神の全能の中に、人の不幸があるのか。それはハビアンだけの問いではないのであった。恐らく、いつの時代でも、またどこにおいてもある問題であろう。

放送大学で、日本政治思想史が「真実が汝らを自由に為すべし」 をテーマして、宮村治雄氏(成蹊大学教授)により講じられている。「真実が汝らを自由に為すべし」の言葉は国会図書館のカウンターの上にも見ることができる。

10月31日の講義では、ハビアンの棄教の理由となった神の全能性に対する不信が紹介されていた。キリシタン史の本質的な問題提起なのである。講義は、ハビアンの入信の吟味にも触れていたが、実に重大な問題が語られているのである。

日本におけるキリスト教の宣教は古いのであり、昔を想起すれば、現在の問題もたくさん、ころがっているのである。想起は大切である。

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競争の陰

競争は 発展のバネ 必要だ
 光と陰の 分離もたらし

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