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2006年11月 1日 (水)

宗教の間

同僚に 異を唱えしが 異教徒に
 心ひかれる バルトかな

異教徒とは親鸞のことです。『教会教義学』第1巻第2冊372頁以下の詳細な注の中で、バルトは浄土真宗に対する同意と根本的な批判を述べています。この注は滝沢克己氏により、訳出されています。滝沢克己著『続・仏教とキリスト教』法蔵館、1979年、11-29頁にあります。

『コミュニケーションと宗教』(小田垣雅也著、創文社)の20-21頁に、以上の解説があります。バルトは、親鸞の悪人正機説は信仰義認そのものであり、12世紀の日本にこのような宗教があったのは、「神慮のはからい」だと、言っているようです。また、「フランシスコ・ザヴィエルが、浄土真宗の中に、一点紛れのない『ルター派の異端』を再認したと思ったとしても、無理からぬことである」とも、言っているようです。

面白いですね。ザヴィエルの中に、そんな感想があるのでしょうか。そして、もし、そうだとしたら、現在、信仰義認はカトリックも公に認めているのですから、当時のザヴィエルの信仰はおかしかったということになりはしないでしょうか。

さて、バルトの浄土真宗に対する批判はどんなでしょうか。こんな引用がされています。
「まさにこの本願への信仰そのものもまた、神のたまものだということ」
「イエス・キリストというみ名のみが、浄土教の存在が神慮のはからいであると呼ばれるべきであることが、浄土教では充分に理解されていないこと」
そして、イエス・キリストというみ名のみが、「われわれを異教徒たちから区別する」と、バルトは言っているようです。

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