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2006年12月20日 (水)

岩倉具視とキリスト教

 岩倉具視は、最初はキリスト教ぎらいでしたが、明治6年のキリスト教解禁は彼の指示によるところが強く、子孫にはキリスト者が多いのです。

 明治学院院長であった故武藤富男氏が判事であった時、一人の若い女性にめぐり合ったことがあります。

 武藤氏が一高から東大を卒業して、裁判官となり、東京地裁刑部第一部の判事として共産党関係の事件の公判を担当していた時でした。昭和8年秋、審理の参考にするために、市ケ谷刑務所を訪れ、「山村良子」という名前の女性を紹介されたのですが、実は岩倉具栄(ともひで)侯爵(岩倉具視の曾孫)の妹、岩倉靖子でした。

 武藤氏は、靖子の兄、具栄とは一高時代からの同級生でした。
    
 靖子は共産党シンパとして活動、治安維持法違反の容疑で検挙され、約8か月の聞、獄中にいました。昭和8年11月11日に保釈されましたが、その年12月21日早朝、靖子は、東京渋谷区鉢山町の岩倉侯爵家の一室で、横たわったまま、かみそりで右頚動脈を切り、自殺したのです。満20年の生涯でした。

 岩倉具視の5女の寛子は森有礼の2度目の妻となり(寛子の最初の夫は有馬頼万<よりつむ>で、子に、のちの農林大臣・有馬頼寧がいます)、その子には明(中渋谷教会牧師)、孫には有正、綾子がいます。

 寛子の子孫だけでなく、具定(子)、具張(孫)といった子孫からもキリスト者が多く、具張の妻は、西郷従道の長女、桜子で、その長男が具栄、三女が靖子でした。

 この岩倉家に大事件が起きます。靖子の生まれた翌年でした。当主、具張が35歳の若さで隠居してしまったのです。具張が高利貸しから巨額の借金をしていたためでした。桜子に離婚を勧める声も多かったのですが、その時、寛子と明の母子が桜子に精神的に、大きな影響を与えたらしいのです。

 明は1904年に植村正久牧師(市ケ谷教会)から洗礼を受けました。大正3年創立の中渋谷教会は最初は、中渋谷日本基督教会講話所といい、富士見町教会の肢教会でした。なぜ、渋谷の地が選ばれたかというと、「桜子をキリスト教に入信させるために、その住まいのそばに講話所を設けた」というのです。その願いがかなって、桜子は大正4年10月に、植村正久から洗礼を受け、続いて、長男の具栄、次男の具実も十代で、植村正久牧師から洗礼を受けたのです。

桜子は息子3人、娘4人を産みましたが、その時から、キリスト教の家庭になったというのです。靖子も16、7歳までは、その日曜学校に通いましたが、やがて信仰から離れ、死の直前、獄中で再びキリスト教にめぐり合うことになりました。

桜子の依頼で、救世軍の山室軍平、また本間誠牧師が靖子に面会し、靖子は母にキリスト教信仰を告白したそうです。

 『侯爵家の娘-岩倉靖子とある時代』(浅見雅男著、リブロポート)に詳しい事情が書かれています。その他、新潮文庫『明治・大正・昭和 華族事件録』(千田稔著)にも、当時の新聞記事の紹介などがあります。

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