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2006年12月20日 (水)

幸田露伴とキリスト教

 明治17年(1884年)、露伴の父は、下谷教会の植村正久牧師から受洗した。「それで、幸田家は露伴以外は全員クリスチャンになった」(『日本キリスト教歴史大事典』)という。

 と言うことは、露伴の妹で、延子、幸子の姉妹もクリスチャンになったということであろう。延子はのち、東京音楽学校の教師になり、また、ケーベルの弟子でもあった。延子、幸子の姉妹も洗礼を受けていたというのは、新しい発見であったが、幸子はのち、カトリックになっている。2度、洗礼を受けたことではないと思うけれど、どういう関係か、いまは分からない。

 延子はケーベルの弟子であったから、キリスト教の影響はあったと思っていたが、実はケーベルに出会う以前にクリスチャンであったのだ。

 一方、露伴も、20代の初め、父の勧めで、聖書を読み、教会に通ったが、植村正久牧師と大論争して、洗礼は受けなかった。しかし、初期の作品は、キリスト教ヒューマニズムの影響が見られるという。

 時がたち、露伴夫人は明治43年4月、病没した。露伴は、その後、明治45年10月、児玉八千子と再婚しているが、式を植村正久の教会で挙げた。なぜ、植村正久の教会でかということも、合点がいく。植村正久に導かれて、「幸田家は露伴以外は全員クリスチャンになった」からである。

 さて、その結婚に関しての、内村鑑三の感想が『恩師言』(斎藤宗次郎著)に出てくる。

 「植村君の教会で式を挙げた幸田露伴の新妻の如きは真に驚くべきものなり。時来らば一と騒動を起すなるべし、木村熊二君や其他彼女を知る者は皆斯く思えり」(『恩師言』)

 露伴の新妻は、どんな人であったのだろうと、興味は湧くのだが、分からない。

 勝海舟と巌本善治から『海舟語録』が生まれ、内村鑑三と斎藤宗次郎から『恩師言』が生まれたのである。

 さて、露伴には、1873年3月9日に弟・成友(しげとも、1954年5月15日没)が生まれているが、成友も、『日本キリスト教歴史大事典』の記述によれば、洗礼を受けていたのである。彼は、日本経済史家、日欧交渉史家ということで、東京商科大学、慶応義塾大学の各教授を歴任した。1941年(昭和16年)には『聖フランシスコ・ザビエー小伝』の出版もあり、キリシタン研究にも貢献している。1972年に中央公論社から『幸田成友著作集』8巻が出ている。

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