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2006年12月22日 (金)

夢の中での“回心”

 フランスに長くいて、哲学的作品を発表してきた故森有正氏について、気になっていることがあります。

  森は、暁星中学校を卒業して、東京高等学校に入学、更に東京大学文学部仏文科に進みました。卒業後は第一高等学校教授になり、母校仏文科の助教授になりましたが、1950年秋、戦後初のフランス政府留学生になってパリに行き、ついに母校東大には戻りませんでした。

 森有正が東京大学文学部仏文科助教授の時に、故中村真一郎氏は講師であり、個人的な交わりがあったとのことです。

 森について、中村は、こう言っています。

 「微醺を帯びると、天窓から屋根へ這い出て、瓦に腰を下して丘のしたの景色を見下しながら、隣りに坐った妻に向って御機嫌に話しかけて、私をひやひやさせた。が、森さんの心に潜むデモンは、もうその頃、次第に生長をはじめていた。森さんは絶えず奇行を演じて、私たちを茫然とさせたが、そのデモンはパスカルやドストエフスキーによって栄養を与えられて、いよいよ肥え太ってきた」(『森有正全集』付録「森有正をめぐるノート」1、4頁)

 森は、小学校3年生の時を振り返って、自分の性格分析もしていますが、外部には「秘密といえば、大袈裟になるが、わからないところがたくさんある」(伊藤勝彦氏、『森有正全集』付録「森有正をめぐるノート」7、5頁)とも思われています。

 その複雑な性格形成の解明の一つのヒントは、あるいは森が少年期に、カトリックとプロテスタントの双方に深く係わってしまったということではないだろうか、と思うのですが。

 森の妹の故関屋綾子氏は、1913年(大正2)の秋ころ、兄が富士見町教会で佐波亘牧師から洗礼を受けたようだと言っています。それは2歳の時の幼児洗礼でした。この富士見町教会は、植村正久と森一家とのつながりで、森有正にとっても深い関係を持つ教会です。(岩倉具視の子孫とキリスト教の関係は興味ある課題ですが、森有正は、その中にいます)

 しかし、その後、どんな理由でかは分からないのですが、森は、カトリックの暁星小学校に入学してしまうのです。そして中学を卒業するまで11年間、フランス人の神父や教師たちと寄宿舎生活を送るのです。当時の中学校長は、東大仏文科開設者の一人で、岩下壮一にカトリックの洗礼を授け、またラファエル・フォン・ケーベルをもカトリック改宗に導いたエミール・エックでした。

 森は、ここで、カトリックヘの回心を強く勧められたこともあって、プロテスタントとカトリックとの間にあって苦悩したようです。この苦悩が表現されれば大いに参考になるのですが、「何回も精神上の危機を経験したにも拘らず、結局、僕は回心しなかった」(『森有正全集』13、239頁)というのです。ここでの「回心」とは、恐らく、カトリックになることを意味しているのだと思います。

 森は、東大を捨てて、カトリックの国・フランスに26年も住むことになるのですが、カトリック教会への転入をしませんでした。しかし、54歳の時の日記に「夢の中で僕はカトリックに回心していた」(『森有正全集』13、239頁)と言っています。これは何を意味しているのでしょうか。

 晩年、プロテスタント教会とカトリック教会の関係などのテーマを抱いていたようですが、どんなことを考えていたのか分かれば、大いに参考になると思いますが。

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