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2007年1月23日 (火)

使徒継承教会

使徒継承教会という概念があるのかどうか、一般的なものかどうか、私はよく知らない。ただ、Nさんとのエキュメニズムに関する対話の中で、この言葉が出てきた。Nさんも、もともとはプロテスタントであった。

この使徒継承教会という概念の中では、ローマ教会は、その一つであり、すべてではない。正教会があり、聖公会があり、そして東方カトリック教会がある。カトリック教会というと、ローマ教会と同一と思ってしまうのだが、使徒継承教会という概念の中では、そうではないのである。そして、本来的には、カトリック教会というのは、この使徒継承教会の意味なのだと、私は思っている。

Nさんは、プロテスタントからの「改宗」希望者に対しては、ローマ教会では、歴史的な対立関係もあったからとの理由で、東方カトリック教会を勧めた。その信徒として、ローマ教会のミサにあずかればよいという。メルカイト教会というのがあるらしかった。しかし、私は、メルカイト教会の信徒です、と言った時、誰が、それを理解するだろうか。メルカイト教会という名前を知らない人だって多いのではないだろうか。カトリックなんですけれど、ローマ教会ではありません。そういう言い方に、どれだけの意味があるのだろうか。

Nさんは正教会に関心があるらしく、Nさんと共に、四谷にあったロシア正教会の教会、また御茶ノ水のニコライ堂を訪ねたこともあった。ミサに参加したのである。聖体拝領はしなかった。正教会では、ローマ教会に対して、自分たちこそ、正統という意識があるように、Nさんとの対話の中で感じた。

ところで、プロテスタント教会の中では、この使徒継承教会という考えは、なかなか理解されないのではないだろうか。逢坂元吉郎が、それに近づいたけれど、受け入れてしまえば、プロテスタント信仰を捨てることになるのではないかと、私は思った。ルターはローマ教会の司祭であったが、カルバンはどうか。信徒ではなかったろうか。司教の継承はプロテスタント教会にはないのではないだろうか。聖公会は、プロテスタントといわれているが、使徒継承を主張している特別の教会である。

プロテスタント教会のプロテスタントという言葉は、対カトリック教会(対ローマ教会)という意味である。対抗意識の表明である。であれば、プロテスタント教会は、ローマ教会に、言葉の上では、関係づけらけれているのではないだろうか。「カトリック教会がなければプロテスタント教会もないんだよ」と、Nさんは言っていた。確かに、そうかも知れない。

しかし、プロテスタントの意識の中では、どうだろうか。ローマ教会の中で福音の捕囚が行われた。福音の解放が、本来の意図である。教会史に関しては、西方教会を自分たちの歴史と考えている。そんなことではないだろうか。

信仰義認の教義が、福音の真髄という理解であり、そのためのプロテストであった。しかし、この教義に関して、合意が出来てしまえば、プロテストの意味がなくなるのではないだろうか。プロテスタント教会のアイデンティティは、どこにあるのだろうか。それが今、問われているのではないだろうか。

「カトリック教会かい、あれは行為義認の教会さ。いや半ペラギウス(神人協力)の教会かも知れない。少なくとも信仰義認の教会ではない。なぜなら、信仰義認の教会なら、どうしてルターが信仰義認の旗印で批判したのか。意味ないじゃないか」

こういう理解の中で、プロテスタント意識が生まれてきて、維持されてきたとすれば、それは、もう通用しなくなったのである。信仰義認で合意が出来たからである。

プロテスタント教会の「プロテスタント」とは、ローマ教会に対する「プロテスト」を意味しているのだが、今、その「プロテスタント」の意味内容が、問われているのではないだろうか。歴史的遺物になってしまったのではないのだろうか。こういう問題意識は、ないのだろうか。

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