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2007年1月 5日 (金)

「恩師 永遠の面影」

 吉満先生は岩下壮一神父の追悼の際、「恩師 永遠の面影」という文章を寄せましたが、この「永遠の面影」という言葉の中に、私は吉満先生の中に生きていた詩人の心といったものを感じるのです。みなさんは、どう思いますか。実際、吉満先生は「詩人哲学者」とも言われてきました。吉満先生と我々との接点というものは、今では講談社から出ている吉満義彦全集(全5巻)が主なものと思います。ということは、文章が、我々と吉満先生との媒介となっているということです。ですから、その面から見ていきましょう。

 吉満先生はしばしば難解な文章をもって知られ、そのために敬遠されることかありました。その文章の特徴というものは、「何何的」の「的」の言葉が異常に長く繰り返されることであることは、よく知られています。しかし、このような読みづらさはあっても、彼の精神における詩人的要素は、文章全体に溢れ、そのために私は、吉満先生の文章を読んでいて、ある心地よさを感じるのです。吉満先生は、「形而上的思惟は詩的ヴィジョンに通ずるものがあって、自分自身は内的音楽とも云ふべきものに聴きほれてゐる」(雑誌『文学界』主宰の座談会で)と言っていますが、その文章を味読していくと、実に味わい深いのに気付くのです。

 吉満先生の文章は、俳句や短歌のように、余計なものをそぎ落として、結晶化された言葉の力を感じさせる、日本の伝統文化の在り方とは違い、ある現実を、いろいろな方面から光を当てて、できるだけ正確に表現しようという熱意のようなものを感じさせるのです。

 次に、生き方に触れてみますと、われわれは、吉満先生が大きな『神学大全』の本を脇に抱えて、常に読み続けていたことを知っています。もし、吉満先生に対して「恩師 永遠の面影」を述べようとするなら、この姿こそ、その叙述の中心イメージになると思います。

 垣花秀武先生は「吉満義彦全集」第4巻の「解説」の中で、こう書いておられます。

 「あの小さな吉満義彦があの大きな重い「スンマ・テオロジカ」をかかえで書斎から働き場所へ、研究室から書斎へと持ち歩く。海軍行進曲がなりひびく街角で、包みをひらいてとりだし、多分祈るような風情で、その一句一句を読みすすむ」

 この『神学大全』は彼の臨終の床にもあったのです。

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