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2007年2月28日 (水)

雨乞い

雨乞いが いけないなんか 言わないが
 罪の罰なら 罪の処置先

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地球の怒り

地球がね 異常気象で 怒るなら
 地球の親に 訴えるのみ

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プロスポーツ

ふと思う プロスポーツは ゲームなり
 お金が動き 欲望もまた

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学習の仕方

学習に ゲーム取り入れ 正解だ
 学びの前に 興味なければ

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アメリカン・スピリット

■西部開拓史

スペインを 破りし英に 不満持ち
 海を渡りし 移住の民は

巡礼を 心に刻み 前進す
 故郷をあとに 望郷はなし

大陸を 西進しつつ 征服す
 天の都を 憧憬しつつ

インディアン 土着の民が 降伏し
 次は日本と 目は西方へ

太平の 海に至りて そを渡り
 ペ氏まず扉 叩く時より

小国に 混乱起きて 一新す
 主体は消えず 興隆の時

大戦で マ氏の打撃に 屈服す
 二重の枷で 縛る時代に

大洋の 彼方に見える 風景の
 その奥にある 聖都目指して

米国の 西部開拓 その歴史
 今なお続く アジアを視野に

ベトナムも アフガンもあり イラクまで
 戦争ありて 課題山積

ペンタゴン ふるさと見ずに アジア見て
 西部開拓 意識変わらず

■パットン将軍

軍人は詩人であった
魂の転生を信じていた
   
戦場のパノラマが常に
彼の眼前にあった
   
歴史の中で彼は考え
時代を忘れた
   
戦いのロマンティシズムは
時に時代の非難を浴びた

戦場の恐怖を己への恐怖に代えようとしたことが
行きすぎたために
   
彼は知っていた
一番怖いのは戦場での恐怖心だということを
   
彼の意識は常に
歴史の古戦場を駆け巡り
   
強烈な二元論思考は
神を戦いの守護神に変えていた
   
第二次世界大戦で彼の名は残った
パットンという米国人であった
   
映画は時代を超えて
メッセージを運ぶ
   
米国の戦争指導者の中にも
異常な神がかりのいたことを
   
そして、神かがりの普通の方法は
想起と詩作にあったことを

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子どもたち ゲームに夢中 大人たち
 心は株に 大人のゲーム

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MARIA

コンビニと 本屋さんにも いたMARIA
 ふと懐かしく じっと聴き入る

(ちょっと以前、よくこの曲が流れていた)

さて

そのあとhitomiさんののCD「MARIA」を買ったのだが、いい作品と思った。

MARIAとは、この場合、聖母マリアを指しているのでないだろうか。hitomiさんの作った歌詞を読むと、聖母に対する祈りを感じるのだ。曲の最後に、鐘が鳴り続けている。教会の鐘のようだ。それで、ああ、これは宗教的なモチーフを持っているのだと思った。
   
宗教というものを、冷めた目で見ると、教団・教会の悪が見えてくる。
   
日本には、まあ、いろんな宗教があるし、宗教の中には、おかしなものがあるということは、今の日本では容易に認識できることだ。そんな宗教教団も多い現代日本では、宗教に入るというのは、少し危ない目で見られている。だから、宗教教団の批判にも、ある部分、説得力があるのだ。
   
神にしたって、理性至上主義的な視点からすれば、矛盾の存在に見えてくる。二重予定をうまく説明できる人はいないと思う。だから、神はいない、という人がいてもいいかも知れない。しかし、そんな人も最高価値としての神を前提にしているのである。批判・否定の前提には、何かそれ以上の価値肯定的なものがあるのは当然ではないだろうか。それを神と言うのであれば、無神論者というのは矛盾である。安易に「自分は無神論者」と言うなかれ、と言いたい。 神はいない、という視点で、人類の歴史を、どう説明するか。これは難題である。
 
しかし、思弁的ではなくて、素直に愛を問い、自分の生き方を問うとき、その限りにおいて、人は、どうしても宗教的にならざるを得ない。あの思弁的でありすぎたとも思えるヘーゲルでさえ、キリスト教信仰の哲学的表現を目指した。
   
hitomiさんの好きなアーティストにマドンナがいると、かつてプロフィールで書いていた。そのマドンナは、あの女優であろうが、聖母も意味する。
   
hitomiさんは、自身、宗教とは無関係かも知れないが、hitomiさんが関心を持っている、これもプロフィールで書いていた「自分探し」というものは、宗教の前提である。「自分探し」をしない人が宗教に入ったら、きっと宗教を誤解するだろう。そこにあるのはアクセサリーとしての宗教だけなのだから。しかし、宗教とは生き方を問うものとした時、その意味では、誰も宗教から逃れることはできないように思う。

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2007年2月27日 (火)

現代心理学

生きがいと 自己実現の 学びあり
 哲学でなく 心理学なり

死を見つめ ロス女史はなお 語りかけ
 限界挑む 科学の目もて

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国病む

象徴の 一角病むは しるしなり
 国の病を いかんとやせん

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一点突破

一点の 突破ありのち 全面の
 展開あると 紛争の時

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教育再生

病む心 教育により 治さんと
 その余裕なし 着眼はずれ

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2007年2月25日 (日)

人造の我

人造の 社会に生きて 出きる我
 自然を知らず 神をも知らず

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バール

障害が 起きればバール 下げましょう
 新たなバール 見えてくるから

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2007年2月24日 (土)

心理学

心理学 自己分析と 生きがいの
 学と知るなら 皆の関心

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2007年2月23日 (金)

目当て

加齢にて 発達止まり 目当て失せ
 失せる目当ては 仮の目当てぞ

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日本中心万国同祖説

江戸時代の国学者・平田篤胤の著書の中で注目すべきは、『霊能真柱』だと思います。
その中で、彼は、伊邪那岐命・伊邪那美命について述べた部分で、こんなふうに言っています。

遙西の極なる国々の古き伝へに、世の初発、天ツ神既に天地を造了りて後に、土塊を二つ丸めて、これを男女の神と化し、その男神の名を安太牟(あだむ)といひ、女神の名を延波(えば)といへるが、此の二人の神して、国土を生りといふ説の存るは、全く、皇国の古伝の訛りと聞えたり

ここには、「日本中心万国同祖説」が語られています。この部分から、彼がキリシタン書を読んでいたことは明らかです。聖書そのものを見たのではなく、マテオ・リッチら中国への宣教師たちが漢文で書いたものを読んだと言われています。

興味あることは、日本人の先祖はユダヤ人とする日ユ同祖論者の場合は、ユダヤ人が日本に来たというのですが、篤胤は逆で、「皇国の古伝の訛り」として、あくまで、日本中心の立場ということだと思います。

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自由

自由とは 地獄一瞥 びっくりし
 身震いしつつ 確かさ求め

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格差社会

競争は 格差を生んで 淘汰する
 自由の中に うめき声あり

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同性愛結婚

同性で 結婚までも 認めよと
 海の向こうは 不可思議世界

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夫婦

連れ合いが 運ぶ宇宙は 謎に満ち
 無数の人の 声がするよな

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死の陰

死の陰を 生を望まず 喜々として
 格差社会に 身を潜めつつ

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2007年2月21日 (水)

総告解

死の前の 総告解に 人生の
 老いの課題を 思いつつ生く

トマスは、死の前に、総告解をしたそうです。それは1時間もかからなかったのではないでしょうか。しかし、1年、いや数年、いや、老年期の課題として、総告解を考えてもいいのではないでしょうか。

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恋、はるか

歌詞の中 象徴言葉 散りばめて
 人生歌う 思いしみじみ

「深夜便の歌」です。

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平安なる死

死を望む 我に声あり 経験を
 すべて吐き出せ さらば許そう

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2007年2月20日 (火)

巨大企業

合併で 巨大になって 謝罪増え
 トップは辛い 憧れるけど

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EU

EUが ローマの夢を 見たいなら
 トルコ加盟は 深刻事態

憲法で 夢の名残りを 示しても
 加盟希望は つきまといつつ

中世の 夢をも一度 求めても
 十字軍のは 見たくもないと

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国教後

イスラムの意味は絶対帰依なのだという。絶対他力のようなものなのだろうか。その成立は、キリスト教後であり、ローマ帝国での国教後である。

国教によって、キリスト教の変質を指摘した人にエーリッヒ・フロムがいた。その変質へのアンチ・テーゼのような意味を、イスラム教が持っていたのではないだろうか。もちろん、三位一体を否定するところでは、似ていても別の宗教なのだが、そんな思いをもつことがある。

その後、同じような姿勢で、プロテスタントが登場する。こちらは、同じ宗教の中での絶対他力信仰による抗議であった。

イスラムの登場のあと、正教会の分離があった。それも、フィリオクェ解釈の相違が原因と言われるけれど、国教と神の国とのずれが問われたのではなかったろうか。

ローマ帝国でのキリスト教の国教化、それは、皇帝の改宗後の一つの帰結であったが、その後も、物語は続いているのであった。それが、イスラム教、正教会、プロテスタントなのではないだろうか。

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2007年2月19日 (月)

異教とか 異邦人とか 言うけれど
 神は柵など 知らないだろう

仏教徒の宗教評論家、ひろさちや氏は、他宗教にも盛んに発言されています。キリスト教関係の著書の監修者にもなっていて、驚いたことがあります。その姿勢、支持します。

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2007年2月18日 (日)

我を問う

我という 存在は何 問いゆけば
 無限時空の 一つの点か

我を見る 我を求めて 日々学ぶ
 我から我へ いかに行けるか

人は死ぬ されど死の意味 知らざるは
 不真面目な生 死を問わぬ故

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パラダイム転換

パラダイム 転換の時 前世紀
 義認合意で 近世終わる

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北朝鮮の不可解

対立の 米に求める 体制の
 保障知られる おかしくないか

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朝鮮半島

分断の 国家統一 西にあり
 東にもある おかしくないと

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2007年2月17日 (土)

日本を叱る

日本を 叱る人こそ 愛す人
 叱る視点を 見い出せし人

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限界状況

ヤスパースは、『世界観の心理学』(1919年刊行)の中で、人間の状況と人間がのがれることのできない限界状況(死・苦悩・偶然・罪・闘争)を問い、扱っている。走り書きされたこれらの問題が、後のヤスパース哲学において、改めて問いただされ、体系的に仕上げられている。

限界状況は、どんな人でも、いつでも、人間の最も重要な問いである。ヤスパースは、この点において、釈迦と同じ問題意識を共有していたのである。限界状況とは何か、本から抜粋する。

「限界状況は、日常われわれが出会うさまざまな偶然的状況とはちがって、人間がそこからのがれることのできない、その意味で「人間存在そのものと結びつき、有限な現存在に不可避的に与えられた決定的本質的状況」である。それは具体的にいえば、われわれの生には常に苦悩や偶然や罪や闘争が伴い、また最後には死ななければならないといった、生を限界づける状況で、もしわれわれが生きている限りこの状況からのがれられないことを知ると、われわれはいったいどこに生のささえを求めたらよいかわからなくなる。そこには確固としたものは何一つなく、すべては流動的であり、相対的であり、分裂的であって、生のささえとなる全体的なもの・絶対的なもの・本質的なものは、どこにも見いだせないからである。ヤスパースがこの非日常的な絶望的な状況を人間の決定的状況とみたのは、生の限界に直面した大戦時の状況をヤスパース自身が深く体験したからであろう。」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、58-59頁)

「大戦中の罪を意識し、それによって再生した人間は、もはや単に1ドイツ人としてではなく、1世界市民としてふるまわなければならない。偏狭な民族主義ではなくて世界主義が、「地球上のすべての人間を包括する共有のヒューマニズム」が、初めて人間の将来を約束する。戦後のヤスパースの歴史や政治についての思索は、すべてこのヒューマニズムをめぐっての思索であり、それを現実に地上に実現せんがための訴えであった。」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、86頁)

「前に触れたように、限界状況という考えはすでに『世界観の心理学』のうちに登場していた。そしてそこでは、限界状況は精神類型の分類に関して語られていたが、『哲学』のこの場所では実存の自覚を促す最重要な契機として明示されるのである。すなわち、死、悩み、争い、罪は、「われわれが超え出ることも変化させることもできない状況」--限界状況であり、実存はこの状況に面して自らの有限性に絶望すると同時に、超越者の主宰する真の現実へと目を向け、こうして存在意識を変革しつつ、本来の自己存在へと回生する。『世界観の心理学』でキルケゴールのとった道として間接的に語られていたことが、ここでははっきりとヤスパース自身が選んだ道として闡明されるのである。ヤスパースはまた、『哲学入門』という書物で、アリストテレスの「驚き」とデカルトの「懐疑」とに加えて、限界状況における挫折と喪失の意識を「哲学すること」の根源に数えているが、このことからも明らかないように、限界状況の自覚はヤスパースをして実存の思索におもむかせた主要な動因でもあったのである」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、102-103頁)

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弱者

弱者から 強者目指せと 政治言う
 されど弱者に 絶対他力

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2007年2月16日 (金)

イヴかな

以前、渋谷で、hitomiさんの大胆な看板を拝見したことがある。これは何だ。当時は分からなかった。写真集にも、それがあった。何だろう。

「LOVE LIFE」のCD盤にも、同じものが貼りついていた。

渋谷でも、写真集でも、その意味が分からなかった。しかし、CDを聴いていて分かったような気がする。その解釈は間違っているかも知れないけど。

CDの最初の曲は「アダムとイヴの物語」で始まっている。そうか、イヴを真似ているのか、それが正解かも知れないな。しかし、このCDが出なかったら、こんな解釈はいつまでたっても、出てこなかっただろうな。

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空を見つめて

「love 2000」以来、しばらくhitomiさんの歌をよく聞いていた。

「hitomiさんの歌を聴くと元気になれる」。当時、そんな感想を寄せる人が多かったけど、なぜなのだろうか、と思った。

ようやく、いくらか分かってきたような気がする。

それは、集中的に空即是色の世界を歌っているからだ。

演歌というのは、どちらかというと色即是空の世界を歌っている。その「空」は、空即是色の「空」と、言葉は同じ。転換点のこと。

空とは、人間にとって極限的な無の経験の風景で、そこでは人生にとって重要な意識の転換も行われる。

その空における意識の転換の過程も歌詞の中でつかまえられている。

空(くう)は、空(そら)にも関係がある。空(そら)も、また歌詞の中では、よく使われている言葉。

「空を見つめてる/何がいちばん大切って/
空に守られて/不思議と分かるかもしれないからね」
(raise my eyes  「by myself」)

色即是空も空即是色も般若心経の中にある言葉である。日本人の好きなお経の一つに般若心経がある。

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司馬遼太郎

モンゴルは 天に近いと 言いながら
 欲なく旅を した人逝けり

福田みどりさんが回想を聞いて。 

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2007年2月15日 (木)

大学改革

危機感じ 設備投資の 大学に
 むしろサイバー 次代のために

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忠臣蔵

日本史に エピソードあり 不思議なる
 赤穂浪士の 物語なり

刃傷の 理由を知らず 厳罰で
 すべてを知るは 内匠頭か

元禄の 衝撃今も 生き続け
 真相は藪 時効来らず

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2007年2月14日 (水)

対話

中傷し 対話緊張 走る時
 短歌の道具 使ってみたら

ネットでの対話というものは、難しいものです。面と向かってなら、いろいろな情報交換が誤解なく行われますが、ネットでは、そうはいきません。

そんな時、短歌形式を考えてみたらどうでしょうか。対話が進むかも知れません。

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日本の二重性

建前は 絶対非戦 実態は
 米戦略の 一環となり

反戦は 同じ次元の 運動で
 互いの論理 同根と知る

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大リーグ

大リーグ 日本選手が 狙うけど
 背後にあるは 深慮遠謀

日米の 一体化こそ 狙いなれ
 日米安保 障害なくせ

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2007年2月13日 (火)

スジャータ

スジャータは 女性の名前 乳でなく
 この名知れども 疑問残れり

苦行者ら 堕落と見しは この姿
 女性の乳を 吸う釈迦を見て

釈迦が苦行を止めた時、女性が乳か粥のようなものをふるまった、という話はよく聞いてきました。しかし、それを見た同僚の苦行者たちが、釈迦は堕落したと思ったというのです。

このくだりが、よく分かりませんでした。お椀に、乳のようなものを入れて、「さあ、おあがりなさい」と、そう言って、女性が差し出す。それを釈迦が飲む。そんな情景を見て、どうして釈迦が堕落したと、過激な想像をしたのだろう。その疑問が残りました。

2月13日早朝の深夜便で、それが解決しました。境野勝悟氏(東洋思想研究家)が「み仏の説かれた教え」という題で話していました。

女性は、自分の乳をあげた、それで釈迦は体力を回復した。乳がゆ、とかチーズではなくて、自分の乳なのだという。釈迦は胸にすがって、生身の女性から乳をもらったというのです。

これで、堕落と思った苦行者たちの対応が分かりました。

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四苦八苦

四苦は生老病死のことで、よく知られています。疑問に思ったのは、その中の生がどうして苦なのかということ。しかし、生が苦であるという内容が八苦の中に表明されているということです。

それは愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦ですが、それが四苦の中の生の苦の内容だということでした。

ですから、正しくは、四苦七苦なのでしょうが、通常、四苦八苦と言われています。

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悟り

実存は 唯我独尊 関心は
 我に集まり 自然の流れ

突破して 悉有仏性 目が開け
 我と万物 つなぐ命よ

唯我独尊に関する解釈です。人は罪の故に、実存的にならざるを得ないということです。しかし、それを突破した時、万物との調和が開けてくるという意味です。こういう意味だと、天上天下唯我独尊と、一切衆生悉有仏性に矛盾はありません。

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2007年2月12日 (月)

師弟関係

師弟とは 課題引き継ぐ 間柄
 入門自由 課題転ぜよ

平田篤胤は本居宣長の没後門人だそうです。亡くなった人を、篤胤があえて師匠に選んだということです。我々の前に師匠は多い。誰を師匠に選ぶか、誰の生前門人、没後門人になるか、それは個人に任されていますが、課題の共有が条件ではないかと思います。

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イラク戦の後始末

イラク戦 こんなはずでは なかったと
 戦後の処理に 日本と比較

征服者マッカーサーを歓迎した日本とは大違いでした。

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ミレニアム

ミレニアム バラ色時代 望むれど
 テロと戦争 幻滅続く

されどなお 歴史の刻む 期待あと
 やがて注目 望み実現

科学力 中世を閉ず 近世へ
 それは新たな 中世準備

近代の 枠組みの中 生きる人
 やがて淘汰の 時が来るかも

不思議なる 人々生まれ 新時代
 その踏み台を ブログで作る

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建国記念日

この日には 賛否の議論 連綿と
 共に含んだ 止揚の道は

戦禍の場 固く誓った 平和なり
 平和憲法 曲げられないと

現実は 憲法通り なってない
 安保の位置は 憲法並みに

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2007年2月10日 (土)

内村と教派主義

 無教会主義を唱え、日本のキリスト教界はじめ一般社会にも大きな影響を与え、今なお、その著書が読みつがれている内村鑑三が世を去ったのは、日本が15年戦争に入る直前の1930(昭和5)年であった。従って、内村亡きあと、もう70年余が経った。今も、内村研究は日本思想研究家にとっては魅力あるテーマだが、特に彼が晩年、米国から来た老婦人宣教師との「書簡論争」を取り上げて、その「峻烈なる洞察」を考えてみたい。

 国際基督教大学名誉教授で長年、思想史を研究してきた武田清子さんは、著書『峻烈なる洞察と寛容 内村鑑三をめぐって』(教文館)の中で、内村の信仰における「峻烈なる洞察」の意味を、こう述べている。

 「内村鑑三は苛烈なる信仰、峻烈なる洞察の持主でした。この信仰、洞察が、彼に接した人々に対してだけでなく、時の流れを超えて、今日にいたるまで、霊に訴える精神的なインパクトを私どもに与え続ける存在だと思います。内村は、彼の指導に従った人たちにも、また、彼の烈しさに堪えられず躓いて彼のもとを去った人たち、棄教して『背教者』となった人たちに対しても、彼の峻烈な洞察、その問題提起を無視して通りすぎることを許さない、ある深い霊的インパクトを持続して与える存在だといえると思います」

 その書物の「断想」中に「ミス・パミリーとの論争-セクテリアニズムをめぐって-」という項目がある。当時67歳の内村と75歳になるアメリカの婦人宣教師との「文字どおり火花の散るような論争」を扱ったものだ。

 武田さんは言う。

 「いつのことだったか、パミリー女史と内村鑑三との往復書簡が袋に入って古本屋にあったので、少し高価だったのですが、購入したのです。これらは、それまで知られていなかったものだったのですね。おのおの、ペンで走り書きした手紙を読んでいくうちに、私もだんだんに興奮してゆくのを感じました。

 それで、パミリーという人物に関心を持ち、内村の資料も調べ、往復書簡の英文内容をタイプで打って、ICUの紀要に発表しました。その日本文の解説部分が『峻烈なる洞察と寛容』に出ているのです」

 そのICUの紀要とは『アジア文化研究6』(1972年12月)で、「内村鑑三の未公開書簡」という表題で日本文と英文の寄稿がある。その往復書簡の原本は現在、ICU図書館でマイクロフィルム化されて、大切に保管されている。

 内村鑑三と、当時、近江八幡町土田に在住していたフランシス・パミリー女史との間に論争が起きたのは1927(昭和2)年11月から12月にかけてで、時期としては長くはない。

 ハリエット・フランシス・パミリー女史は1852年5月13日、米・オハイオ州ツウィンスブルグに生まれ、1877(明治10)年10月、アメリカン・ボード宣教師として神戸に着いた。女史は、創立期の同志社女学校の英語教師になり、その後、津、前橋、松山、明石で伝道、また前橋の共愛女学校、松山の松山女学校でも教え、1924(大正13)年に引退、近江八幡や京都に住んだ。そのころ、内村との論争があったのだ。

 内村との論争のきっかけは、内村が編集していた『ジャパン・クリスチャン・インテリジェンサー』(1927年11月号=第2巻9号)に書いた「Again about Sectarianism」(再び教派主義について)という表題の文章だった。

 内村は、そこで、「アングロ・サクソン系の人々、およびその感化の下にある人々ほど教派的な国民がほかにあろうか」と言い、多くの教会があることを具体的に取り上げ、「その各々が、絶対の真理を所有すると主張する」という。それらの教会は、他教会の信徒には満足せずに改宗させる。内村は、そんな教派主義を「キリスト教の精神そのものに反している」と言う。

 これを読んだパミリー女史は、内村への手紙(1927年11月20日)で、カナダやアメリカでの教会合同の動きを伝え、「あなたは新しいセクトをつくりつある。それは"内村教会"とも呼ぶべきもので、その教義の一つは他の諸教会を嫌うことだ」と断定した。

 この手紙に激怒した内村は11月下旬から12月上旬にかけて、「パミリー老嬢行」と封筒に宛名を書いて、ほとんど毎日、挑戦状的手紙を書いた。パミリー女史あて内村の最初の手紙は11月22日に書かれ、続いて同28日、同29日、同30日、12月1日、同2日、同3日、同5日にも投函されている。

 パミリー女史は、内村の望む雑誌上での公開論争を避けたかったようで、木村清松牧師あてに、内村からの攻撃の手紙類を送って、善処を依頼した。12月10日、同17日、内村は、木村清松にも書簡を送っている。

 内村は、1927年12月10日に出た『ジャパン・クリスチャン・インテリジェンサー』(第2巻10号)の「編集者覚書」で、パーミリー女史の名を出して、彼女は、私と同誌前号掲載の「セクト主義」の記事を激しく批判したが、この問題での公開の論争を拒否した、と述べているが、この号は、同時に「来年2月号を以て本誌を廃刊」との予告を出している。パーミリー女史との論争が影響したのだろうか。

 武田さんは、E・トレルチのいう「セクト・タイプ」を「プロテスタント教会でさえも体制化して日常化し、世俗の権力と妥協をもちはじめる時、その内的真理を鋭く堅持した少数者のグループが外在的批判力となって真理の再確認のために活動するもの」として、「無教会」の意味を積極的に評価している。しかし、同時に「内村がこの論争で排他的分裂主義者としての"セクト主義者"とよばれることを極度に嫌い、ひたむきにそれを拒否していることは興味深い」と述べている。

 なぜ、内村はセクト主義者と言われることを、そんなに嫌ったのだろうか。

(以前、このテーマを、ある週刊新聞に取り上げたことがあります)

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2007年2月 7日 (水)

平田篤胤のこと

平田篤胤に関心があるのは、その思想に対するキリスト教の影響の故である。幕府の目を盗んで、どうして、ご禁制の書物を読み、それを自分の著作の中に取り入れたのだろうか。

この問題を解く鍵が、島崎藤村の意識の中にあるかも知れない。「夜明け前」という小説の主人公・青山半蔵のモデルは、藤村の父、島崎正樹(1831-86)である。彼は平田篤胤没後の門人の一人であったという。

「藤村文明論集」(十川信介編、岩波文庫)という書物がある。その「回顧」によれば、平田派全盛時代の頂点は明治元年前後で、篤胤没後の門人が全国で4000人にも達したという。しかし、この勢力は急激に凋落する。

篤胤の神観は宣長のそれと異なり、著述の中には耶蘇教の神という言葉もある。では何故、篤胤は耶蘇教の神を導入できたのか。

藤村は、こう言のである。

「そんなら父らの先師はどんな風に西洋を考えていたろうかというに、
『もろもろの学問の道、たとひ外国の事にしろ御国人が学ぶからは、そのよきことを撰んで御国の用にせんとのことでござる。さすれば、実は漢土は勿論、阿蘭陀の学問をも、すべて御国学びと言つても違はぬほどのこと、即ちこれが御国人にして外国の事を学ぶ者の心得でござる。』
 この考えを推し進めて行けば、わが国の人の外国語を習得し外国の学問を修むることは、実は国学の一部門であるということになる。篤胤は一概に西洋を排斥しようとするほど決して頑な人ではなく、新井白石の『采覧異言』、山村昌永の『増訳采覧異言』にも触れ、また蘭医ケンペルが『日本志』にも触れて、相応に世界のことに通じ、またわが国の世界に伍する位置をも考え合せ、かく西洋の書籍なども次ぎ次ぎに渡来して世に弘まり初めたのは、即ち神の大御心であろうとした」(「藤村文明論集」中の「回顧」247頁)

篤胤には篤胤の理屈があったのだろう。こんな理屈を、どこかで読んだことがあった。

外国を知ることは、外国に服従し、屈服することではなくて、自分の国を知ることなのだという。今でも通用するのではないだろうか。

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マスコミ

驚かぬ 中吊りを見て 突き放し
 神経症の 因はマスコミ

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いのち

風が吹く どこからどこへ 行くのかな
 いのちも同じ 我がものならず

いのちある 者がいのちに 触れてみて
 ただ運ばれて 生きていくのみ

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21世紀を考える

われわれの生き始めた、この21世紀という時代は、どんな時代なのだろうか。「新しい中世」という言葉が、『21世紀をどう生きるか』(野田宣雄著、PHP新書)本に出ている。気になる部分を取り上げた。

「私たちが二十一世紀に向かって経験しようとしている変化は、人類史の上でも稀有な規模と深刻さをもっている。やや控え目にいっても、それはあのルネサンスや宗教改革などにはじまる近代という時代に終止符を打つ類のものである」(あとがき、206頁)

「近代という時代が、国民国家という枠組みや職業中心の人生を道連れにして終焉を迎え、代わって、中世の日本人が『末世』と見なしたものと似通った混沌の時代が到来しつつあることをしめそうとした」(あとがき、207頁)

「十九世紀のドイツの近代化をリードしたのは、今日では「教養市民層」と呼ばれる大学出身のプロテスタント系知識人であった」(P.16)

「実際、ドイツの教養市民層の多くは、内心では宗教を軽蔑し、洗礼・堅信・結婚等の儀式以外は、教会から遠ざかっていったのである。
 にもかかわらず、彼らの大多数はプロテスタントであることをやめなかった」(P.17)

「つまり、教養市民層は大学で諸学に親しみ、みずからの人格形成に人生の意義を見出すが、大学にゆかない非教養大衆は、教会でキリスト教を通じて人生の拠りどころをあたえられるべきだとされたのである。それはまた、非教養大衆を教養市民層という官僚をはじめとするエリートの指導に従順に従わせるためにも、恰好の方途だと考えられたのである。そこで、当時のドイツのエリートは内心では教会宗教と距離をとりつつも、なおプロテスタント教会の信徒にとどまったのである。
 しかし、十九世紀の教養市民層のすべてが、このような功利的な見地から教養と宗教の関係を考えていたわけではない。彼らのなかにも、もう少し内面的な思想上の問題として、教養理念と宗教との関係の問題にこたえをもとめる人たちもいたはずである。そして、そういうドイツ知識人の要請にもっともよくこたえてくれた神学の一つが、シュライエルマッハーに出発する自由主義神学という十九世紀のドイツのプロテスタンティズム神学の流れであったといえよう」(P.18)

「そして、この自由主義神学という神学の流れがあったお蔭で、十九世紀のドイツの教養市民層の多くは、自分たちが教養理念を信奉していることと、同時にプロテスタントであることとの間にさしたる矛盾を感ずることはなかったのである。
 要するに、それは、教養市民層が教養理念を信奉しながらプロテスタントにとどまり続けることを正当化する、恰好の神学であった」(P.18-19)

「「歎異抄」のなかには「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもて、そらごと、たわごと、まことあることなきに」という言葉がある」(P.20)

「すなわち、歴史の進歩の根底的な推進力であったはずの科学技術の発達が、ある限界を超え、むしろ人びとの生活や倫理観に混乱をもたらそうとしている。欧米や日本といった先進国の人びとが奉じて疑わず、自分たちの人生観の拠りどころとしてきた進歩史観では、到底捉えきれない混沌の世界が到来しようとしているかに思われるのである。
 それはまさに「新しい中世」の出現といってもよいだろう。「新しい中世」という考え方は、1993年にフランスのアラン・マンクが刊行した書物の表題である。マンクは、この書物のなかでソ連帝国の崩壊をローマ帝国の崩壊に擬し、冷戦後の世界がローマ帝国の崩壊後に到来した中世と同様に混乱に満ちたものになることを予測している」(P.21)

「ところで、「新しい中世」の到来は、もともと中世の混乱の世界を背景に生み出された親鸞の教えが、実感として受けとめられる時代の到来を意味する。つまり、進歩史観、近代化、現世内自己完成としての教養、そういった近代の産物がもろくも崩れ去って、比較的ストレートに末法思想などを受け入れることができる、そういう時代が来ようとしている」(P22)

「だからこそ、「新しい中世」が来るという場合には、それは、たとえば政治システムの上で、近代の主権国民国家の枠組みが弛緩し、中世の封建制に近い支配の形態が出現するといったレベルの話にとどまらない。実は、「新しい中世」は、私たちの心情や人生観や世界観の上でも、中世への回帰が起こることを意味する」(P.22)

「こういうふうに、人間が自己の力を過信せしめられたのが、啓蒙主義以来の近代の歴史ではなかったかと思われます」(P.25)

「ところが、二十一世紀という新しい世紀は、進歩が絶対視された近代の延長上にあるのではなくて、ひょっとすると中世に近い性格をもった「混沌の世紀」ではないかと予感されはじめたのです」(P.26)

「ところが、二十世紀も末のぎりぎりの時期になって、IT革命と呼ばれるような情報技術の途方もない発達が見られ、それが他の諸要素と結びついて国民国家の存在を根底から揺るがしはじめている。いわゆる経済のグローバル化が進展し、ますます経済活動の大きな部分が国境を意に介することなくくり広げられている。…つまりは、近代を通じて当然視されてきた国家と経済との密接不可分な関係が、急速に弱まってきている」(P.29)

「実際、インターネットなどの発達によって、これだけ国家の境界線を超えた経済活動が活発になってくると、中世の封建制にも似た国境を超えた人的なネットワークが形成されてゆくことになるかもしれない」(P.31)

「情報技術の発達や経済のグローバル化といったもっとも先端的な事象が、超近代を招き寄せるよりも、中世的なものへの回帰を促しているという事情を見逃してはならない」(P.33)

「しかし、そうした二十一世紀の政治的混乱を克服するために、もう一度近代の主権国家の枠組みを強化しようとするのは、賢明なやり方とはいえない。なぜなら、科学技術の水準にせよ、経済のあり方にせよ、環境問題にせよ、もはや、近代の主権国民国家の枠組みに適合的なものではなくなりつつあるからである。
 ところが、わが国では、政治の世界でもメディアの世界でも、まだまだ国民国家の枠組みにしがみつき、その前提のもとで政治活動をおこなったり、評論を展開したりしている人が多い。このことは、いわゆる左右両翼のいずれにおいても、認められる傾向である」(P.34-35)

「すでに述べたように、二十一世紀に私たちを待ち受けている変化は、近代を中世に逆転させるほど深刻で大規模なものであり、そこで生きてゆくために役に立つのは、明治維新や高度経済成長期といった近代の経験よりも、主権国家の緊密で安定した秩序を知らなかった中世の人びとの生き方であるかもしれない」(P.36)

「だが、このヴェーバーの書物は、末尾の部分へきて一種の「どんでん返し」を見せ、近代資本主義とそこで暮らす人びとについて、きわめて悲観的な見方を示すのである。
 ヴェーバーはいう。近代資本主義の成立には信仰深い禁欲的なピューリタンがかかわっていたが、いったん近代資本主義が自転をはじめると、そこからはピューリタンの信仰心は抜け落ちてしまう。そして、近代資本主義は巨大な歯車装置と化し、圧倒的な力をもって一切の諸個人をそのなかに呑み込んでゆく」
「(かつて)ピューリタンは(信仰心から)職業人であろうと欲した。だが、私たちは、(巨大な近代的経済組織のもとで)職業人であるほかない」
 ヴェーバーは、この巨大な歯車装置と化した近代資本主義を「鉄の檻」と呼び、人びとはそのなかに閉じ込められて逃げ出せなくなっていると説く。しかも、この文化発展の最後に現れる人々(「最後の人びと」)は、「精神のない専門人」「心情のない享楽人」でありながら、人間性の最高段階まで登りつめたと自惚れるのだとヴェーバーは予測する」(P.58-59)

「そうすると、なんらかの国家に代わる組織がでてきて、貧富の差異を調整することが必要になります。考えうるのは、そのために宗教組織あるいはそれに類する組織が前面にでてきて、これまで主として国家がやってきた貧富の調整や社会・福祉政策の推進を引き継ぐことです。もともと、近代の主権国家は、ヨーロッパなどでは、かつて教会がやっていた教育や福祉事業などを引き継ぎ、それらを国家の手に集めていったのです。いってみれば、それを逆転させるような傾向が、二十一世紀にはますます顕著になっていくと予想されます。
 しかも、そういう宗教的あるいは疑似宗教的な組織は、経済のグローバル化に即応してそれ自身国家の枠組みを超えたものである必要があります」(P.72)

「人生や社会に計画性をもつことができたというのも、啓蒙期以後の近代の特徴なのであって、逆に人びとが経済的にも倫理的にも「その日暮らし」的であったのが中世だったと考えられます。その意味でも、私たちは近代から中世に引きもどされつつあるのかもしれません」(P.75)

「その背景には、国家というものが、人びとの帰属対象として、あるいはアイデンティティの拠りどころとして、確かなものではなくなってきているという事情があります。いいかえれば、このまま国家の存在の希薄化を進行するにまかせておけば、個々人は確乎たる帰属母体を失い、「自分が何者か」ということにこたえられなくなり、アイデンティティの喪失に苦しむことになると思います。…そこで、これからは、さまざまのレベルで自分のアイデンティティの拠りどころとなるような帰属母体を見出し、その組み合わせによって生きてゆく智慧がもとめられます」(P.77)

「ところが、その後の研究で、ヴェーバーは、合理化された近代社会における救済宗教の運命にかんして、次のように考えるようになった。救済宗教は現世の合理化に寄与するが、いったん現世の合理化が実現されてしまうと、経済秩序をはじめとする合理的な現世的諸領域と衝突をきたす。そして、もともとその本質においては非合理的なものである宗教は、社会の片隅に追いやられて現実に働きかける「生命力」を失ってゆく」(P.91)

「近代の学問(科学)なるものは、その徹底した合理的・経験的認識によって、世界を中世的な呪術から解き放ち、この世界をあくまでも因果的メカニズムの支配する秩序界として把握するようになった。そして、「知的誠実性」の名において、学問(科学)こそが思考による世界観の唯一可能な形態だと主張するようになった。だが、その結果、この近代的な科学的世界観は、救済宗教の世界観との決定的な対立に陥ることになったのである。
 救済宗教(キリスト教)の世界観は、現世は神によって秩序を与えられたものと見る。したがって、この世界は、なんらかの倫理的な意味をおびた方向づけを持つ世界、倫理的な因果応報の要請として形づくられた世界と見なす。…このような救済宗教(キリスト教)の世界観とすべてを因果的メカニズムへ還元する近代の科学的世界観とは、相互にはげしく衝突せざるをえない。
 そして、近代という時代は、科学的世界観を一方的に尊重し、救済宗教的な世界観を非科学的な時代遅れの世界観として片隅に追いやってきた。いいかえれば、宗教が人間の行為を規定する理念として現実的な力をどんどん失い、科学的世界観がいわば現世内的な救済を約束して、前面にたち現れてきたのが、近代という時代にほかならなかった」(P.94-95)

「忘れてならないのは、すでに社会学者などが早くに指摘しているように、近代の国民国家が宗教と共通する側面を多くもち、ある意味では宗教の代替物という性格をおびたことである。国旗に対する礼拝をはじめ、機会あるごとの儀式や荘厳を通じて、国民国家は、国民の間にみずからへの尊崇の念をたかめ、みずからの神聖化につとめた。そして、かつては教会が担当していた教育や社会サービスの領域を侵食し、さらに人びとの心情の領域にも浸透して、神そのものにとって代わろうとした。…このような意味で近代の国民国家が宗教の代替物であったとすれば、その国民国家の枠組みが情報技術の発達や経済のグローバル化によって揺らぐことは、人びとの精神に大きな空白を生み出さざるをえない」(P.181)

「まして、混沌の生みに投げ出された大多数の人びとは、これまで宗教の代替物でさえあった近代国家という帰属対象に代わるものを容易に見出せず、新たな帰属の対象をもとめて右往左往することになるだろう」(P.187)

「このように考えてゆくと、どうしても宗教あるいは疑似宗教の形をとる緊密なネットワークが、広汎な人びとを結集してゆく公算が高いと見なければならない」(P.188)

「ヨーロッパでは(いちおう東方正教圏を除く)カトリックとプロテスタントの双方をふくめて、比較的凝集力の高いキリスト教の広域的な結合が見られ、それがすでに欧州連合の貴重な基盤となっている」(P.188)

「私はこれまで、二十一世紀を「新しい中世」という名のもとに、あまりにも混沌とした無秩序な時代として描きすぎたきらいがあるかもしれません。しかし、情報技術や生命科学の急激な発達によって、近代の国民国家を単位とした国際秩序が成り立たなくなり、その後に大きな混乱の時代が訪れるという予測は、大筋において間違っていると思いません」(P.199)

「私たちが二十一世紀に向かって経験しようとしている変化は、人類史の上でも稀有な規模と深刻さをもっている。やや控え目にいっても、それは、あのルネサンスや宗教改革などにはじまる近代という時代に終止符を打つ類のものである。しかも、この変化は、家庭や職業といった社会の基礎単位から、企業や官僚制や国家といったレベルを経て、世界秩序全体までも揺るがそうかという勢いを見せている」(P.206)

「そこでは、近代という時代が、国民国家という枠組みや職業中心の人生を道連れにして終焉を迎え、代わって、中世の日本人が「末世」と見なしたものと似通った混沌の時代が到来しつつあることをしめそうとした」(P.207)

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歴史

可能性 現在のみで 過去・未来
 参照しつつ 今の決断

 「本当の意味の歴史というものは、歴史そのものにおける方向感覚を見出し、これを信じている人々にだけ書けるものなのです。私たちがどこから来たのかという信仰は、私たちがどこへ行くのかという信仰と離れ難く結ばれております。未来へ向かって進歩するという能力に自信を失った社会は、やがて過去におけるみずからの進歩にも無関心になってしまうでしょう」(E・H・カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』)

一日は繰り返す。1年は繰り返す。元号の年数も繰り返す。

しかし歴史は繰り返さない。それは西暦の年号が繰り返さないということを考えれば分かる。そして、イエス誕生を起源とした西暦のみが、歴史の繰り返さないことを教えてくれる。時間が繰り返さないという示唆を与えているのは、西暦のみであり、その意味は大きい。

そう思うと、我々のしていることの意味が少しは分かる。われわれのしていることは、それが何であれ、歴史に刻み込まれていき、それは決して消えることはない。永遠に歴史に残る。厳粛な今の感覚。

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二人の音楽

メッセージ 音と音との 間聴く
 歌詞にも溢れ 今はいずこに

フジ子ヘミングさんのピアノ演奏には、「音と音の間にメッセージがある」と言われています。
また、歌手hitomiさんの歌にも、そんな感じがつきまとっています。かっこよさ・心地よさ・励ましが、歌詞の中に、また歌い方の、ちょっとした抑揚・変化・強弱などの技巧の中に伝わってくるようです。
ところで、お二人は、最近、お元気なんでしょうか。

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2007年2月 6日 (火)

マルクス

その名前 聞かなくなりて 毒失せて
 薬の部分 静かに思う

実践の 時代は去りて 回想は
 理想世界に 燃えた日々へと

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2007年2月 5日 (月)

農夫

畑とは インターネット その一部
 我は耕す 農夫の如く

工業の 時代終わりぬ 新時代
 情報と農 結合時代

知の遺産 誰でも入手 可能なら
 アイディア勝負 それしかないと

時は過ぐ 激しくもあり ゆっくりと
 流れの先に 今を結んで

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於大

070205_1128012 家康の母の名前は於(お)大という。法名は、「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」。ここから、墓(写真)のある寺の名が伝通院と言われている。

1528年(享禄元年)に生まれ、1602年(慶長7年)没。74歳だから、当時としては長命であった。

三河(愛知県)刈屋の城主、水野忠政の娘で、1541年(天文10年)、岡崎城主、松平広忠と結婚、翌年、家康が生まれた。

結婚は、13歳の時、家康は母14歳の時の子どもということになる。今では考えられないことだ。家康は、中学生の女性が産んだ子ということになる。こんなこと、想像したこともなかったのだが。

後、於大は離婚する。

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伝通院

江戸の香の 伝通院の 名の由来
 家康生母 法名からと

070205_1153012_1 幕末の 悲劇始まる 浪士隊
 清河の墓 小さな墓石

歴史好き 見学者たち 群れなして
 於大・千姫 昔を偲ぶ

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2007年2月 4日 (日)

ヘーゲル歴史哲学

信仰を 理性の下に 置きながら
 歴史記述も 自然と同じ

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落とし穴

落とし穴 この世に多く なくならず
 迷惑メール 絶えることなく

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マスコミ

好奇心 中刷り見るが マスコミの
 挑発過激 踊る人らも

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研究者

研究者 その本質を 問うならば
 問うことにあり ただこれのみと

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放送大学

近代を 問う声高し 放送の
 大学聞けば 西洋強し

近代批判は西洋中心から東洋的価値の再評価を促すかも知れませんが、放送大学では、依然、西洋重視が続いているような感じがしています。

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2007年2月 3日 (土)

ソフィストの世紀

自由主義 ソフィストたちが おらが春
 ソクラテスどこ 古代の夜明け

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2007年2月 2日 (金)

鳥瞰の楽しみ

煩悩の 渦巻く娑婆に バイバイし
 目は中天に 眺むる楽し

鳥瞰を 求め続けし 司馬さんは
 正しき道を 選び取りたり

司馬遼太郎さんは、どこかで自分は鳥瞰を求めているというようなことを言っておられたと思います。松本清張さんは虫瞰、司馬さんは鳥瞰と、対照的に言われることもあります。鳥瞰を求める姿勢は正しいように思います。

古来、鳥瞰を展開している人は三人いました。山田晶氏によれば、アリストテレス、トマス・アキィナス、ヘーゲルでした。哲学的探求は、実存から始まると思いますが、そこから世界観を求めていくものだと思います。実存は世界観を否定しないと思います。その世界観が正しいものであれば、そこに鳥瞰の楽しみがあると思います。

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日本の楽器

三味線も 琴もどこかに 悲しげな
 日本の楽器 挽歌奏でる

赤穂義士 平家没落 挽歌にて
 悲しき楽器 音色が残る

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学歴社会

怖ろしや 小学生が 大学の
 入試気にする 親子の対話

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格差社会

残酷な 格差社会 知恵社会
 自由ベースに 情報操作

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忠告

忠告す 思ったことを 口に出す
 それは危険だ 首が飛ぶかも

ドンマイだ 失う地位は 何もない
 ジャーナリストは 無冠の人だ

冠を 身につけるなら 言えないよ
 それでも言うは 歴史に残る

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財と心

財のある 所に心 ある故に
 財の管理は 心の管理

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個人の信仰

人は皆 家に生まれて 別の信
 生きても死ねば 家のお墓に

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2007年2月 1日 (木)

ロボット

国会で 人が機械を 馬鹿にして
 人を助ける ロボット怒る

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教会の定義

人がキリスト者になるということは、一般的には、どこかの教会で洗礼を受けて会員になるということを意味している。

その人が、その教会しか知らないのであれば、信仰生活は、その教会で終始することになる。

しかし、教会というものは、自分の所属している教会だけでなく、たくさんあることを知るようになる。そうなるのは、時間の問題である。

その時、教会に対する疑問が生まれてくる。教会とは何であろうか。

以前、使徒継承教会について書いた。そういう視点は、あるのだろうと思う。

あるいは、重視している人もいるかも知れない。教会一致運動の中で、教会論として余り、論じられていなかったかも知れない。

その視点からは、プロテスタント教会は、どう見えるのだろうか。歴史的にはプロテスタント教会はローマ教会の、ある「展開」にも思えるのである。

聖公会は使徒継承である。ルター派と、その流れは司祭継承である。改革派は、ツヴィングリ系は司祭継承、カルビン系は信徒継承なのだろうか。

しかし、プロテスタント教会からは、このような見方は出てきていない。信仰義認と使徒継承を天秤にかけて、使徒継承を捨てたからである。もちろん、だからと言って、継承的信仰理解を捨てたわけではなく、解釈されて続いているのだろう。

カルビン系教会が、ローマ教会の信徒継承教会とは、カルビン系教会から聞かれることは絶対ないと思うが、そういう解釈だって可能ではないかと思う。

ルターにより、カルビンにより、教会の定義はされている。その定義の有効性は、現実を、どれくらい正確に、洞察に満ちた理解に導くかによるのではないだろうか。その時、何か、それらの定義の限界を感じてしまうのである。

教会とは何か。教会一致運動の中で、それが問われている。

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時の作用

時が経ち なぜあの人が ランク上げ
 かつての友は いま雲の上

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人間の尊厳

自由意思 人の尊厳 これにあり
 機械と言われ 怒りの因に

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アンカーの癖

アンカーの 癖が気になり 快く
 癖聞きたくて また深夜便

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近世の夜明け

論争は 真理は一つ いや二つ
 近世準備 オッカムの説

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勝利の秘訣

キーワード 勝利の秘訣 ここにあり
 その選択に すべてがかかる

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脳科学

脳科学 刺激求めて 外に出よ
 座禅は脳に 悪いのだろか

禁域で 終日部屋に 閉じこもる
 修道士らの 脳は退化か

情報化 刺激に踊る 人多し
 時には虚無の 炎感じよ

2月1日の、「こころの時代」を聞いて。

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リーダー像

カリスマが あればそれでも いいけれど
 コーディネーター 当世風で

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