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2007年2月17日 (土)

限界状況

ヤスパースは、『世界観の心理学』(1919年刊行)の中で、人間の状況と人間がのがれることのできない限界状況(死・苦悩・偶然・罪・闘争)を問い、扱っている。走り書きされたこれらの問題が、後のヤスパース哲学において、改めて問いただされ、体系的に仕上げられている。

限界状況は、どんな人でも、いつでも、人間の最も重要な問いである。ヤスパースは、この点において、釈迦と同じ問題意識を共有していたのである。限界状況とは何か、本から抜粋する。

「限界状況は、日常われわれが出会うさまざまな偶然的状況とはちがって、人間がそこからのがれることのできない、その意味で「人間存在そのものと結びつき、有限な現存在に不可避的に与えられた決定的本質的状況」である。それは具体的にいえば、われわれの生には常に苦悩や偶然や罪や闘争が伴い、また最後には死ななければならないといった、生を限界づける状況で、もしわれわれが生きている限りこの状況からのがれられないことを知ると、われわれはいったいどこに生のささえを求めたらよいかわからなくなる。そこには確固としたものは何一つなく、すべては流動的であり、相対的であり、分裂的であって、生のささえとなる全体的なもの・絶対的なもの・本質的なものは、どこにも見いだせないからである。ヤスパースがこの非日常的な絶望的な状況を人間の決定的状況とみたのは、生の限界に直面した大戦時の状況をヤスパース自身が深く体験したからであろう。」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、58-59頁)

「大戦中の罪を意識し、それによって再生した人間は、もはや単に1ドイツ人としてではなく、1世界市民としてふるまわなければならない。偏狭な民族主義ではなくて世界主義が、「地球上のすべての人間を包括する共有のヒューマニズム」が、初めて人間の将来を約束する。戦後のヤスパースの歴史や政治についての思索は、すべてこのヒューマニズムをめぐっての思索であり、それを現実に地上に実現せんがための訴えであった。」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、86頁)

「前に触れたように、限界状況という考えはすでに『世界観の心理学』のうちに登場していた。そしてそこでは、限界状況は精神類型の分類に関して語られていたが、『哲学』のこの場所では実存の自覚を促す最重要な契機として明示されるのである。すなわち、死、悩み、争い、罪は、「われわれが超え出ることも変化させることもできない状況」--限界状況であり、実存はこの状況に面して自らの有限性に絶望すると同時に、超越者の主宰する真の現実へと目を向け、こうして存在意識を変革しつつ、本来の自己存在へと回生する。『世界観の心理学』でキルケゴールのとった道として間接的に語られていたことが、ここでははっきりとヤスパース自身が選んだ道として闡明されるのである。ヤスパースはまた、『哲学入門』という書物で、アリストテレスの「驚き」とデカルトの「懐疑」とに加えて、限界状況における挫折と喪失の意識を「哲学すること」の根源に数えているが、このことからも明らかないように、限界状況の自覚はヤスパースをして実存の思索におもむかせた主要な動因でもあったのである」
(『ヤスパース』宇都宮芳明著、清水書院、102-103頁)

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