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2007年2月 1日 (木)

教会の定義

人がキリスト者になるということは、一般的には、どこかの教会で洗礼を受けて会員になるということを意味している。

その人が、その教会しか知らないのであれば、信仰生活は、その教会で終始することになる。

しかし、教会というものは、自分の所属している教会だけでなく、たくさんあることを知るようになる。そうなるのは、時間の問題である。

その時、教会に対する疑問が生まれてくる。教会とは何であろうか。

以前、使徒継承教会について書いた。そういう視点は、あるのだろうと思う。

あるいは、重視している人もいるかも知れない。教会一致運動の中で、教会論として余り、論じられていなかったかも知れない。

その視点からは、プロテスタント教会は、どう見えるのだろうか。歴史的にはプロテスタント教会はローマ教会の、ある「展開」にも思えるのである。

聖公会は使徒継承である。ルター派と、その流れは司祭継承である。改革派は、ツヴィングリ系は司祭継承、カルビン系は信徒継承なのだろうか。

しかし、プロテスタント教会からは、このような見方は出てきていない。信仰義認と使徒継承を天秤にかけて、使徒継承を捨てたからである。もちろん、だからと言って、継承的信仰理解を捨てたわけではなく、解釈されて続いているのだろう。

カルビン系教会が、ローマ教会の信徒継承教会とは、カルビン系教会から聞かれることは絶対ないと思うが、そういう解釈だって可能ではないかと思う。

ルターにより、カルビンにより、教会の定義はされている。その定義の有効性は、現実を、どれくらい正確に、洞察に満ちた理解に導くかによるのではないだろうか。その時、何か、それらの定義の限界を感じてしまうのである。

教会とは何か。教会一致運動の中で、それが問われている。

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