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2007年3月26日 (月)

教育の再生

教育の 目的いずこ それ知らで
 いかに再生 可能なるやと

人間は 何であるかを 知らないで 
 いかに教育 可能なるやと

人間とは、そもそも何か。それを知らないで、教育は成り立たないと思います。その原点を顧慮しないで、教育論議など出来ないと思います。

人間とは何か。霊・魂・身体の三区分法、霊と肉の二区分法があると言われていますが、『教育改革者ルター』(金子晴勇著、教文館)の第6章「教育の人間学的基礎」(225頁~)に、詳細な説明があります。以前、「人間とは何か」に関して、コメントをいただいて、不十分な説明をしたことがありましたが、この個所では、詳細に書かれています。私も、そう思っています。しかし、同時に、人間の定義に関して、「理性的動物」というギリシャの哲人の教えも、私としては捨てがたいと思っています。

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コメント

『教育改革者ルター』の第6章「教育の人間学的基礎」は圧巻と思います。ルターと中世スコラ神学との、神の像(イマゴ・デイ)の解釈の相違、神の似姿の理解、それらは、もう一度、学びなおされるべきと思います。

スコラ神学で神の像が残存しているということは、人間が安全であるということは意味しないと思います。そう思うのは誤解と思います。原罪のあと、人間は何になったのか。やはり人間のままではないか。それが神の像の意味なのだと、私は思います。

もし、神の像の残存に安全性があるとしたら、それは信仰義認に矛盾することになると思います。

本当は、こういう議論は、カトリックの人たちが、もっとやらないといけないのだと思いますが、余り、ルターを取り上げません。

投稿: | 2007年3月26日 (月) 22時23分

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