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2007年3月 2日 (金)

塚本虎二の信仰の軌跡

塚本虎二の主治医、安藝基雄氏が、『新・預言と福音』の40、41号で「内村鑑三・塚本虎二の分離独立の問題について」と題して、詳細に書いています。

『カトリックの信仰』という岩下壮一神父の書いた本が、講談社学術文庫として出版されています。プロテスタントの人々には挑発的と感じるであろう個所も多く、「エキュメニズムの時代に岩下神父は、ちょっと」というカトリック信徒もいました。

その本の解説の中で稲垣良典氏は、「『カトリックの信仰』は、第二バチカン公会議三十年たった今日なお、日本語で書かれたカトリシズムないしカトリック・キリスト教への最善の入門書」と言っています。この本に無教会の人々が数多く登場しています。

さて、この岩下壮一神父が塚本虎二と論争しました。それは有名なことで、『聖書之研究』に掲載された塚本の反論のタイトルは「教権か聖霊か」というものでした。この塚本の論文は『聖書之研究』に掲載されたものなので、主宰者の内村鑑三が知らないわけがありません。二人の論争も知っていたでしょう。しかし、内村のコメントがありません。内村は終生、教会論を課題に持っていたのですから、自分の足元で展開している、この興味深い問題に関心がないわけがありませんが、この論争には不思議と沈黙を守っているのです。

やがて、内村と塚本は信仰上の違いを明確にする意味で、訣別します。「私は今日流行の無教会主義者ではない」という有名な言葉が発せられるのです。その訣別の過程に、塚本と岩下の論争を見ていた内村の思い(「塚本もちょっと分が悪いな」といった思いで、これは筆者の想像)の反映がなかったのでしょうか。また、岩下と論争した影響が、塚本の方になかったのでしょうか。残念ながら、安藝氏の論文にも、岩下と塚本の論争のことは全く触れられてはいません。

それにしても、内村は岩下神父のことを、どう思っていたのでしょうか。神父の活動の一つが「カトリック研究社」による出版で、命名には内村のそれを真似したようにも思われますが、そもそも両者は接触したことがあるのでしょうか。

塚本虎二の信仰の軌跡を思う時、この論争における塚本の姿勢が影響して、内村鑑三を継承しつつも、岩下壮一の「教権」への反発が「聖霊」の手島郁郎に近づかせたと思うのです。

もっとも、手島は最初は無教会の陣営にいて、塚本の影響を受けていたのです。原始福音の機関誌『生命之光』は塚本虎二先生記念特集号(277号、1973年10月)で、手島は「あゝ 私の塚本先生は逝かれました」と言い、原始福音と無教会との関係を詳しく書いています。

塚本は、のちには手島から離れて、塚本は無教会の「伝統」である「聖書」に戻り、再び翻訳に力を注ぐのですが、その原始福音から離れる時に、かつての「教権か聖霊か」の二者択一の思いはどうなったのでしょうか。

(塚本の終生の事業であった聖書改訳も内村から始まることを知りました。「もともと塚本の聖書改訳も内村から出た課題である。内村は現行の文語訳は文章が優美すぎるから元訳を台本にし、正文学などの止むを得ない変更を加えて、2年位で訳了するというプランを出した。塚本はこれを快諾したが、これが予想をはるかに越えた大事業で、新約聖書全体を一応改訳するのに15年、これが『塚本訳口語新約聖書』としてその分冊第1「マルコ福音書」が公刊の運びになるまでには、更に10年の歳月を必要としたのである」-安藝基雄氏)

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コメント

 興味あるお話しありがとうございました。
 ただ、少し疑問なのは、「教権」と「聖霊」との関係です。「聖霊」と信仰の自由は、どこまで結びつくものでしょうか。私は無教会ですが、カトリックにおけるサクラメントも聖霊の現在という信仰に立っているように思います。信仰の自由はむしろ、言葉(ロゴス)を自分の信仰体験に基づいて行う(=実験)ことにあると思います。したがって、信仰を信仰箇条と同一視しないところに、無教会の真骨頂があると思います。

投稿: 旅人 | 2007年3月 2日 (金) 14時18分

旅人さん、コメントありがとうございます。

疑問点を正確に理解していないかも知れませんが、感想を書きます。

さて、実験という言葉が使われていますが、内村が、この言葉をよく使っていたと思います。その文脈で、私は、この言葉を信仰体験の実践ではなくて、その前段階の信仰(入信)への勧めのように読んできました。信仰を前提にして、聖霊の体験(現在)が起きるのだと思います。この結果は、誰にでも必ずあるのだよ、そういう気持ちで、実験という言葉を使っていた、そう理解してきました。

それから、信仰を信仰箇条と同一視しないという点ですが、なぜ、そうされるのでしょうか。信仰箇条と同一視すると、見える教会の形成につながるからかも知れません。そうすると、無教会は教派になります。その教派になることへの抵抗があるのかも知れません。教派になることを拒否して、教派の時代の彼方を待望しているように思えます。そこに、私は意義を感じています。

あるいは、信仰は主体的なもの(生み出すもの)であり、信仰箇条は客体的なもの(生み出されてもの)、その違いを重視しているのかも知れません。

しかし、信仰箇条は、キリスト教の本質を問うていく時、やはり無視はできないものと思います。

投稿: | 2007年3月 2日 (金) 15時28分

実験について、たとえば、こんな言葉があります。

「(内村の)実験の原型はいうまでもなくアマスト時代の回心である。・・・経験の視野の外にあるものを理論的に先取りしないのである」(『内村鑑三』(関根正雄著、清水書院)

回心というものは、一つの経験ですが、森有正の「経験・体験」の区別では体験となるかと思います。彼にとって、「アマスト時代の回心」と言うものは何か、確実なものであって、いつも、そこに返ったのではないかと思います。そこには、自分に起きた、だから、誰にでも起きる、といった意味が込められていたのではないでしょうか。でなければ、実験でなくなります。

こういうものがキリスト信徒の生活の中で必要なのだという主張は、ピューリタンの遺産の大切な部分と思います。

投稿: | 2007年3月 2日 (金) 17時19分

 アマースト時代の「回心」とは、自分を見ずに十字架上のイエス・キリストを仰ぎ見ることにより救いを見い出したということであると思います。これは贖罪の信仰だと考えていますが、それにより彼が殊更に主体的になったとは思えません。彼は帰国後、多くの患難を経て、復活の信仰と再臨の信仰とを与えられたわけですが、信仰を信条として体系化したり、結晶化したりすることはなかったと思います。それは、「聖書之研究」を読んでいて非常に感じます。(「聖書之研究」については、私なりに現代訳をしてみました http://6304.teacup.com/mitubasanokageni/bbs?OF=0&BD=5&CH=5 ので、御覧いただければ幸いです)。
 内村の「実験」は、多分に国・社会・家族などからの迫害というニュアンスが込められており、重たいものであると思います。

投稿: 旅人 | 2007年3月 4日 (日) 11時16分

「聖書之研究」の現代訳、最初の頁だけ読ませてもらいました。全部はなかなか膨大で、時間を要します。少しずつ、読ませてもらいます。内村美代子さんの仕事の継続ですね。一度、御自宅でお会いしたことがありましたが、亡くなられたことは、今年になって知りました。

ところで、「キリスト者の慰め」(http://blog.goo.ne.jp/eliyah/)というサイトがあります。書き方が内村に似ていて、内村の再来かと、ちょっと思ったことがありました。愛読しています。

また、「内村鑑三と朝鮮」(http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/kanzou_profile.htm)にも、内村関係の資料が集められています。

内村の影響は深いものがあると思います。

投稿: | 2007年3月 4日 (日) 18時13分

岩下壮一の「信仰の遺産」を読みましたが、無教会派に対する嫌悪感・非正統性(裏を返せばカトリックの優越性・正統性)のようなものが感じられました。要するに俗な言葉で言えば、旧住民が新住民に対し、「昨日今日来たやつらに何がわかるか。我々が長年大切に守ってきた普遍正統的な教義を教祖ぶった人物の勝手な解釈でゆがめてもらっては困る」といった感じです。塚本虎二との論争がどんなものだったのかもう少し詳しく教えてください。

投稿: | 2014年2月20日 (木) 10時24分

そうですね。確かに、岩下壮一には、プロテスタントに対して対決的姿勢があって、プロテスタントの信仰者には、少し警戒を要する一面があると思います。しかし、それも、当時の状況では逆にカトリックへの無理解が一般的ということから、岩下の中に、そんな態度が生まれたのかも知れません。
上智で教えていたカトリック信徒のある学者は、「第二バチカン以前の人だから」ということで、岩下はもう古いといった評価をしていたこともあります。そんなことで、今では、カトリックの中でも岩下に対する関心は少ないと思います。忘れられた人の一人になっています。しかし、岩下の功績は、知識人にカトリックへの関心を喚起したという点にあるかと思います。
一方、内村鑑三は、最終的には「カトリックには帰らない」という姿勢でしたが、それ以前はカトリックを評価する文章も残しており、どこか心の中で惹かれるものを感じていたのかも知れません。一方、塚本虎二はカトリック批判の立場で一貫していたと思います。
塚本と岩下の論争は、『聖書之研究』に出ていますが、内村は、それを読んでいて、どう思ったか知りたいと思いますが、それは分かりません。しかし、そのあと、内村は塚本の立場に距離を置くようになります。それは、自分は教派、党派のようなものとして無教会を主張していないのだけれど、塚本は、そのようなものと理解しているということではなかったかと思います。そこで、内村は、自分は今流行の無教会主義者ではないと言ったのだと思います。
内村の立場は、『峻烈なる洞察』という武田清子さんの本に示唆されていると思います。米国の女性宣教師が、無教会と言っても一つの教派だという理解に対して、少し同意できなかったという内村の立場が書かれています。
内村は「第二の宗教改革」と言いましたが、それはプロテスタント信仰の徹底と同時に、どこかで、それを超えるものを見ていたのだと思います。そこに、カトリックとの接点を感じていたのかも知れませんが、あの時代では、やはりカトリック回帰の道は閉じざるを得なかったのだと思います。

投稿: | 2014年2月20日 (木) 12時29分

ありがとうございました。手元には内村鑑三全集(岩波書店全40巻)しかありませんから,機会があれば、今井館等訪問して調べてみたいと思います。しかしながら、教権か聖霊かということから直感的に受ける印象は、この論争は、内村等のグループにカトリック側の所謂普遍性が存在しているかどうかということに行き着くのではないでしょうか。実際、内村も自分をミスチック呼ばわりする外国人宣教師が多いことを認めています。因みに、実験という言葉を私は、「木はその果を見て知らる」の果であると解釈していました。従って、時間的には、後から振り返ってその効果を果として確認できるもので、聖霊の刻印がどのような形をとるにせよ(たとえカトリック側からは到底容認できないような)、この果は事実として普遍性を持つということではないでしょうか。

投稿: | 2014年2月20日 (木) 15時31分

「教権か聖霊か」という選択で、塚本虎二を思い出しました。塚本は聖霊の立場で、そこから後に、手島郁郎の「原始福音」の運動に関わるようになったのだと思います。「原始福音」も聖霊の働きを強調しています。原始福音の機関誌の表紙に塚本の写真が載ったことがありました。原始福音もスタートは無教会との接点を持っていたのだと思います。
さて、「実験」という言葉ですが、「果」に対応するのかと言えば、私は少し違うかも知れないと思います。果を生み出すもの、すなわち人間の個人的な変化ではないかと思います。回心体験のことです。内村で言えば、アマースト大学のシーリー総長の感化で与えられた信仰の原点のことです。これは、内村個人においては疑うことのできない原点でしたが、まだ「果」としては現れていないと思います。「信じたら何かが起きる、その何かはその人個人にとっては疑うことのできないくらい確実なことである。これが確実かどうか、試してみないか」。そんな思いで「実験」という言葉が使われたのだと理解しています。

投稿: | 2014年2月21日 (金) 10時11分

内村の実験にはreal experience(fruitとして確認されたもの)の他に、adventure(tryよりも強いと思います)の要素のあることは承知しています。しかし、内村が「聖書之研究」において使用している実験は復活信仰に係わるときは後者のニュアンスが強いものの、それ以外は、概して前者の意味で使用しているように思います。ところで、最近は海外の内村研究が盛んのようですが外国人が実験を翻訳するときはどうするのでしょうか。かって、岩下壮一の親友九鬼周造が「粋」にあたる外国語の選択に当惑しましたが、内村の「実験」は彼の信仰の根幹に係わるものですから、これだというものがでてくるか興味のあるところです。個人的には「jikken」として注解で補うしかないようにも思えます。

投稿: | 2014年2月21日 (金) 13時08分

訂正 『峻烈なる洞察』→『峻烈なる洞察と寛容』(武田清子著、教文館)

私も、実験は real experience を指す言葉と思います。それはペンテコステの体験が今もあるのだという前提に立っていると思います。言ってみれば、大衆伝道者が聴衆に向かって、信仰への招きをする時の言葉のようでもあります。この real experience は (fruitとして確認されたもの)とありますが、信仰者においては、あるいは内村個人においては確認されていても、それを聞く人にとっては、まだ未知のものとしてあると思います。そして、復活信仰とか、再臨信仰とかという時は、この実験によって与えられた確実なものを基礎にして、なお望むことが許されているということなのだと思います。それは、空虚な望みではなく、望む根拠には確実なものがあるという意味です。だから、私にとっては、実験というのは、新生という意味です。回心とか義認とか、深く関連している言葉もありますが、回心は心の動き、義認は神の判断であり、新生だけが、自分の中に起きた変化を表現しているように思われるからです。

投稿: | 2014年2月21日 (金) 16時37分

内村は人を霊 精神、肉体の三性に分けて論じていますが、新生についてはこんな風に考えていたんだと思います。原子に核があるように霊にも核のようなものがあって聖霊を受けた霊核は変容を受ける。この変容霊核はキリスト再臨の時に満期を迎える約束手形であり、満期時に変容霊核にかなう復活体をもって支払われる。この満期までの人は、いわば人類の新種(new species)である。因みに、変容霊核が復活する様は、停電が復旧するとき全戸一斉に灯りがともるイメージです。(これらの比喩は「聖書之研究」の読者層を念頭に置いたものだと思いますが) 新生、自分の中に起きた変化、これが実験の意味だとすると、無教会の人々にとっては洗礼に相当するものであり、もし内村教(本人はそういう動きを厳しく戒めていますが)なるものがあるなら、極めて重要な位置を占める教義になりますね。

投稿: | 2014年2月21日 (金) 20時19分

人間の構成要素を三つに分けるのは、一般的と思います。霊と肉と言った時は、信仰か不信仰かという、人間全体のあり方で、構成要素のことではないと思います。三つに分けた場合、肉体は分かりますが、霊と精神をどう見るのだろうか、違いは何かと思います。精神というより、あるいは心と言った方がよいかもと思います。人と神との接点において、人の中で働く個所がある。そこが人中心、核で、霊とか精神と言われる。しかし、神との関係を考えなくとも、心の働きは人間に普遍的に見られるわけです。さて、霊核とか、変容霊核という言葉は、内村の文章には出てこないように思いますが、それで説明されていることに異論はありません。確かに、実験は洗礼に相当する言葉のようにも思いますが、それは洗礼の本当の意味に当たるものと思いますが。「洗礼晩餐廃止論」を書いた内村ですが、それが示している霊的現実を否定しているとは思いません。

投稿: | 2014年2月23日 (日) 18時02分

spirit,mind,fleshだと思います。mindには理性も感情も含まれると思います。mindはspiritに接触しているというより浸潤しているが、核までは達していないので神は捉えられないと内村は考えているように思います。但し、スピノザのような哲学者は理性で捉えることができると考えていますが、神即自然のキリストの登場しない汎神論者にとっては必然的な帰結と言えます。内村もそのことはきちんと説明しています。なお、霊核、も変容霊核も私の造語です。異論ないとのことで安心しました。ところで、内村の考えていたことを伝道的な意味で、さらに広めるなら、口語訳以外にも、工夫が必要と思いませんか。例えば、ロマ書の研究では大伽藍の構造に例えて図示しているし、その他、楕円を使ったり、三角形を使用したりもしています。新造語、図形描画等検討できないものでしょうか。

投稿: | 2014年2月23日 (日) 23時06分

人間の理性で神を捉えることができるか、という問いに対して、トマス・アクィナスは、神の存在は可能だけれど、啓示に関しては出来ないと考えていたようです。トマスに関しては、故山田晶氏の本に教えられるのですが、存在までは到達可能ということから、自力救済的要素を拡大して考える人たちがいるようです。理性で捉えられる神と、啓示の神は同じ神と思いますが、そうなると理性で捉えられる神を中心に考えた場合、どうなるのか、ということで、なかなかトマス解釈も難しい面が出てきそうです。
内村の文章を、そのまま読むことは今では難しいです。教文館の『信仰著作全集』で内村に親しんだ人も多いと思いますが、これは、祐之さんの妻、美代子さんが読みやすくしているから読めるのだと思います。かつて、初出本が岩波書店から出ましたが、これだとなかなか読めません。これにたずさわった人の一人が鈴木範久氏でした。
内村の問題意識、問題提起は今でも古くはないと思います。そんなことで、近代日本のキリスト者の中でも、今でも取り上げられ、文献が続々生まれているのだと思います。そんな中で、新しい試みが出てきてもいいと思います。

投稿: | 2014年2月25日 (火) 10時48分

岩下の親友だった九鬼周造の主著「偶然性の問題」には本人が工夫した図解による解説がふんだんに使用されていて、偶然性、可能性、必然性、現在、将来、過去、絶対者、運命、摂理等がすべて円、実線、点線、点、接線等で説明されています。内村の言うローマ天主教の懐の深さというのは、布教の手段として宗教画家や作曲家らにその種の表現を許していたことにも表れていると思います。例えば、キリスト教最大の秘儀、Et incarnatus est de spiritu sancto ex Maria virgineでは、鳩の嘴から発する光線が処女マリアの耳(中世の精神は人間の姿をとる前のキリストを文字通り「ロゴス」として理解しており、神の言葉は耳を通じて肉体に入る)に入って受胎したことになっているし、フルートのトリルで鳩の羽ばたきを表現したりしています。さすがにBeethovenは「misa solemnis」でこれらの陳腐な表現には飽き足らず、近代の調性を使わず、中世の旋法に切り替えてこの場面を描いています。私は特にコリント前書15章などはもっといろんな比喩が試みられてもいいのではないかと考えてます。(農学部出身の内村は生物学的見地の説明をしていますが)

投稿: | 2014年2月25日 (火) 13時05分

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