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2007年3月 2日 (金)

「福音の妨害者」

『日本の覚醒-内村鑑三によって』(リブロポート刊)という本がある。

新保祐司氏と富岡幸一郎氏との対談集であり、その中に「福音の妨害者」としての「柳田国男」論というものがある。

内村の影響が以前よりも小さくなってきた理由として、新保氏は「福音を妨害した者たちがいる」と言う。それに対して、富岡氏は「柳田国男をはじめとする民俗学」を挙げるのである。

「新保 柳田国男が影響を受けたものの一つと言われているハイネの『流刑の神々』というのがあるんですね。ゼウスをはじめとしたギリシアの神々が、キリスト教に征服されて流されて、渡し守とかになっているというわけです。そういう流刑にされている神々をロマン主義は復権していくわけです。柳田は、それに影響を受けたっていうんだけど、日本の場合は、福音はまだそこまで一回もいっていないじゃないですか。古き神々は流刑の神々になっていないんです。それなのにハイネをもってきて、ギリシアの神々ほどでもない土着の神々を掘り出してくるわけですよ。あれはいったいなんだったのか、と思うんですよね。福音に対する防衛戦線だったんじゃないだろうか」(42頁)

同氏は、柳田以後の民俗学に対して、「現代の『痴愚神礼賛』を生んでいる」として、「民間信仰なんていう言葉は、実にいかがわしい言葉だ。こういうもっともらしい学問ぶった言い方が迷信を格上げしちゃうんですね。そういう民間信仰の無意味な評価が真の信仰を妨害するんだね」(43頁)と言うのである。

しかし、「民俗」「神々」の中にも、創造の痕跡が、いくらかでも残っているのではないだろうか。神は万物の造り主というのだから、神と万物は無関係ではないであろう。

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