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2007年3月26日 (月)

ルターの発見

「スコラ神学の最大の権威者トマス・アクィナスは、この義認のための準備が神の恩恵と自由意志との協働によって行なわれると初め説いたが、後に恩恵の先行性を強調し、この命題では恩恵を受けるに値する功績が自由意志に帰せられているのではない、なぜなら恩恵は無償で与えられるから、と説くにいたった。それに対しオッカムとビールにおいては義認への準備を自由意志の功績に帰する解釈がなされた。恩恵は救いと善いわざにとって必要であるにしても、信仰の行為の発端はもっぱら自由意志にかかっていると説かれた。この解釈は一般にはセミ・ペラギウス主義の特質であるといえよう」
(『教育改革者ルター』金子晴勇著、教文館、200頁)

トマスは、最初は、神人協力説のセミ・ペラギウス主義を説いていたのだが、アウグスチヌスの学びのあと、その説を捨てて、信仰による義認に変わったと、以前、本で読んだことがありました。それが、ここでも確認できました。引用個所には、最初の部分に、命題集注解、真理論、後者には、神学大全の個所が明示されています。また、セミ・ペラギウス主義については、『アウグスティヌスの恩恵論』金子晴勇著の169-194頁にも取り上げられているようです。

カトリック教会は、時に、セミ・ペラギウス主義であると言われる場合があります。この本では、オッカム主義には、その指摘は妥当するが、トマスは、最終的には、そうではない、ということになります。ルターは、オッカム主義の中で身につけたセミ・ペラギウス主義を克服した、と理解すべきではないかと思います。しかし、オッカム主義はカトリックのすべてではないと思います。

このへんの議論は、きっちりと詰めておかないと、互いに誤解すると思います。

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