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2007年3月30日 (金)

国学とキリスト教

平田篤胤が自分の学問を形成していく中で、キリスト教を取り入れていったことに関して、さまざまな研究がされてきました。

主な資料に、海老澤有道著『南蛮学統の研究-近代日本文化の系譜- 増補版』(創文社、1978)があります。

この412頁には、こう指摘されています。

「『本教外篇』が天主教書の影響を受けたことは村岡教授の研究により明らかである。──伊東多三郎氏はさらに村岡氏が漠然と天主教書の影響を指摘した本書の主要部を、アレニの『三山論学紀』の改作であることを指示して本研究を発展され、魚木博士、西田博士また諸論に言及されたが、──」

この部分の注として、次のような文献があげられています。

*伊東多三郎氏『洋学と国学』(歴史学研究7-3)、及び同氏『禁書の研究』(歴史地理68ノ4-5)
*魚木忠一『日本基督教の精神的伝統』(115-135頁)
*西田長男博士著『神道史の研究』
*海老沢有道著  ①『鎖国史論』157-162頁、②『キリシタン文化概説』33-37頁、③『現代日本宗教の史的性格』17-20頁、④『日本史概説』205-207頁

平田篤胤の国学と天主教教義との関係については、マテオ・リッチの「天主実義」という指摘もあるのですが(山口鹿三氏の「声」誌への寄稿)、海老澤氏は、在華イエズス会士、アレニの著「三山論学紀」と篤胤の「本教外篇」とを比較対照して、そこに「改作」を指摘するのです。そして、この「本教外篇」において、「『天主』を国常立尊などに当て、復古神道における創造主宰神観を形成した」(「日本キリスト教大事典」)と言います。

これが、果たして「改作」なのか、篤胤はどう考えていたのか、また、このことと篤胤が江戸追放を受けたことと関係があるのか、それらは、まだ分かりません。「改作」ではない、という反論もあるかも知れません。

一方、国学とプロテスタントとの関係については、佐賀藩和学寮の教官南里有隣が、在清プロテスタント宣教師ウィリアム・マーチンの教理書「天道溯原」に基づいて著した「神理十要」(安政6年、1859年)で、篤胤と同じ見解に到達していて、村岡典嗣は「南里有隣の神道思想」で紹介しているとのことです(418頁参照)。

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