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2007年3月22日 (木)

死の準備教育

2006年5月14日、放送大学で、「死の準備教育」という題での授業・講義があった。大切なテーマと思う。

死を避けずに、テーマにし続けること、そして死への免疫を作ること、それは同時に生きることの意味を問いかえすことと同じこと。そんな視点で、この課題を継続的に追究していって欲しい。

ところで、だいぶ前から、カトリックの神父さんが、死の準備教育を提唱している。

思えば、孔子も釈迦も、死については語っていない。問われることはあったらしいが、むしろ、生きることに目を向けさせた。死の準備教育の意義を認めていなかったのであろうか。死後について、人の何かが残るということを考えなかったのかも知れない。

釈迦は四苦の中に「死」を入れているのだから、問題意識はあったのだろう。

ところで、カトリックの教えは、死後もまた、人の存在は続くというもの。この違いが、神父さんらに死の準備教育の必要性を裏付けているのではないだろうか。であれば、死の準備教育に賛同する人たちは、死後もまた人は何らかの形で存在し続けるという考えに異論はないということかも知れない。

孔子や釈迦の教えに逆らい、今も多くの日本人は、死者に対して、安易に「天国に行った」と言う。そのことに抵抗を感じていないように思える。果たして孔子や釈迦は、どう思うだろうか。

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