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2007年3月 2日 (金)

森有正・私論

 森有正は暁星中学校を卒業して、東京高等学校に入学、更に東京大学文学部仏文科に進んだ。卒業後は第一高等学校教授になり、母校仏文科の助教授になったが、1950年秋、戦後初のフランス政府留学生になってパリに行き、ついに東大には戻らなかった。

 森は、小学校3年生の時を振り返って、自分の性格分析もしているが、外部には「秘密といえば、大袈裟になるが、わからないところがたくさんある」(伊藤勝彦氏、『森有正全集』付録「森有正をめぐるノート」7、5頁)とも思われており、その解明は今後の課題となるのではないだろうか。

 その複雑な性格形成の解明の一つのヒントは、あるいは森が少年期に、カトリックとプロテスタントの双方に深く係わってしまったということではないだろうか。

 森の妹の関屋綾子氏(故人)は、兄は1913年(大正2年)の秋ころ、富士見町教会で佐波亘牧師から洗礼を受けたようだと言っている。それは2歳の時の幼児洗礼であった。この富士見町教会は、森にとっては、植村正久と父とのつながりで、無関係な教会ではない。

 しかし、その後、どんな理由でかは分からないが、カトリックの暁星小学校に入学して、中学を卒業するまで11年間、フランス人の神父や教師たちと寄宿舎生活を送っている。当時の中学校長は、東大仏文科開設者の一人で、岩下壮一にカトリックの洗礼を授け、またラファエル・フォン・ケーベルをもカトリックに改宗させたエミール・エックであった。

 森は、ここで、カトリックへの回心を強く勧められたこともあって、プロテスタントとカトリックとの間にあって苦悩したようで、「何回も精神上の危機を経験したにも拘らず、結局、僕は回心しなかった」(『森有正全集』13、239頁)という。この回心の意味は、カトリックへの回心なのだろう。しかし、その後の森の学問は、この暁星時代に決定されたといってもいい。

 このようにプロテスタントとカトリックの双方に深く関係してしまった森の性格が複雑になるのは当然ではないか、と思う。

 森はカトリックの国・フランスに26年も住むことになるが、カトリック教会への転入をしなかった。だが、54歳の時の日記に「夢の中で僕はカトリックに回心していた」(『森有正全集』13、239頁)と言っている。晩年、健康がすぐれないながらも、プロテスタント教会とカトリック教会の関係などのテーマを抱いていたようだが、この問題で悩まされている人は、今でも多いのではないだろうか。

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