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2007年3月31日 (土)

親鸞思想

キリスト教の信仰義認に似た考え方が、浄土真宗にもあるようです。

「現生正定聚」(げんしょうしょうじょうじゅ)といって、「現生に仏となる身と正しく定められた者」という意味だそうです。

その説明としては「浄土真宗も浄土教ですから、浄土に往生して成仏するという考え方をとっていますが、同時に、人はほんとうに信じ念仏をするならば、そのときその人は、そのままでもう必ず仏になることができる身分になると教えています。来世ではなく、この現世において、です」と言われています。
(NHKこころをよむ『<かなしみ>と日本人』竹内整一著、NHK出版、62頁)

これは即身成仏と、どう違うのかな、と思います。空海の「即身成仏」に対して、親鸞も、親鸞なりの「即身成仏」を説いているのかも知れません。著者は、「むろん、生身にまだ煩悩をまとっていますから、仏そのものにはなれない、その意味で、「同じ」ではないが「等し」いのだと言っています」と、この親鸞思想を解説しています。

ここまでくると、新生・聖化・栄化という、キリスト教信仰における個人意識の変容と似た考え方だなあ、と思います。成仏は栄化でしょうが、「念仏によって現生正定聚を得る」ということは、「信仰によって義とされる」に対応するのではないでしょうか。それに新生が続きます。新生は聖化の出発点で、そのゴールが栄化なのでしょう。

著者は、こうも言っています。

「こうした考え方を、ここに当てはめて考えてみますと、念仏をして仏になって救え、というのは、信じ念仏したとしても自分はまだ仏そのものになっていないが、その身のままで、仏と「等しく」なれる、仏の働きが自分の中に働いてくるからそれで救え、ということになります。その働きは仏の大いなる慈悲心ですから、相手に届くものになっいるはずです。それはたとえ、自分が言ったりやったりすることであっても、決して自力の働きではなく、仏の他力の働きとして働いてくるということです」(62-63頁)

こういう言葉は、キリスト者においても大いに参考になるのではないでしょうか。

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コメント

『パウロと親鸞』(佐古純一郎著、朝文社)が、浄土真宗とキリスト教との比較に関して、分かりやすく、興味深く書かれていると思います。

投稿: | 2007年4月 4日 (水) 17時20分

浄土真宗からキリスト教に信仰を変えた人の著書が何冊か、ありますが、『パウロと親鸞』は、他のものと比較して、アプローチの仕方には教えられるところがあります。親鸞を否定せず、対話をしようとしています。対話の条件を再考させられます。このジャンルの本を集めて、互いに比較してみたら、そこからも何かが得られるかも知れません。

投稿: | 2007年4月 6日 (金) 11時18分

佐古純一郎さんてこちらが安らげる真面目さを感じます。

投稿: | 2008年6月21日 (土) 00時55分

佐古純一郎さんにはこちらが安らげる真面目さを感じます。

投稿: | 2008年6月21日 (土) 00時55分

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