« 言葉使い | トップページ | 「我思う」再考 »

2007年3月19日 (月)

ドイツの教会

ペリカン著『ルターからキェルケゴールまで』という本を興味深く読んだ。以下は感想。

ルター派の神学と哲学との関係、キリスト教思想の解明という点で興味があった。メランヒトンから始まるプロテスタント・スコラ学というものが正統主義を形成したのであった。

ルターはアリストテレスを拒否したのだが、彼の後継者メランヒトンはアリストテレス主義をルター派教会の中に導入した。そして、ルターの本意とは違う教会が出来てしまったのだという。ルターにとって、アリストテレスは何であったのだろう。

ルターとルター派教会とは、違うという。ルターはルター派教会の中で浮き上がっているとしたら、ルター派の信者が自分の信仰の確立のためにルターの本に親しんでいく時、それはルター派教会の実体から離れる。アリストテレスに対する評価に関して、ルターとメランヒトンには対立があった。その意味は何なのだろうか。

メランヒトンによって形成されていくルター派教会というものは、ルターの意図に反して恐ろしく、哲学的な教会になっていく。そして、ドイツという国が哲学の国になっていく。しかし、それは中世のような壮大な体系を形成することは出来ずに、人間の主観性の展開という性格を帯びたものになった。

カントの意義というものは、ルター派正統主義と敬虔主義との間にあって、信仰の領域に有害な思弁を追い出すということにあったのであろう。彼の評価というものは、彼の置かれていた環境を除外しては理解できないのである。

さて、中世というものはギリシャ哲学とヘブライの信仰との総合であった。そして、プロテスタントの批判というものは、その総合が並列的総合であり、そこにあっては、信仰が歪められたというものなのではないだろうか。しかし、その総合は並列的ではなくして、階層的であったのではないだろうか。そこでは、総合により、ヘブライの信仰の本質は失われなかったのである。少なくともトマスにおいては、そうであった。従って、中世はやはり、人間ではなく、「神中心の時代」という性格を持ち続けるのではないだろうか。

|

« 言葉使い | トップページ | 「我思う」再考 »

コメント

宗教改革とは、いったい、何であったのだろうかと思う。いろんな原因があったのだろうが、改革者たちはアウグスチヌスの権威に訴えたという点では、アウグスチヌス解釈の問題があったのかも知れない。

ルターはガラテヤ書を重視した。その中に、「パウロ、ペテロを非難する」という個所(2章11節-14節)がある。この場面に結び付けて、あの16世紀の騒動を考えるのも面白い。

しかし、この宗派対立は、西洋では、そうとう深い傷を残したのだと思う。しかし、日本では、キリシタンが同じ国民に徹底的に弾圧されたことはあったが、それは宗派対立ではない。このへんに日本の役割りがあるのではないだろうか。内村鑑三は、それを示唆しているような思う時がある。

投稿: | 2007年3月19日 (月) 15時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 言葉使い | トップページ | 「我思う」再考 »