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2007年3月20日 (火)

休み

「休む」という字は木の傍らに人がいるという意味である。これは実に暗示的な言葉である。この場合、木はキリストの十字架と思えばよい。

昭和5年3月28日、内村鑑三が亡くなり、2日後の30日、今井館聖書講堂で石原兵永の司式で内村の葬儀が行われた。その時、藤井武は告別説教「私の観たる内村先生」の中で、こう言った。

「考えて見ますと、私どもは最初から十字架の木の下に先生を発見したのでありました。先生はその信仰生活の首途からして、しっかりこの木を握っていました。そうして爾来50年間1日もこれを放すことをしませんでした。先生は十字架をかざして現れ、十字架にたよって戦い、十字架にすがって去りました。十字架を離れて内村先生なしであります。先生を十字架から引き離して考えるほど無意義なことはありません」

十字架の木の傍らで、人は永遠の休みを得ることができる。しかし、実際は、復活、そして聖霊降臨においてである。木の傍らにいても、聖霊の内住にあずかっていない人の場合、魂に休みがあるのかどうか保証はしない。

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