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2007年4月30日 (月)

スコラ哲学

スコラ哲学は、9世紀ごろから宗教改革の始まる前、15世紀まで、教会や修道院附属学校(スコラ)の学僧の説いた哲学と言われる。内容については、こう言われている。

「超越的恩寵による啓示的真理と、自然理性による論証的真理とを、いかに区別し、かつ調和させるかということ」、そして「アリストテレスの形而上学と、キリスト教の啓示的真理とを、全く一致調和するものとして、一つの体系に完成させたのは、トマス・アクィナス(1224-74年)であった」

「ルターはこれに真向から対決せざるをえなかった。それは神の超越的真理を、人間理性で操作できる一般論に解消することに対する反対、と解することができる」

(以上『ルターと内村鑑三』高橋三郎・日永康共著、教文館、144頁)

この文章には注が必要ではないかと思います。まず、「アリストテレスの形而上学と、キリスト教の啓示的真理とを、全く一致調和するもの」とはトマスは言っていないと思います。アヴェロエス的アリストテレス主義の方が、あるいは純粋な、一貫したアリストテレス主義で、トマスの方は、キリスト教信仰に抵触する部分に関しては、アリストテレス主義を修正しているのです。

また、「神の超越的真理を、人間理性で操作できる一般論に解消することに対する反対、と解することができる」とスコラの説明をしていますが、スコラでは、哲学は「神学の侍女」と言われていたのですから、「人間理性で操作できる一般論に解消する」ことは、少なくともスコラの精神ではなく、ましてトマスにおいてはなかったと思います。

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ドイツ指し 詩と哲学の 国という
 この国もまた その幻を

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桜花の民

桜花見て 華やか・あはれ 感ずれば
 民みな詩人 歌作らずも

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祈り

人権の 侵害さるる 世を見ては
 天のみこころ 地にもなれかし

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タレスさん

タレスさん 足もと注意 今もなお
 転ばぬように 哲学者さん

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善悪判断

善悪の 判断せねば 立ち行かぬ
 判断難し 戸惑う我は

良心と 信仰に生く ほかになし
 歴史審判 法廷送り

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菅原都々子さん

細い声 情感たたえ はっきりと
 不思議な魅力 聞く至福時

4月30日朝、菅原都々子さんの曲が深夜便で流れました。

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精神と心

精神は 心と違い 凛として
 張りつめたもの 心の中で

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2007年4月29日 (日)

いじめ

五人組 掟ありしを 思う時
 いじめの因か 血の結束を

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2007年4月28日 (土)

伊藤博文の提案

「玄侑 近代国家を作るためにどんなヒエラルキーを用いるべきか調査するためにヨーロッパに視察に行った人たちの中で、伊藤博文は日本の宗教はキリスト教にしたらどうかなんて言っていますね。
梅原 そうですか。それは面白い。…」

これは玄侑宗久対談集『多生の縁』(文藝春秋、174頁)にあります。

伊藤博文は、明治憲法制定のための「提案」の中で、ヨーロッパ事情を説明し、そこにはキリスト教があるが、日本で、それに替わる精神的軸になるものはないだろうか、その時、仏教、神道は不十分で、ただ皇室の伝統が一番いい、と、そんなことを言っています。

玄侑さんの発言は、それとは別の資料があるのでしょうか、と思います。伊藤は、玄侑さんの言うように、日本の宗教をキリスト教にしようとは言っていないと思います。

「日本の宗教をキリスト教に」というのは、日本の国教をキリスト教に、という意味かも知れませんが、そういう提案はないと思います。しかし、明治体制の中に、平田篤胤の神道が入っていく中で、篤胤の中にあったキリスト教取り込み要素も混じっていき、そこにキリスト教を発見する場合もあった、それはありうると思います。

明治国家神道体制の本質に関して、ある小説が、主人公の発見の驚きと共に描いています。堀田善衞氏の『若き日の詩人たちの肖像』です。集英社文庫の下巻の319頁以下に書かれています。平田篤胤が神道の中にキリスト教を引っ張り込んだ、というのですが、これは、よく知られた話です。

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玄侑宗久さん

僧侶にて 死を問う作家 ここにあり
 釈迦は答えず 四苦の一つに

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相田みつをさん

みつをさん 長男さんの 話聞き
 人生のコツ 教わりし感

自らに 言うその言葉 力あり
 説教に似て それを超えるか

弱き者 見るまなざしに 同情の
 思い溢れて 溢れ出るなり

道徳の 教育急務 その時に
 よき教材と 我は思えり

相田みつをさんの長男で、相田みつを美術館館長の相田一人(かずひと)さんの話が深夜便でありました。

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2007年4月27日 (金)

第二の宗教改革

「第二の宗教改革」というのは、内村鑑三の言葉である。内村は、こう言っている。

「ルーテルの行いし以上の改革を要する。信仰の上に愛を加うる改革を要する。ガラテヤ書ならで、ヨハネ書に由する改革を要するのである。もちろん信仰抜きの改革ではない、信仰を経過して然る後に愛に到達する改革である。ルーテルの改革を改革する改革である。われらはルーテル以上の改革者たるべきである。…」

ルターを越える、同じような改革の要求は改革派にもあると思う。しかし、その時、ルターが批判したカトリック教会の中にも、そのような発想は、既に取り上げられている。

カトリック教会も「信仰義認」というと、あのルターの改革は何であったか、ということになるが、トマス・アクィナスの言うところは、ルターの根本主張と一致しているのである。

今は、余り使わなくなったが、以前、「成聖の恩寵」と「助力の恩寵」という言葉があった。信仰義認によって受ける恩寵は成聖の恩寵である。しかし、その後、聖化の段階がある。その聖化の階段を上っていく。その時に働くのが「助力の恩寵」なのだという。ということは、この恩寵は先行的恩寵や、一般恩寵とも異なるものかも知れない。

この点の詳しい解説は、『トマス・アクイナス』(印具徹著、日本基督教団出版部)の第三部の「第一章功徳論」(120-140頁)に書かれている。

そこには、ルターは「いわゆる「善行によって人は神の義に到達しうる」という当時のカトリック教会の教えと戦ったのである」(121頁)と記されている。これは、あるいは行為義認とか言われるのだが、トマスは、そんなことは言っていないのである。ルターと同じことを言っているのである。

ただ、「業による成聖」という言葉も当時のカトリック教会の考え方、ルターの批判した思想として出ている。

ところで、この「業による成聖」は何を意味するのだろうか。ルターの批判は「業による成義」なのではないだろうか。成聖は成義の基礎の上に成り立つものであるが、その成聖には「業」の要素があるのではないだろうか。トマスは功徳という。

そして、功徳論において、トマスは「功徳の最も深い本性が結局「愛」(caritas)であることを指摘しないではいられなかった」(131頁)という。

そこにおいて、内村の「第二の宗教改革」の目指すものと、トマスの功徳論には何か共鳴しているものがあると、私は感じている。

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慰安婦問題

狙い何 何度言ったら 分かるかな
 意図を知りたい ほんとの意図を

4月26日、安倍首相が米国で、従軍慰安婦問題で謝罪。日系のダニエル・イノウエ上院議員は「日本の首相が何人も謝罪しているのに、こういうこと(米国での騒動)が続くのかと思うと疑問を感じる」と述べた、と新聞は報じている。

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創造活動

創造の 活動を説く ベ氏ありて
 セミ・ペラなのか 疑い持ちて

ベ氏とはベルジャーエフのこと。

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2007年4月26日 (木)

アインシュタインの方法

昔、読んだ本に『アインシュタイン』(P.フランク著)というのがあった。オリジナルは“Einstein,his life and times”(by Philip Frank)。

そこに、アインシュタインの癖というか、知的発見の方法のようなものが書かれていた。こんな具合である。

「アインシュタインにとっては、社会のなかで考えむしろまたはそれを口に出すことによって自分の考えを知るに至るのが、いつも楽しいことであったのである」

「アインシュタインは、他の人々から多くの刺激を求めようとはしなかつたが、しかも彼は他の人々と何ら接触をせずに孤独のなかで彼の考えを展開することも好まなかった。彼はしばしば彼の心を自由に語ることができるような相棒のあることを好んだ。彼の経歴の初期の頃においてさえ、彼の考えが他の人々に如何なる反応を示すかをみるために他人に提出してみることを好んだ」

アイディアを、いくらかは公表してみよ、ということである。もし、重要な要素があれば、アイディア自らが人々を引き付けて成長していくだろう。その成長に関わっていくことで、自分も成長する。ベンチャー精神は、そのような些細な日常的「癖」から生まれるのかも知れない。

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内村鑑三の信仰

内村鑑三はウェスレーの影響を受けたのだろうか。そんなことを思った。直接的な言及があるのかどうか、知らない。ただ、無関係ではなかった。

内村は、アメリカのメソジスト・エピスコパル教会のM.C.ハリス宣教師から受洗している。だから、メソジストとの関係はある。また、明治26年に出来た『基督信徒のなぐさめ』の最後のくだりは、ウェスレーの臨終の言葉である。「何よりも善き事は神我らとともに在(いま)すことなり」。しかし、彼は、自分の信仰はウェスレーの影響を受けたとは言っていないように思う。

一方、ルターとカルビンに関しては、はっきり言っている。

ルターに関しては、『ルターと内村鑑三』(高橋三郎、日永康共著、教文館)の「ルターと内村鑑三」に詳しく書かれている。1910年10月から8回、「ルーテル伝講話」が『聖書の研究』に連載され、「自分はルーテル信者である」とまで言っている(『内村鑑三全集23巻』360頁)。

しかし、内村は、1917年12月「ルーテルの遺せし害毒」という一文を公にした。そこから、「第二の宗教改革を要する」という問題提起が生まれる。

このルター批判に関しては、高橋氏の「ルターと内村鑑三」に詳しく述べられている。プロテスタント国教会の非、そして教派主義への批判が「害毒」として取り上げられているが、この問題提起は、今でも有効なのではないかと思う。

一方、内村はカルビンの信仰についても触れている。

『内村鑑三日記書簡全集(1)』には、「自分はいわゆるカルビン主義教会に属するものではないが、信仰のコンポににおいてカルビン主義者であることは争われない」と言っている。

これは、内村の文通の友であった、オランダの作家フレデリック・ヴァン・エーデン氏がカトリックに改宗した記事への自身の信仰告白なのだろう。その記事に「驚いた」と言い、こういう感想も書いている。

「最も進歩せるカルビン主義の国なるオランダの文豪にして、今の世においてカトリック信者になる者があると聞いて、人の心ほど不思議なもののないことが、今さらながらに感ぜられた。しかし、エーデン君はエーデン君であり、余は余である。余はエーデン君にならってローマ・カトリック教会には行かない。ミルトン、クロムウェルの信仰をもってキリストの所に行かんとする」

しかし、カトリックも「信仰義認」であるとの立場を明らかにしている現在、内村は、あるいは、以上に紹介したのとは別の見解を持つかも知れない。

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北朝鮮

映像で パレードを見る そのシーン
 統制見事 世界で一つ

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2007年4月25日 (水)

近代哲学の探求

西洋の近代哲学思想には確かに魅力がある。それはキリスト教との関わりの中で生まれ、形成されてきたもので、光もあるし、陰もある。

近代日本に、それは紹介され、学ばれてきた。しかし、そこでは学ぶ人に信仰は前提されていない。その時、どれくらいの共感が起きるのだろうか。同時に、信仰によって強められていない理性が、西洋近代哲学の森の中に入る時、その核心にどれだけ迫れるのだろうか。また、それは危ない試みとはならないだろうか。その分野での探求を断念した人もいる。

信仰と理性の関係について、トマスは一つの考え方を提起している。スコラの原則と言われる。それは、哲学が、ギリシャ思想を受け継いで、神という、哲学(形而上学)の本来的対象に関わりをもち、理性の限界の認識とともに、その突破において、新たな力を与えられて、なおも探求を続けていくために、必要な前提と、私は思う。

中世哲学にしても、近代哲学にしても、信仰を棚上げした時に、どんな有意義な、理解の地平が見えてくるのか、なかなかしんどいような思いがしている。

もちろん、ラッセルのような批判もあるのだけれど。

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否定神学

『ロシア哲学史』(ラドロフ著)に、「ニコラス・クザヌスが肯定的神学と否定的神学とを区別した」とあった。

「存在の類比」の考え方にも、同じような見方があるのではないだろうか。また、ギリシャ教父の中にも、否定神学的要素は強いのではないだろうか。

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異邦人

街中に 無数の人が 行き交いて
 異邦人我 一人たたずむ

霊感を たたえる人も 時にあり
 言葉なくして ただ眺めおり

久保田早紀 「異邦人」聞く 深夜便
 同行二人 イエスと共に

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ふるさと

家を出て ふるさと恋し 魂の
 安住の地を いつも求めて

ふるさとの 山不動なり 永遠の
 み国の如く わが前にあり

ふるさとは エデンの園の 思い出か
 西田哲学 キーワードかも

ふるさとは 遠くに去りて 今はなし
 記憶の中に 常に生きおり

ふるさとは 時の旅人 めあてなり
 み国を祈る 心の中に

新井満氏が、NHK深夜便の歌で、石川啄木の、ふるさとを歌った短歌に曲を作り、自ら歌っています。最近は、新井さんは歌手でもあるようです。

ふるさととは、意味深長な内容を持つ言葉と思います。

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2007年4月24日 (火)

瞬間的救い

ジョン・R・ライスという人が、こんなことを言っている。

「祈れば祝福が加わって多くのものが与えられると信ずるのは決して誤っていない。たとえば、罪人が悔い改めて神により頼んで救いを求めてくれば、神はこれを迎えて、たちどころに憐憫と救いとを表したもうのは明らかである。ゆえに罪人はただちに救われる。罪人が救われるのに、いつまでも自分の罪を悔やみ、神をさがし求めるのに長い時は決していらない。キリストにより頼む心さえあれば直ちに救われる」

これはライス著『祈の驚異』の中にある言葉である。古い本である。

ライスの他の著書は知らない。ただ、ビリー・グラハムの宣教活動が協力の幅を広げすぎているという理由で批判的という記事を読んだ覚えがある。グラハムは福音派、ライスは根本主義者(ファンダメンタリスト、最近はむしろ原理主義者という翻訳が一般的)という違いがあるのだろう。

ここで言われる救いは、もちろん義認のことであり、新生・再生のことであり、聖化のゴールを指しているのではない。しかし、この線を越えないことには、信仰生活は、そもそも始まらないという重要性を持っている。

グラハムの時代は終わり、大衆伝道の時代も終わったように思えても、この「瞬間的救い」を伝える必要性がなくなったとは思えないのである。

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行為の契約

ジョン・ウェスレーの『説教』の中に、こんな言葉があった。

「彼らは決して、行為の契約が「罪過と罪とによって死んでいた者」(エペソ2・1)にたいして与えられたのではなく、人が神にたいして生きており、罪を全然知らず、神が清きごとくに清くあった時に、その人にたいして与えられたものであるという事実を、考えなかったように思われる。彼らは、それが決して、一度失われた神の好意と命とを回復するために意図されたのではなく、それが永遠の生命において完全になるまで、それを存続させ増加させるために意図された、という事実を忘れている」

義認のあと、聖化が始まる。その聖化の過程で、「行為の契約」を考える余地が生まれる。

引用文の「行為の契約」は、堕罪前のアダムに語られたもののようだが、それがウェスレーによって引用されているということは、義認後の聖化の過程を歩んでいる信徒のためにも有効である、という意図が隠されているのではないだろうか。

トマスには「功徳論」というものがある。それは絶対他力的、義認における恩寵を経た後での考察である。絶対他力は、完全受動であるが、それは義認・新生の時の条件である。しかし、その後は、どうなのだろうか。新しい行為が始まるのではないだろうか。そして、この行為もまた信仰の中で考察されるべきではないだろうか。

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憲法と同盟

同盟は 一夜で破棄も あり得るが
 憲法にそれは あり得ないこと

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2007年4月23日 (月)

「幸福な王子」

時迫り 王子の涙 見たつばめ
 自分の命 助けられずに

オスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」は、キリスト者にとっては召命の物語のように思える。王子の涙を見たつばめは、王子の手伝いのために自分の安全を配慮することが出来ず、やがて死んでしまう。

王子は、貧しい人のために、自分の「富」を与え、自分自身はみすぼらしくなってしまう。その「富」を運ぶつばめは、自分を助ける機会を失ってしまう。

王子の涙に心を動かされた時、そこに神の召命があるのだろう。イエスは今も涙を流しているに違いない。

「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」(マタイ10・39)とも書かれている。

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トマスとルター

マルチン・ルターとトマス・アクィナスが、なぜ対立しなければならなかったか。もちろん、トマスは前時代の人であるから、ルターの意識の中での対立である。こんな記述がある。

「今日のカトリック教会が、アウグスチヌスとアンセルムスとを結んだ延長線上に見いだされるところの、いわゆる「信仰のみ」(sola fide)を主張するルターに対して、トリエント公会議(Tridentuim)以来、このトマスの「神学大全」に多く負うている…」(『トマス・アクイナス』印具徹著、日本基督教団出版部、29-30頁)

そして、同書には、トリエント公会議(1545-1563)の注には、「この会議はルター主義に対抗して開かれたローマ教会の公会議で、この歴史的な大会議場の中央にあった机上には聖書と「神学大全」とが終始置かれていて、常に会議を導く指針とされていたといわれる」と書かれている。

このトリエントの会議で、ルターとトマスは対立「させられてしまった」ようである。

ところで、トマスは、アウグスチヌスに従い、セミ・ペラギウス主義を放棄している。従って「信仰義認」の立場である。ルターもそうである。だから、基本的には信仰的には一致しているのである。

しかし、それが歴史的には対立していた。ここから近世が展開したのだから、当時は両者の違い、対立点が強く意識されたのだろう。

ルターのアリストテレス批判にしても、それだけでは、よく分からないのである。トマスのアリストテレス主義というものは、アヴェロエス的アリストテレス主義者、ブラバンのシゲルとは対立していた。シゲルの中には、反キリスト教的学説もあったというが、それをトマスは「信仰の中で」修正した。だから、アリストテレス解釈としては、シゲルの方が正しいという見方もあるし、その方が本当と思える。トマスのアリストテレス主義は、信仰の犠牲において成立したものではないと思う。しかし、批判者たちは、信仰の犠牲を、そこに見たのではないだろうか。

また、トマスの論敵にはアウグスチヌス主義のフランシスコ会の神学者もいた。だから、宗教改革で、ルターやカルバンがアウグスチヌスに訴えることで、教会から排除される原因になるということは、よく考えればおかしなことである。

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弱者

我弱し そを知る者に 強さあり
 柳の強さ 折れることなし

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抗議

死刑囚 我を殺せと 言う中に
 創り主への 抗議あるかと

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目標を 長期短期と 見定めて
 舵取りせねば 生は空しく

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今の大学

大学が 施設拡充 少子化に
 対応すれど IT授業

ソフト先 ハードは後で 買い手先
 頼りは動機 学ぶ意志のみ

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2007年4月22日 (日)

秩序

混乱の 頭に秩序 与えたく
 整理整頓 身の回りから

見える所の整理整頓は、見えない考え方にも秩序をもたらすだろう。

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2007年4月21日 (土)

ベルカーワー

私が、ベルカーワーという人物の名前を知ったのは、もう40年くらい前になる。大学の図書館で小さな文庫本を見つけた。『近代の不安と基督教信仰』というタイトルだった。著者は、G.C.ベルカーワー(1903年生まれ)で、1945年以来、オランダのアムステルダム自由大学の教義学教授である。

ベルカーワーの本で読んだのは、この一冊だけであったが、その後、断片的に彼に関する情報に接したことがあった。バルトとカトリックに関心を抱いていたこと、そして、初期においては、それらに対して否定的であったが、その後、肯定的友好的に変わったこと、それに対する批判もあったらしい。

一度、ベルカーワーの本の翻訳が出るといった話を聞いたことがあったが、実現しなかった。

『キリスト教組織神学事典』(教文館)に、現代オランダ神学の項目の中で、ベルカーワーが取り上げられている。その末尾に、「ベルカーワーはわれわれの時代の最大の神学著作家のひとりであり、彼を無視する神学徒は、決して賢明とは言えない」と書かれている。

日本は海外の神学の輸入に熱心である。しかし、どうしたことか、オランダ改革派系の神学は、その重要性にもかかわらず、余り知られていないといわざるを得ない。

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洗礼雑感

洗礼について、ある神父は、こんな指摘をされています。

「中世では、特にアリストレス哲学の影響で、洗礼が救いの絶対的条件になった。しかし、それまでは、そうでなかった。救いは神の恵みです。洗礼は教会の「しるし」です。だから、洗礼と救いは同じではない。私達の「しるし」は神の恵みを束縛してはいない。」

「洗礼が救いの絶対条件」という考え方は、私が読んできたプロテスタント系の本のカトリック批判に、よく出てきた考え方です。しかし、この考え方は、特にアリストレス哲学の影響で、中世に盛んだったということでは、スコラ思想の中でも、またトマス・アクィナスも主張していたのかな、と思いましたが、まだ文献を調べていません。ルターのアリストテレス批判の強さを思う時、その背景には、このような考え方があったのかな、と思います。であれば、理解も進みます。ルターは、あるところでは、洗礼も救いには必要ないと考えていた、と書かれていました。

私は、今、「洗礼が救いの絶対条件」とは思っていません。しかし、この場合の洗礼は、水の洗礼を差しています。でも、回心がない時、救われるのかというと、この方は絶対必要と思います。そこまで譲ってしまえば、福音も不必要になってしまいます。

回心しているけれど、洗礼を受けていない人もいます。無教会、クエーカー、救世軍の人たち。もし、「洗礼が救いの絶対条件」というのであれば、その言葉は、あの人たちは救われていないという意味に受け取られがちで、そこまで言うのは間違いと思います。

ところで、カトリック教会の教えの中には、プロテスタントでは「聞きなれない」「望みの洗礼」という言葉があります。ある神父は、こう言っています。

「神学者は救われるためには「望みの洗礼」があればそれで十分だということになりました。20世紀になり「洗礼を望まない人」は救われないのかとの問いがでてくると、「チャンスがあれば望んだであろう人」も救いに含まれるとしました。そこまで来ると、正直に言って、「しるし」は相対的になってくると思います」

「望みの洗礼」は回心を指すのでしょうが、また、それよりも広い概念とも思えます。

では、水の洗礼は不必要かというと、やはり、信徒と、そうでない人を、どこかで区別する必要はあるのではないかと思います。その時、洗礼というものが採用されたのだと思います。

改革派系の神学では、洗礼を旧約の割礼に結び付けます。旧約とのつながりを重視するところから来ているのかも知れません。しかし、私は、洗礼は新生と結び付けたいと思います。洗礼は新生、聖餐(ミサ)は聖化との関係を考えるのです。新生は未信者のゴール、聖化(栄化)は信者のゴール、そのゴールの見えるしるしとして、洗礼と聖餐があるように思います。この二つのしるしの中に全人類、すべての人が包含されています。だから、プロテスタント教会は、洗礼と聖餐の二つのしるしを残したのだと思います。

洗礼と聖餐は見える儀式です。しかし、その儀式を通して、その意味を探っていく時、新生と聖化の瞑想に導かれる時、そこには大きな収穫があるように思います。

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2007年4月20日 (金)

近代哲学の「祖父」

近代哲学の父と言われているのはデカルトです。「我思う、故に我在り」という言葉が引用されています。放送大学の哲学関係の講義では、よくデカルトが引用されています。しかし、実は、同じことをアウグスチヌスも言っていると思います。デカルトが近代哲学の父であれば、アウグスチヌスは近代哲学の祖父のように思います。しかし、誰も、そうは言わないのですが。

デカルトは『方法序説』の中で、自分で、あの真理を見い出したというのですが、アウグスチヌスは、デカルトの発見の、ずっと前に、次のように言っているのです。

「私が一切を疑っても、私が疑っているという事実は疑うことができない。それ故少なくとも、これを一つの真理と認めねばならぬ」
「お前は、私の言うことを認めず、それが真実であるかどうかと疑っても、お前の疑いを疑っていないことに注意せよ。そして、お前の疑いがお前にとって確実であるならば、その確実性の根拠を探究せよ。即ち疑うものとしての自己を認識する人は一つの真理を而も確実性を以って認識する。それ故真理を疑うものは疑うことの出来ない一つの真理を自己の中に有するのである」

アウグスチヌスは、上記のことを『真なる宗教について』において書いています。デカルトの「発見」と同じことを言っているように思います。

宗教改革者が主に学んだのはアウグスチヌスでした。アウグスチヌスは、西洋の近世思想に、世俗的にも教会的にも、最も大きな影響を与えた人物と思います。

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神秘主義

弁証法神学者は神秘主義を批判していた。なぜ、と思った。シュバイツァーには、神神秘主義とキリスト神秘主義という言葉があった。パウロはキリスト神秘主義だという。聖霊体験もまた、キリスト神秘主義ではないのか、と私は思う。であれば、神秘主義はキリスト教信仰と対立してはいない。

弁証法神学者のブルンナーは、神秘主義を批判している。それには、こんな「定義」がされているのである。

「神秘主義を特徴づける「純粋内面性」こそは、かしこにおいて事象が問題とならず、したがって決断も問題とならず、ただ既に存在するものの認識が問題とされると云うことの標識である。神秘主義者たちは、かれ自身の魂の根柢に神的なものを発見する。それゆえかれは神的なものにたいして決断する必要はないし、またかれがそれについて多く語るところの「離別」も、外見上の離別であり、自我の神的核心を覆う被いを解くことにすぎない。それゆう神秘主義もまた、主宰神や創造神と関わるのではなく、世界にたいして永遠の相関関係に立つ隠れたる世界根拠にかかわるのもである。神秘主義は本質的に時間の否定であり、時間と永遠に、「立ちどまる今(nunc stans)としての実存に揚棄することであり、-それゆえ歴史の非本質化であり、決断の回避である。それは結局において一種の審美的現象である」
(『人間性の限界』ブルンナー著、有賀鉄太郎訳、アテネ新書51、92-93頁)

このような定義における神秘主義は、確かにキリスト教信仰に対立しているけれども。

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ドストエフスキー

ドストエフスキーが宗教的作家であることに反論はないと思う。しかし、彼に、「宗教的経験」がなかったという。そう指摘するのは、E.H.カーである。『ドストエフスキー』(E.H.カー著、筑摩叢書106)の中に、こう書かれている。

「一つは、ドストエフスキーの宗教的発展についてのたいへんに有能な、そしておおよそ正確とおもわれる分析である-特に彼のキリスト教が合理的で実践的であって、彼の生涯にはいわゆる「宗教的経験」といえるようなもの一切がない、ということを強調した点である」(3頁)

この記述は、訳者が、この著書の特徴を説明した件であろう。しかし、ドストエフスキーに「宗教的経験」がない、と言えるのだろうか。宗教的経験といえば、新生か聖化であり、中でも、新生が強調されると思われる。それらを無視して、キリスト教が論じられるのだろうか。どう理解していいか分からない。

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2007年4月19日 (木)

認識

認識は 感性からと ロック言う
 夢の認識 五感を超えて

ジョン・ロックは夢をどう説明するのだろうか。

また、D.L.ムーデーは『神への道』で、こう言っている。

「私は丁度風が顔を撫ぜるのを実際感ずるように、心の中に働き給う神の霊を感じているのです」

ここにも、五感を超えた認識がある。

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2007年4月18日 (水)

道徳教育

道徳の 教育強化 賛成す
 人間学の 知見の上に

「人間学の知見の上に」というのが条件です。しかし、いずれにしても、人間とは何かが問われなければならないと思います。

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思想の自由

押し付けの 真理反発 誰もみな
 思想の自由 反発の因

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2007年4月16日 (月)

宗教哲学

宗教が ない哲学は 怖ろしく
 あれば楽しく 有用と知る

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二大源流

心吸う ギリシャと別に ユダヤでは
 山上からの 風を身に受け

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真理

真理愛 生産的で 疲れなし
 循環しつつ 螺旋を登る

三木清は『哲学入門』の中で、「真理は生産的なものでなければならぬ」と言っています。真理の実践は生産的で、疲れを覚えず、そこには何かの循環があり、進めば進むほど螺旋階段を登り、視野が開けてくる、そんな印象を持つのです。

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俵萌子さん

評論家の俵萌子さんが2回、こころの時代で話された。自らがんを患い、同じ患者との出会いから患者会を作ったことことなど、2回とも本当に充実した内容だった。病気と死に向き合い、そこから人生に目覚めていく姿を語った。病気も死も、避けたり、後ろ向きになってはいけないのである。正面から見据えなければならないのである。そして、その見据えるところから、聞こえてくるものを聞く時、心に感動が広がっていくのだ。これもきっと再放送されるだろうし、また、雑誌にも再録されるのだろう。本職とは言いながら、話のうまい人だなあ、と思った。過不足なく話されたという感想が残った。

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2007年4月15日 (日)

現代の理解

「新しき中世」と言っても、おそらく、日本人には何かよく分かりません。西洋の時代区分をベースにしているからです。

16世紀の宗教改革は宗教改革と呼ばれていますが、実態は教会の新設であったために、宗教革命でした。実態に即して、「革命」という言葉をあえて使う人もいます。

しかし、宗教改革と一般には言われます。そこには、この新事態に対する憂慮に根ざす祈りが込められていたのかも知れません。教会は一つという信条があるのですから。

西洋近世を宗教改革からとすれば、その時の教会の対立関係の解消こそが、「新しき中世」の始まりでなければなりません。そのようなエポックが、歴史上、確かにありました。

20世紀が終わろうとしている1年前の時、1999年10月31日、ドイツのアウグスブルクで、ローマ・カトリック教会とルーテル教会世界連盟が「義認の教理についての共同宣言」に調印したのです。これで、16世紀の宗教改革以来の論争の核心的問題に解決が与えられたのです。この合意によって、西洋の16世紀の教会分裂は「改革」に近い理解が可能となったのではないでしょうか。

もちろん、このことは日本でも新聞報道はされました。しかし、残念ながら、日本には、その重要性を認識するコンテキストがありません。今、既にマスコミ世界では忘却の中に沈んでいます。しかし、これからのちの教会史関係の記述は変わっていくと思います。

この「共同宣言」を参照にしないでは書けないでしょうし、また過去の教会史の記述も修正されなければならないと思います。誤解もあるからです。この「共同宣言」から始まった、新しい時は着実に進展していくに違いありません。

この資料としては、『義認の教理に関する共同宣言』(ローマ・カトリック教会、ルーテル世界連盟、ルーテル/ローマ・カトリック共同委員会訳、教文館、2004年10月、1000円)があります。

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2007年4月14日 (土)

講壇哲学

哲学は おもしろきもの 本来は
 自己探求の 道具であれば

主体間 響き合う中 学ぶなら
 どんどん進む 視野は広がる

その響き なければ学び 苦痛のみ
 講壇からの 哲学の弊

詩人哲学者とも言われたベルジャーエフは、講壇哲学を嫌っていた。「Dream and Reality」という、彼の哲学的自叙伝に書いてある。『アミエルの日記』の著者、アミエルもまた、講壇哲学の疎遠であった。彼は、1860年5月27日(日曜日)の日記に、私は講壇哲学を見ると処を得ていない感じと本当の間の悪さを覚える」と書いている。ソクラテスは「街の哲学者」であった。それを講壇化したのはプラトンだった。講壇化の真の原点は「街中」である。生活の中にある。生活を問い、生活の改革、改善に結びつかない教育は真の教育なのだろうか。

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歴史問題

日中の 歴史問題 遠い因
 鎖国にあるか 和辻史観で

敗戦の 因を鎖国に 求めたる
 先達の目は 遥か遠くを

秀吉は 英雄なるぞ 我らには
 鎖国を生きた 我らの父祖は

歴史問う 近世すべて 疑問符で
 別の選択 想像つかず

温首相 温顔のまま 日本去る
 その願いよし 祈りを共に

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2007年4月13日 (金)

生涯学習

関心を 維持し発展 させるため
 ブログと短歌 日々の実践

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自爆テロ

自爆テロ 特攻隊の 別名か
 いや戦争は 終わったはずだ

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負け組応援歌

格差出来 負け組嫌と 思えども
 いや幸いと 主は言うだろう

出世して 忙しく生き 神忘れ
 心も忘れ 人は滅びる

世に隠れ ひっそり生きる 賢者あり
 ひきこもりこそ 真の勝ち組

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2007年4月12日 (木)

駅で買った文庫

今日、駅の売店で、徳間文庫『麻生太郎の原点 祖父吉田茂の流儀』(麻生太郎著)を買った。ご自身、国会で、自分はカトリックと言われていたので、信仰についても書いてあるかと思ったが、全く触れていなかった。祖父の吉田茂とキリスト教との関係についても言及がなかった。

巻末には、「私見 靖国に弥栄あれ」という提言もあった。「私見」とあるが、靖国神社を特殊法人にしようというもので、非常に具体的である。この提言に対して、教会はどう考えているのだろう。麻生氏の属するカトリック教会の見解はどうなのだろう。

国会議員にはキリスト者が大勢いる。政治と宗教を、どう考えているのか、聞いてみたいものである。

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大死とは 他力の風と 思いなば
 禅はどうして 自力なのだろ

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ブログ

フォーラムは 傍観しても 面白く
 ブログ立ち上げ 傍観できず

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カール・ロジャーズ

心理学 霊性の道 見つけたり
 自己実現は 成聖の道

人生は 至福直観 その道を
 歩み続けん いつ死が来ても

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教育の荒廃

教育が 自己実現の 方法を
 教えないでは 荒廃不可避

断片を 集めて時に 並べ替え
 自己形成に 短歌の手段

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2007年4月11日 (水)

戦略的互恵関係

主体性 互いに重視 その中で
 恵み引き出す この世の知恵者

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共産主義

新生と 聖化を国に 当てはめて
 共産主義の 夢の深相

ベルジャーエフは共産主義とキリスト教との関係を語り続けました。今、本が出ています。

新生と聖化は、個人に適用されるものと思います。しかし、個人を超えた国に、同じような考え方が適用された時に、どうなるのか。革命は新生体験であり、革命政権は新生者の自己意識、共産主義社会は神の国ということになるのでしょうか。

ソ連がロシアになり、共産主義の夢もなくなりましたが、あの夢は何だったのか、歴史から葬ってしまって、それでいいのだろうか、支持するというのではなく、その意味は何であったのか、思いめぐらしています。

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神の似姿

人間の理解の中で、「神の似姿」という言葉が使われます。創世記1章26節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」とあります。ここから、人は神の似姿と言われています。しかし、この理解について、「かたどり」と「似せて」を同一か別か、どう見るかで違いがあります。

近代の学者に中には、ヘブライ語では、この二つは同じ意味と見る人たちがいます。しかし、別の見方もあります。

エイレナイオスは、神の像(imago)と、神の似姿(similitudo)を区別して、神の像とは人間の理性など、似姿とは神との関係を示す言葉といいます。堕罪で、似姿は失われたけれど、像は残った、というのです。

私は、エイレナイオスのように考えています。
(『キリスト教神学事典』教文館・参照)

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2007年4月10日 (火)

乳と蜜の流れる里

かつて西洋に
中世という一時期があった
   
その体制の中に
乳と蜜の流れる里があった
   
里を包む体制には
善と悪が混在していた
   
体制には腐敗もあったが
恵みに満ちていた
   
やがて腐敗は不満を呼び
社会崩壊が始まった
   
思想は急進化し
社会の崩壊を速めた
   
二つの新しい潮流が
スタートを切った
   
千年王国待望論と
協同組合運動であった
   
共に乳と蜜の流れる里への
霊感に支えられていた
   
それらは、多くの時を経て
極東の小島にも伝えられた
   
そして、二人の日本人が立ち、
その霊感を伝えた
   
一人は思想の中で
もう一人は社会理論の中で
   
第2千年紀の回想の中で
浮かび上がる末世の預言者たち
   
乳と蜜の流れる里
それは間近に迫っている

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賀川豊彦試論②

●協同組合

 賀川のキリスト教において顕著な特徴は、その社会性である。それは教会内部の社会性といったものではなく、人間全体、人類といったもので、彼は常にこの意識を待っていた。

 これは、果たしてプロテスタンティズムから自然に流れ出てくる観念なのだろうか。プロテスタンティズムの運命はピューリタニズムや無教会に流れていくのであり、それは分離や個人主義化へと常に向かっている。従って賀川の中に総合への志向、人類全体への視座があるとしたら、ここにはプロテスタンティズムヘの反省があるのではないか。狭い教派主義、信条主義で壁ができているプロテスタント世界の中で、賀川を異様に大きく映し出したもの、それはプロテスタンティズムヘの反省としてのカトリシズムの真理契機ではなかったであろうか。

 賀川の謎を解く鍵はどこにあるのだろうか。それは協同組合である、と私は考えている。賀川の社会理論は協同組合主義である。彼は、これが資本主義の弊害を克服する最善の、唯一の道であると考えた。そして、これは資本主義だけではなく、近代の分裂国家群のもたらす弊害をも克服し、「新しき中世」をもたらすダイナミズムでもあったのだ。

 協同組合は確かに資本主義の弊害を克服する社会理論として現れてきたが、ルネッサンス期のユートピア思想の影響も受け、新しい社会へのロマンチシズムを常に内にたたえていたのである。それは、ヨーロッパ近代が失ったキリスト教共同体(コルプス・クリスチアーヌム)への新たなる再建へと霊感されていたのである。

 賀川は戦後、世界連邦運動に走った。これも、彼の協同組合理論の一つの展開であった。ここにおいては、全人類が一つの共同体に属するという思想が現れている。現在のIT化は、グローバルな視点を要求している。誰も、この力を妨げることはできない。と言うことは、世界連邦とあえて言わずとも、世界は着実にその方向に向かっているのである。

 世界性、国際性、普遍性―-こう言った観念が常に賀川の中にあった。協同組合をキリスト教的に見て、どう評価するか? こういった間題意繊は、どうしてプロテスタント信仰の中から生まれてくるのだろうか。しかし、カトリック世界では、社会理論の検討の中で、協同組合には高い評価が与えられている。賀川が協同組合主義者であったが故に、プロテスタント世界では対話の相手を狭めたとすれば、逆に、この思想はカトリック世界では対話の相手を広げるきっかけになる。

 キリスト教は確かに魂の救いが大事である。これはプロテスタントの主張する大切な真理である。しかし、人間は一人では生きていけない存在であり、社会を形成しなければ生存を全うできない。この社会性をプロテスタント信仰の中で、どう位置づけるのか。

 内村はプロテスタント信仰に忠実に生きたが故に社会性を犠牲にし、賀川は社会性に目覚めたが故にプロテスタント世界では異様に映ったと言えようか。そして、この社会性への顧慮、包括的・総合的な視座こそがカトリック的なのである。

 教皇も、公会議も常に人類全体への視座を持っている。賀川が一般的なプロテスタント意識の中で異様なるものとして映るとしたら、それは彼の中に秘められているカトリシズムの故であるかも知れない。

(終わり)

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賀川豊彦試論①

●実践の人

 賀川豊彦は内村鑑三同様、日本のプロテスタント史上、忘れることのできない大人物であった。内村がどちらかと言えば書斎と講壇の人であったのに対して、賀川は実践の人であった。

 賀川は堅い改革派信仰を持った米人宣教師に見出され、初めは改革派教会の信仰の中で育てられていった。しかし、信条的堅さよりも、心情的深さに傾く賀川は終生、神学者カルビンには余り関心がなかったようだ。彼が「衣鉢を継ぐ」として常に念頭に置いていたのは、ジュン・ウェスレーとアシジの聖フランシスコであった。彼が、その創設にあずかり、常に、その団体の第一の指導者と目されていた「イエスの友の会」は、フランシスコ会の第三会(信徒会)をモデルにしていた。

 賀川はカトリック神学に興味を持っていたとは思われない。内村は本質を見抜く力に秀でていたために、プロテスタント信仰を突き詰め、その中でカトリックに対して反発と同時に、同情と共鳴を示すこともあった。

 教会問題に関する内心の揺れに対して、内村は、生涯の終わり近く、プロテスタント主義の徹底を叫ぶことで決着をつけたのだが、いずれにしても内村においてはカトリックは生涯、頭から離れず、悩まされ続けたのではないだろうか。しかし、賀川には、このようなカトリックとの対決とか、受容といったことは、生涯、明確に意識されていなかったであろう。

 彼はプロテスタントの運命にひきずられ、時にプロテスタントの枠を超えて。新しい時代、新しい世界を待ち望み、そのために奮闘した。それらは巨大な実践となって現れていったが、その動機が、どのようにプロテスタント信仰と結びつくのか理解しにくい面があって、周囲の誤解を招いたこともあった。

 牧師としての賀川は、彼の出身教会である日本基督教会の平均的な牧師像からは余りにもかけ離れていたために、一部の同僚牧師から軽んじられ、批判もされた。しかし、そこにはプロテスタンティズムの歴史的制約をも超える、彼の先見性があったのではないだろうか。この新世界の預言者としての賀川の中にカトリシズムが潜んでいたのかも知れない。彼を大きく羽ばたかせていったのは、この隠されたカトリシズムが彼の中で力強く働いていたためであったのかも知れない。そんなことを言う人を、私は他に知らないのだけれど。

(続く)

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内村鑑三試論⑧

●教会とは何か

 教会論に関して言えば、無教会主義にはプラトン的「霊・肉二元論の中での霊の重視」といった理解に近いものを見ることはたやすい。

 アリストテレスは師プラトンを、イデア説という、その中心思想において批判し、従ってアリストテレス思想の延長上にある聖トマスには肉体軽視といった思想は影をひそめている。この聖トマスの「霊魂と肉体に関する見解」を下敷きにして見るならば、可見的教会の重要性が明瞭になる。人間は霊魂だけの存在ではなく、霊魂と肉体の結合した存在である。この結合を、人間にとって本質的なことと見るか、非本質的なことと見るかで両者は挾を分かつ。そして、霊魂と肉体との結合が人間にとって本質的なことと見る見方が、カトリシズムの主流となった。

 天使的存在に憧れる人間は、物質(肉体)軽視に陥りやすいが、人間は天使ではないということを忘れてはならない。人間に、人間としての、人間にふさわしい、謙遜な認識の道を示したトマスが「天使的博士」と呼ばれたことに、ある逆説を感じる。認識の質においては、トマスよりもアウグスチヌスの方が高く、アウグスチヌスの方が「天使的認識」に近いのであるが、カトリック思想の中ではアウグスチヌスよりもトマスの方が重要な位置を占めてきた。

 このように、単にプロテスタンティズムの歴史だけではなく、キリスト教思想史全体の論争と、そのゆくえとを見ていく時に、われわれは無教会主義に対して別な見方ができるようになる。それは可見的教会の重要性に対する洞察である。このような光の中で、もう一度聖書を読む時、以前は不明であった聖句が新たな重みをもって、われわれに迫ってくるのを感じとることができる。

 キリストがペトロに天国の鍵を渡したということは何を意味するのか。この意味するものは、キリストと教会との一種の連続性である。この連続性の中で教会の可見性は、その不可見性同様に重要なものとなる。「教会はキリストの体、受肉の延長である」といった見方は、このようなコンテキストの中で見られなければならない。

 しかし、日本に「無教会」というキリスト教の一つの運動が起きたことは意義深いものがあると思う。16世紀の西方教会の失敗に対する問題提起としての意味づけは、教会史が新しい時代を迎えるまでなくならないであろう。

(終わり)

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内村鑑三試論⑦

●無教会の位置

 内村はカトリックに改宗しなかった。それは何を意味するのか。これにより、内村はプロテスタント陣営の一員として歴史に残り続ける。そして、彼と無教会とはプロテスタンティズムの徹底を叫びつつ、プロテスタント教会への問いであり続け、カトリック教会を指し示す道標となったのである。

 内村の反省的思考は実に強靭であったと言わざるを得ない。彼はプロテスタンティズムの運命を見通していたのである。従って、プロテスタンティズムは常に内村の問題提起に悩まされ続ける運命にある。

 彼はプロテスタントヘの批判からカトリックに近づいたが、ついにカトリックにならなかった。「聖書之研究」誌上で、プロテスタント主義の徹底を叫んで死んでいった内村だが、これは表向きの態度表明ではなかったのかとも思いたくなる。彼の本心を吐露したものとして、晩年の日記には、こう記されている。

 「十月二十四日(木)晴 無教会主義はこの世においては実行不可能の主義である。もし実行可能なれば直ちに教会となりて実現する。無教会主義の貴さはその実行不可能なるにおいてある。キリストの教もまたしかりである。誰も山上の垂訓が文字どおりにこの世において実行され得べしと信ずる者はない。不可能を実行せんとして努力奮闘する所にキリストの教の尊さがある。無教会はキリストの再臨を待ってその実行を見る主義である。それまでは理想としてその部分的実現をもって満足する。つねづね言うとおり、この世にありて完全なる教会に入らんと欲せば、今日直ちにローマ・カトリック教会に入るべきである。無教会主義は理想である。ゆえにこの世において成功を期待する小人と俗人とはこれをいだくべからずである」

 これは一九二九年(大正四年、六十九歳)十月二十四日の日記にある。亡くなる一年前である。ここでも、彼には無教会かカトリックかの選択が依然としてあるのであって、プロテスタント教会は消えている。プロテスタント教会なるものは内村の意識の中では教会を造ったが故に矛盾として映っているのだ。

 この日記の内容をどう読むか。これが内村の無教会主義の総決算であろう。そして、私はやはり思わざるを得ない。小人や俗人をも受け入れられるキリスト教の可能性を。無教会はプロテスタンティズムの一つの運命をわれわれの目の前にまざまざと見せつけたのである。

 内村鑑三は「無教会主義とは第二の宗教改革である」と言っていた。そこには彼なりの一つの論理が働いていた。それはプロテスタンティズムのいくつかの「柱」の内的関連に思いを寄せ、統一的「柱」を立てようといったアプローチである。これは、実はルターの中にもあったもので、それが「信仰義認」の「柱」であった。そして、この「信仰義認」の「柱」は純粋に個人主義的なものであった。そこには「体」に対する配慮がない。無教会のようなプロテスタント原理主義者にとっては、「体」は相対的なこと、二次的なことであるかも知れない。実際、内村鑑三は、教会の理解を「霊の共同体」といった面にのみ固執して、可見的教会論の問題を相対化したのである。この消息は、塚本虎二との晩年の論争の中に端的に現れている。塚本も論理的な人間であったが、内村にも論理がある。そして、われわれもまた、理解を求めて、無教会の教会史的論理を求めていく。

 無教会主義はプロテスタンティズムの一つの論理的帰結であるが、そのキリスト教、なかんずく教会の理解に「欠け」はないのであろうか。

(続く)

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内村鑑三試論⑥

●「分派」

 武田友寿氏は「内村鑑三・青春の原像」 (日本YMCA同盟出版部)の中で、内村のピューリタニズムを「プロテスタンティズムの一分派」と書いているが、異端的色彩の強い「分派」という言葉を、私はここで使いたくない。いや、ピューリタニズムはプロテスタンティズムの精華とさえ言いたいくらいだ。もちろん、武田氏の視野には、そう見えるのだろうことは理解できる。

 内村はプロテスタントの中に育ちながら、プロテスタントがカトリックから引き継いできている堅い信仰を保持してきた。もし、内村がキリスト教会の歴史を丹念に調べていったのであれば、ニューマン枢機卿と同じように、カトリック信仰に行き着いたかも知れない。彼の関心の中で「教会論」は常に、大きなウエイトを占めていたのだから。しかし、歴史は、そのように展開しなかった。

 内村はプロテスタントの前提を常に意識しつつ、それから離れようとはしなかった。従って、彼の無教会論は、不用意に読むとカトリック教会否定をも含んでいるようだが、実際、これまで調べてきたように、そう読んでもおかしくない個所が多々見られるのだが、真実は、プロテスタントの原初的な原理、信仰義認の「実験」の中に立ち、それから視点をずらさなかった批判であったが故に、プロテスタント教会の可見性の瓦解を促すものとしても作用したのである。それは教派というものへの疑問符である。これは、晩年、カトリック主義として批判したところのものを指す。

 しかし、プロテスタント主義というものは教派を容認、是認しているのではないかと考える時、そこには、ただ内村にとっては「超克されるべきプロテスタント主義」というものだけがあるのである。

 しかし、教派主義に対する批判と、教会の可見性に対する批判とは同じではない。教派主義批判は分かりやすい批判であるが、教会の可見性への批判というものは、そんなに分かりやすいものではない。いや、厚い壁があるだろうと思う。

 こうして、無教会はプロテスタンティズムの運命をつきつめた所で真のカトリシズムの世界を望見したのである、と私は言いたい。内村の位置から普遍的教会へは、ほんの一歩である。と言うことは、内村鑑三の中には、カトリシズムの真理が他のプロテスタント教会よりも純粋に輝いていたのだ。

(続く)

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内村鑑三試論⑤

●武士の子

 しかし、内村は自他共に認める武士の子であった。節を曲げることはできなかった。そして、彼は問題の所在を明らかにしつつ、プロテスタントの中のプロテスタントとして、プロテスタント主義の徹底を叫びながら死んでいった。その経過を見よう。

 内村は一九一二年一月、長女ルツ子を失った。そして、その年の四月の「聖書之研究」には、「無教会かカトリックか、選択は二つに一つ」といった見解が記されている。内村51歳の時である。次のようである。

 「(前略)

 私はこの事についてなお一言言っておきます。すなわち、かつて本誌において唱えましたごとく、もし万一私が教会に入るべく余儀なくせられますならば、私はローマ天主教会に入ります。私の知りますところでは、これが地上唯一の矛盾のなき教会であります。もし地上の眼に見ゆる教会が信者各自に必要であるとならば、ローマ天主教会こそ最も完全にその必要に応ずるものであると思います。

(中略)

 無教会にあらざればローマ天主教会、わたしの選択はただこのニツをもって限られてあるのであります。しかして私は今は前者を選むのであります。後日(あと)の事は知りません。今日はなお私は無教会信者をもって満足するよりほかに善き道を発見するあたわざる者であります」

 彼はプロテスタントの子として地上の旅路を終えたのである。亡くなる二年前に、彼は、このような表明を残している。

 「今や新教諸教会の混乱堕落に堪えずして旧教に行く者、往々にしてありと聞く。そして私のごとき、常に前者に対し不平をいだく者は、あるいは彼らの後に隋(つ)いて旧(ふる)きカトリック教会に入りはせぬかと惴摩(しま)する者ありと聞く。しかしかかる憶測は全く不要である。私はいかなる事ありといえどもローマ天主教には行かない」
 (一九二八年四月「聖書之研究」)

 この中で、彼は自分の信仰をこうも言っている。

 「プロテスタント主義の子でありながらプロテスタント諸教会に反対するのは、その敵たるカトリック教会にあこがれるからではない。彼らがプロテスタント主義を離れてカトリック主義に後もどりしたからである。私が新教諸教会においてきらうものは、そのカトリック的精神である。自由の信仰を制度化したる、その矛盾せる行為である。(中略)私はルーテルやカルビンがカトリック教会に反対したその精神をもって今日のプロテスタント教会に反対する者である。私はプロテスタント教会がいまだ全く脱却し得ぬカトリック主義より全然脱却せんと欲する者である」

 そして、この文章は「今はカトリックに帰るべき時ではない。プロテスタント以上に進むべき時である」という言葉で終わっている。

 これは当然のなりゆきであった。彼は初めからピューリタン信仰の信奉者であった。しかも、文章をなりわいとしているのであれば、自分の主張を簡単に変えるわけにはいかない。これは戦争絶対反対論者であった彼が天皇への敬意を常に抱いていたといった矛盾とは質の異なるものだ。大いなる矛盾は偉人の特徴であるが、彼が偉人であり続けるためには許容できる矛盾と、許容できない矛盾とがある。できない矛盾をおかした結果は変節漢としての抹殺である。

(続く)

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内村鑑三試論④

●カトリックへの関心

 内村鑑三はプロテスタント批判を続けていく中で、カトリック信仰に近づく。その証拠は、次のような素晴らしいカトリック教会賛美の言葉となって現れている。一体、カトリックの信者で自らの属する教会を、これほどまでに美しく表現した者がいただろうか。私は、あえて「いや、一人もいなかった」と言いたい。これは「聖書之研究」(一九〇七年五月)に発表されたもので、内村が46歳の時のことである。何が、このような文章を書かせたのだろうか、それも知りたいところではある。次のようである。

 「最も貴むべき教会 ローマ・カトリック教会(教友某と下野太平山に遊びし途中、語りしところ)

 余は今は無教会信者である。しかしながら、もし教会に入るとするならば、余はローマ・カトリック教会(天主教会)に入ろうと欲(おも)う。これは最も古い、最も固い、最も世界的にして、最も完備せる教会である。これは新教諸教会のような成り上りの教会ではない。これは二千年間の歴史に深き根拠をすえたる最も歴史的の教会である。もし信仰を維持するために制度の必要があり教職の必要があるというならば、余輩はかかる強固なる、かかる完備せる教会に入るべきである。

 新教の教師は言う、ローマ・カトリック教会は腐敗していると。しかしもし腐敗の事であるならば、新教の諸教会とてもカトリック教会に譲らない。ことに米国の新教諸教会のごときに至っては、その腐敗たるや実に言語に絶えたるものがある。もし教会をそのおちいりし腐敗によってさばくならば、世に取るに足るべき教会は一つもなくなる。余輩は、カトリック教会が腐敗しておればとて、その荘厳と堅牢とを疑わない。

 また言う、カトリック教会に信仰の自由がないと。しかし余輩はそうは信じない。もちろん教会として立つ以上は多少の束縛のあるのはやむを得ない。そうしてカトリック教会の束縛なるものは、その世界的であるだけ、それだけ寛(ゆるや)かである。余輩は自由を標榜(ひょうぼう)する小なる新教会の中に最も厳酷なる束縛のおこなわれておるを知る。二十世紀今日のカトリック教会はルーテル在世当時のそれではない。カトリック教会の偉大なる理由の一つは、その世と共に変遷進歩するの一事である。

 (中略)

 ローマ・カトリック教会は貴婦人的教会である。その聖マリヤ崇拝はよくその理想をあらわしている。カトリック教会に、新教諸教会におるような鉄面婦人はおらない。婦人らしき婦人を、余輩は最も多くカトリック教会の中に見る。新教諸教会に最も欠けているものは婦人のモデスティー(謙卑)である。マリヤ崇拝をあざける新教諸教会は、その婦徳においてははるかにローマ・カトリックの下にいる。

 聖アウグスティンの母教会にして、聖フランシスを出し、トマス・アクィナスを産み、ニューマン大僧正をひきつけしローマ・カトリック教会は、今日なお尊敬すべき教会である。余輩もまたもし今後教会に入るの必要を感ずるならば、喧々囂々(けんけんごうごう)としてこの世の勢力を得るに日もまた足らざる新教諸教会に入らずして、古き固き広きローマ・カトリック教会に入らんと欲する」

 内村はプロテスタント教会を攻撃しつつ、一時はカトリック教会に強く引かれるものを感じた。彼はここでカトリック教会の、プロテスタント教会からは隠されている姿を望見したのだろう。教会主義のカトリックから最も遠いと思われる無教会は、実は、その創始者、提唱者である内村の意識の中では紙一重の違いでしかなかったとは言えないだろうか。カトリックを真に理解したのはカトリック信者以上に、実は無教会の内村であったかも知れない。

(続く)

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内村鑑三試論③

●斜めの視点

 無教会という道は、誰にでも開かれている一番広い道である。「この道は難しい道ではなく、易しい道である、なぜなら信仰だけでよいのだから、すべての人に開かれたもっとも広い、易しい道である」と無教会の人々は言うかも知れない。教義、教えとしては、確かにそうである。

 しかし、個人の信仰を守るもの、成長させるものを考えた時、防衛的要素を考えるのも許されるのではないかとも、私は思う。信仰の「見える」部分の客観性を意味している。この防衛的措置が教理的問題の正邪判定に関係していると見られる時には、それにふさわしい判断が求められるであろうけれど。

 もっとも、内村のような、強烈な個性と並はずれた表現力を恵まれていれば、話は別であり、かえって、無教会の方が勝手がよいかも知れない。しかし、彼の人生は平坦なものではなかった。そして、人は誰も内村のような<偉大なる矛盾の人>となるように召されてはいない。彼の従者は、先生の大いなる矛盾に振り回されるであろう。人間は個人性と神だけで生きているのではなく、人間社会を形成して、その中で生きているのである。その時、内村の掲げた「神と我」のみの真理だけでは、人間社会の中で生きていくのに困難が生じてこないだろうか。

 内村に対して、いろいろな人がいろいろなことを言ってきたし、それは今に至るまで続いている。肯定と否定、さまざまである。もちろん、肯定要素が強い。でなければ、これほど人々の関心を集めてきたことの説明がつかない。私も、一つの試論をしてみたい。肯定と否定。

 否定? 一体、彼の何を否定するのか。それは、無教会運動の創始者としての内村の思い、プロテスタント主義の徹底の提唱の裏に、あるいは秘められていたかも知れないものである。あるいは、と言うのだから、もちろん、秘められてもいなかったかも知れない。

 無教会の完全肯定でも、完全否定でもない、斜めの視点から、創始者の言葉を見ていくとどうなるだろうか。

(続く)

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2007年4月 9日 (月)

内村鑑三試論②

●無教会の魅力

 無教会は「信仰だけでよい」というのだから、この信仰を、一般的理解に従い、信頼と受け止めるなら、この点では確かに最も広いキリスト教と言えるであろう。

 しかし、それは先人の業績を反芻し、独自のものを築きあげていく努力を常に要求している。そこには創始者・内村ほどの熱烈さ、激情はなくとも、真面目な地味な活動が常に見られる。それは、個人の創造的努力を最も強く求めているキリスト教でもある。

 さて、無教会の魅力はどこから来るのであろうか。

 それは、内村が一人で戦ったからである。それゆえ、孤独な魂を、ことさらに愛される神は彼に近づき、彼はそこで、さまざまな真理をかぎわけたのであった。それらの真理は、彼の残した膨大な著作の中に、今も霊感をたたえて、読者を待っている。彼の文章には、不思議な一貫性があり、それは神と共にある個人の意識の一貫性である。ここに無教会の、いや内村の真の価値があるのである。

 内村の言葉は疲れた魂をいやし、天来の慰めを与えてくれる。「東京独立雑誌」の記事は、晩年のキェルケゴールの「瞬間」の言葉にも似て、一服の清涼剤のようでもあった。

 プロテスタンティズムにおける無教会の可能性について、内村の主張には筋が通っていると思われた。プロテスタントを引きつける力を、内村は常に持っている。偉大なる問題提起者であり、実験者であったのが内村であった。

 私は、これらすべてにおいて、内村が近代日本プロテスタント史上に残した大いなる、輝かしい業績を常に讃えることができる。

(続く)

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内村鑑三試論①

●「実験」

 内村鑑三は若い時から自然科学に強い関心を持っていた。「実験」という自然科学の用語をキリスト教信仰の実践を意味するものとして使うなど、彼は宗教家としては新しい感性の持ち主だった。「実験」という言葉は彼にふさわしいが、これは同時に、ある意味で無教会主義そのものにも適用される言葉のように思う。

 では、この実験によって明らかになったものは何か。

 内村は自らの意志により「内村聖書研究会」を解散した。これは非常に示唆的な決断であったように思う。その意味するところは何だろうか。「消滅」(死)を招来する、この決断は、一方では復活を待ち望んでいたというようにも受け取れる。それは次のような事情を背景として言えるのではないかと思う。

 内村は無教会が有教会となることを望んでいた。従って、自らの打ち立てた「第二の宗教改革」としての原理「救いを得るには信仰だけで充分、可見的教会は必ずしも必要ではない」といった原理を、後継者らが自分らにふさわしい形式の中に取り入れて、新たに共同体を可見化していくことを望んでいたようにも思われるからである。その時には、内村の表現形式は静かに、消滅の可能性にさらされなければならない。その相対性は絶対化されてはならない。内村聖書研究会の解散と共に、晩年の後継者問題に際しての「弟子をつくらない」といった思いの中に、こんな論理が潜んでいたのかも知れない。

 内村においての「ふさわしい形式」といったものは、武士道であったもの、詩人・預言者的な天分であったもの、漢学の素養、博繊などであった。これらの形式において、彼は「新しいキリスト教」の原理を探し求め、また表現し、それらを彼の信仰個人雑誌「聖書之研究」の中で精力的に発表していった。「二つのJに仕える」といったことも、無教会の原理の一つであろう。こうして、「無教会活けるものと死せるもの」といった選択を、後世の人々に完全に委ねて、彼は世を去ったと言うべきであろうか。後世の人々は、内村の残した、このさまざまな信仰的素材を目の前にして、「最初から」、自らの、ふさわしい形式において家造りをしなければならないのである。

(続く)

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「神の像」論争

イマゴ・デイ(神の像)に関して、バルトとブルンナーとの間で論争があったのは有名な話です。

1934年、ブルンナーがバルトに対して、『自然と恩寵』という書を書いて、バルトは人間が罪に堕落した結果、イマゴ・デイを失ってしまったと言っているが、ブルンナーは、イマゴ・デイは残っていて、自然神学の可能性を主張したということになっています。

バルトはそれに対して、『ちがう!』という小冊子を書いて応じています。これは普通、ブルンナーに対して反対と受け取られていたようです。しかし、本当は、ブルンナーのバルト理解が違うという意味もあったようです。

『ちがう!』の中では、「人間は堕罪の結果、イマゴ・デイを失ったしまったとバルトが言っている」というのは、ブルンナーの決め込みであって、バルトは、そんなことは言っていない、というのです。世界の大学者が、こんな論争をしているとは、私としては、「シンジラレナーイ!」といった気分です。

しかし、これはブルンナーの責任ばかりではないと思います。菅円吉氏も『理性と啓示』(昭和28年)の中で、「バルトはimago Deiは、人間から全く失われてしまっていると主張する」と書いているのですから。菅氏は、その訂正のためもあり、「バルトとブルンナーの『神の像』論争のゆくえ」という論文を書いています。(『カール・バルト研究』教文館)。

「バルトに従えば、旧約聖書が人間の神に似た姿について直接に語る句からしては、人間は堕罪と共に神の像を部分的にも全体的にも、あるいは形式的にも内容的にも失ったという結論は出てこない。イマゴ・デイは堕罪によって失われてしまったという宗教改革者達の主張は、宗教改革者達がイマゴ・デイを人間が所有していたが、しかし罪を犯したため、その罰として失ってしまったところの『完全の状態』と解したということを背景とすれば、理解できることであり、また必然的にそう考えざるを得ないが、このようにイマゴ・デイを理解することは創世記1章の中に何の根拠も持っていない」(176-177頁)

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ヒューマニズム

人間の 讃歌歌えど この国は
 無が骨髄に ニヒルの中で

見える価値 ヒューマニズムの 舞台なり
 それを通って 無の彼岸へと

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2007年4月 8日 (日)

エラスムス再考

ルターと思想的に対立したエラスムスは、人間について、どう考えていたのだろうか。講談社学術文庫『宗教改革の精神』(金子晴勇著)が、副題として「ルターとエラスムスの思想対決」とあるように参考になると思う。

エラスムスの人間観を要約して、こう書かれている。

「(1)神は人間を「神の像」もしくは「神の似姿」に造ったので、最初の人アダムは無垢のとき、理性も健全で意志も自由であり、なんらの自然本性の毀損もなかった。しかし、善にそむいて悪へと迷いでることができるほど自由であった。
(2)ところが罪が入ってきてからは理性の光は暗くなり、意志は悪化し、自由を失って自力で善に向かいえず、ひとたび同意した罪に仕えねばならなくなった。このようにして意志が悪化したため、弱さ・悪徳・冒涜が多くみられるが、人間は洗礼の恩恵によって「再生した者」、「新しく創られた者」となっている。
(3)アダムの原罪により自由意志の力は弱くかつ小さくなっているが、これを取り除くのは行きすぎであり、人間が絶望したり、また反対に安心したりすることがないように、人間の責任を示す自由意志が認められなければならない。……人間は恩恵と意志との共働によって善いわざを実現しうるのである」(137-138頁)

さて、これをどう考えたらいいのかである。

(1)については、「神の像」と「神の似姿」という言葉が使われているが、同じ意味に使われているようである。しかし、ジルソンの本では、区別がされていた。原罪によって、「神の似姿」は失われたが、「神の像」は失われていない、というものだった。ジルソンの説明の方が、私には分かりやすかった。「神の像」とは人間の定義に関わるものであり、「神の似姿」とは、神との交わりを指していると考えた。

次に、(2)については、「人間は洗礼の恩恵によって「再生した者」、「新しく創られた者」となっている」とある。その場合の洗礼は水の洗礼であろうが、それが「指し示す」働きを超えて、「再生」を直接に生み出すのかどうか、そこにはもう少し考えなければならない余地があろう。プロテスタントがカトリック批判をする時、そのへんが考慮されているからである。人効論と事効論を比較した時、教会としては事効論に立つのであろうが、それは時間的に洗礼の時が「再生」の時という意味ではないと思う。もし、そうであれば、ルターの信仰そのものが分からなくなる。彼は幼児洗礼であったろう。その時に「再生」したことになり、後年、信仰を発見したことが何であったか分からなくなる。ということは、信仰義認の発見の時が、彼の「再生」、また「新しく創られた」時と考えるからである。また、パウロの「再生」は、水の洗礼によるものではなかったという歴史的事実もある。これらを、きちんと説明しなければならないのである。

さて、(3)において、「共働」が言われている。それは、どういう意味か。

「恩恵と意志との共働の仕方をエラスムスは説明して、恩恵が主原因であり、意志が二次的原因をなし、主原因が自己充足的であるのに対し、二次的原因は主原因なしには何ごともなしえないという具合に関係しているという」(138頁)

これは信仰義認そのものではないのだろうか。ペラギウス主義でもなく、セミ・ペラギウス主義でもなく、信仰義認の立場と考えていいのではないだろうか。なぜなら、恩恵が主であり、意志が二次的といっており、このように原因を段階づけるのであれば、信仰義認の立場と矛盾はないように、私には思えるのである。

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2007年4月 6日 (金)

桜咲く 時は来たれり 深夜便
 生き行く人へ 応援の歌

桜花 下にて我ら 味わうは
 天つ世の香か しばしなりとも

満開の 桜をめでる 人もあり
 そのはかなきに 感ずる人も

ああ無常 季節はずれの 嵐吹き
 桜花びら 散りぬるお墓

桜散る 入学式の 前に散る
 どこか違うよ 警鐘かもね

桜散る 悲しみたたえ しょんぼりと
 空即是色 教える前に

華やかで はなかき桜 それでよし
 我らはいまだ 地におる故に

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自由人

生き方の かたちを崩す 自由人
 新たなかたち 生み出せずおり

戦前は 不自由と見る 今の人
 戦前人の 自由を知らず

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唯信

親鸞の 唯信あれど 信の果を
 この世で知るは なおあるのでは

親鸞は、念仏を唱えることが本当に涅槃に往生できることなのかどうかは、「存知せず」、知らない、と言います。

信仰義認は新生を生み出し、新生とは聖化の出発点です。それは、ある意味で体験です。知られるものです。

このへんに、キリスト教と浄土真宗の違いがあるのかな、と思います。

しかし、親鸞には「現生正定聚」(現生に仏となる身と正しく定められた者)という考え方があり、『教行信証』の信巻きでも、「常行大悲の益」といい、この世でも、仏の働きが自分に働いてくる、というのですから、何かの「体験」があると考えていたのかも知れません。このあたり、「存知せず」との調停が必要なのではないかな、と思います。

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自然神学

哲学は 自然神学 救いなし
 されど作るよ やむにやまれず

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2007年4月 5日 (木)

論争

ルターとエラスムスの、自由意志論争は一度、しっかりと整理しておいた方がいい。というのは、その後も、同じような論争が起きたからである。カルビン系の教会の中で、アルミニウスの「異論」があり、ドルト会議で拒否された。しかし、ウェスレーはアルミニウスを擁護した。これも、また自由意志の関する問題であった。

もともとはアウグスティヌスとペラギウスの間の論争であった。ルターが登場した時、この論争がきちんと意識されていなかったのだろう。

そこで、問題は、信仰の救いにおける位置づけである。信仰によって救われるというのが聖書の教え、キリスト教の教えである。その時、信仰が人間の側の功績になりはしないか、そんな問題が起きるかも知れない。しかし、それは否定しなければならない。では、どうしたらいいのか。

二段構えにすればいいのである。救いの第一原因は神の恵み、第二原因は人間の側の信仰、という具合に。

この第一原因と第二原因とを、同じ「原因」という言葉によって、混ぜてはいけないのである。混ぜた時に起きるのが、セミ・ペラギウス主義である。混ぜなければ、救いのための信仰の必要性を、どれほど強調してもいい。それは人間の功績にはならない。

こういう観点から、もう一度、一連の論争を振り返り、整理してみたらどうだろうか。

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愛国心

愛国心の光と陰について、千葉眞・国際基督教大教授(社会思想)が、朝日新聞(「私の視点」07年04月05日)に、「愛国心 内村鑑三に学ぶもの」というタイトルで書いている。何が光で、何が陰かは、その人によって異なるのだろうけれど。

内村や無教会を取り上げるということは、日本のキリスト教の現在と将来を考える場を提供することに、結果的にはなっているような気がする。プロテスタントの人たちも、カトリックの人たちも、この場を活用して、議論を展開していくなら、それは一つの日本宣教のあり方になるだろう。そんな思いがしている。

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小塩節・園長

なぜと問う 幼児の心 大切に
 答え苦慮する 園長の笑み

4月5日早朝の「こころ時代」で、小塩節・幼稚園園長の話を聞いて。

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2007年4月 4日 (水)

本願ぼこり

なぜ駄目か 本願ぼこり 絶望を
 知らない人の 屁理屈だから

悪人正機の悪人とは絶望を知る人のことでしょう。本願ぼこりに走る人というのは、絶望を知らないところで、考えているのだと思います。

最初の「善人なおもて往生をとぐ」という個所は、人間の側の判断なのではないかと思います。

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批判

批判あり 頼る心は ないだろか
 批判実現 自分でやれば

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短歌自由連想法

わが内を 短歌用いて 表せば
 自由連想 フ氏も触手か

フ氏とはフロイドのこと。

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アイデア

アイデアは 突然に来て すぐに去る
 宝の予感 すれども空し

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文学

文学は 何するものか あはれ書き
 情育という 教育と知る

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実存主義者

日本で最初の実存主義者は、実は親鸞なんだそうです。「弥陀の誓願をよくよく案ずれば、ひとえへに親鸞一人がためなりき」という言葉が歎異抄にあります。有名な個所です。鈴木大拙の『日本的霊性』の中で、これが日本でり実存的な考え方のはじめであると指摘しているそうです。

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教育再生

人間は 知情意なのに 知育のみ
 偏重の弊 元来た道へ

情の育 あはれを感ず 心持て
 意育の中に 体育もあり

いざさらば ゆとり教育 着眼は
 よけれど人の 構成知らず

人の心は知情意であるけれど、知情意の各要素を連絡させる絆があるらしい。それが魂とかいうものらしい。その魂に着眼して、自己実現が生の目的として意識されているようだ。ユング心理学とか、ロジャースのカウンセリングから、その方を向いていると思う。教育再生というものは、人間とは何かを問うことから始めなければならないのである。

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旅人

旅人よ 発見せしを 公表し
 人と語らい 旅を愉快に

近代日本キリスト教思想史という土地を旅することは愉快です。『権威と服従』(宮田光雄著、新教出版社)は、「ローマ書十三章の解釈史を中心にすえた近代日本キリスト教思想史論」(2頁)と、著者は言います。この土地を旅する人がもっと現れてくれば、旅も愉快になることでしょう。

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順序

第一に 全体眺め 直観で
 細部に向かい 深入りを避け

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第二の宗教改革

国教と 教派主義とに 異を唱え
 第二改革 唱えし人も

「第二の宗教改革」を唱えた人というのは内村鑑三です。ルターの改革の限界として、国教と教派主義を挙げています。『ルターと内村鑑三』(高橋三郎、日永康共著、教文館、107-113頁参照)。よくまとめられていると思います。

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読書人

読書人 万巻の書を 読まんとす
 ブログなければ それは無理かと

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2007年4月 2日 (月)

ルターの敵

宗教改革者ルターの敵は、誰だったのだろうか。中世のローマ・カトリック教会だということになっている。

しかし、彼の信仰思想を考察すれば、それはセミ・ペラギウス主義だったのではないだろうか。セミ・ペラギウス主義は、トマスがアウグスティヌスの学びの中で、最初は奉じていたが、軌道修正して放棄したのであるから、問題の多い考え方とも言える。しかし、普通の人には、逆に理解しやすいかも知れない。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。その精神が、ある意味では、このセミ・ペラギウス主義である。指導者としては、「人事を尽くせ」と言いたいだろう。その時、「天命を待つ」の中で、天からの報いを当然の要求という権利意識が働く時、そこに生まれるのが、このセミ・ペラギウス主義である。人事を尽くしても、それは神の救いを請求する権利とはならない。救いは、それとは無関係だ。それがルターの発見した福音だという。

こんなふうに言われている。

「カトリック教会は、当時においても、今日と同じく、人間の救済が自己自身の善行によってのみかちとられるものとは教えていない。そのように説いたペラギウスは、すでに五世紀初頭いらい、異端とされてきたのである。エルフルト大学でルターが影響をうけたオッカム主義によれば、人間は、まず、みずからなしうることをなさねばならない。むろん、それによって、まったき義を充たすというわけではない。それは、神の恩寵の賜物にほかならないから。しかし、人間は自己の努力によって、神が人間に恩寵をおくり人間を受け入れる、前提をつくり出すことができる、というのである。
 しかし、救いの前提条件としてのこの自己努力の要求は、たちまち人間の業績主義に転化する。困難な律法的努力の達成は、すでにそれ自体、一個の《業績》となせざるをえないから」
(『宗教改革の精神』宮田光雄著、創文社、16頁)

要するに、最終的原理としては、自力か他力かの二つなのである。その折衷としてのセミ・ペラギウス主義には、他力のようでありながら、自力的要素を紛れこませている可能性を否定できないのである。それがルターの批判の対象になったというのが真相なのだろう。

オッカムの立場は、教会の一つの立場であり、全部ではない。だから、ルターの論争が、きちんと処理されていれば、宗教改革ではなくて、真の教会改革になったのではないかと思う。

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近代の超克

吉満氏 議論に参加 名を残す
 忘却彼方 これなかりせば

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童謡・唱歌

童謡も 唱歌も共に 珍しく
 懐かし聞くは 深夜便のみ

昔は童謡歌手と言われた人たちがいましたが、今はいません。当然、昼の放送で聞く機会はありません。深夜便では、たびたび、その人たちの歌を聞くことができます。これからも、続けて欲しいと思います。

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