« 乳と蜜の流れる里 | トップページ | 共産主義 »

2007年4月11日 (水)

神の似姿

人間の理解の中で、「神の似姿」という言葉が使われます。創世記1章26節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」とあります。ここから、人は神の似姿と言われています。しかし、この理解について、「かたどり」と「似せて」を同一か別か、どう見るかで違いがあります。

近代の学者に中には、ヘブライ語では、この二つは同じ意味と見る人たちがいます。しかし、別の見方もあります。

エイレナイオスは、神の像(imago)と、神の似姿(similitudo)を区別して、神の像とは人間の理性など、似姿とは神との関係を示す言葉といいます。堕罪で、似姿は失われたけれど、像は残った、というのです。

私は、エイレナイオスのように考えています。
(『キリスト教神学事典』教文館・参照)

|

« 乳と蜜の流れる里 | トップページ | 共産主義 »

コメント

もっと詳しい説明が『キリスト教組織神学事典』(東京神学大学神学会編、教文館)にあります。大木英夫氏がまとめておられます。バルトとブルンナーの論争とその後についても書いておられます。

投稿: | 2007年4月14日 (土) 20時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 乳と蜜の流れる里 | トップページ | 共産主義 »