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2007年4月14日 (土)

講壇哲学

哲学は おもしろきもの 本来は
 自己探求の 道具であれば

主体間 響き合う中 学ぶなら
 どんどん進む 視野は広がる

その響き なければ学び 苦痛のみ
 講壇からの 哲学の弊

詩人哲学者とも言われたベルジャーエフは、講壇哲学を嫌っていた。「Dream and Reality」という、彼の哲学的自叙伝に書いてある。『アミエルの日記』の著者、アミエルもまた、講壇哲学の疎遠であった。彼は、1860年5月27日(日曜日)の日記に、私は講壇哲学を見ると処を得ていない感じと本当の間の悪さを覚える」と書いている。ソクラテスは「街の哲学者」であった。それを講壇化したのはプラトンだった。講壇化の真の原点は「街中」である。生活の中にある。生活を問い、生活の改革、改善に結びつかない教育は真の教育なのだろうか。

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