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2007年4月10日 (火)

内村鑑三試論⑦

●無教会の位置

 内村はカトリックに改宗しなかった。それは何を意味するのか。これにより、内村はプロテスタント陣営の一員として歴史に残り続ける。そして、彼と無教会とはプロテスタンティズムの徹底を叫びつつ、プロテスタント教会への問いであり続け、カトリック教会を指し示す道標となったのである。

 内村の反省的思考は実に強靭であったと言わざるを得ない。彼はプロテスタンティズムの運命を見通していたのである。従って、プロテスタンティズムは常に内村の問題提起に悩まされ続ける運命にある。

 彼はプロテスタントヘの批判からカトリックに近づいたが、ついにカトリックにならなかった。「聖書之研究」誌上で、プロテスタント主義の徹底を叫んで死んでいった内村だが、これは表向きの態度表明ではなかったのかとも思いたくなる。彼の本心を吐露したものとして、晩年の日記には、こう記されている。

 「十月二十四日(木)晴 無教会主義はこの世においては実行不可能の主義である。もし実行可能なれば直ちに教会となりて実現する。無教会主義の貴さはその実行不可能なるにおいてある。キリストの教もまたしかりである。誰も山上の垂訓が文字どおりにこの世において実行され得べしと信ずる者はない。不可能を実行せんとして努力奮闘する所にキリストの教の尊さがある。無教会はキリストの再臨を待ってその実行を見る主義である。それまでは理想としてその部分的実現をもって満足する。つねづね言うとおり、この世にありて完全なる教会に入らんと欲せば、今日直ちにローマ・カトリック教会に入るべきである。無教会主義は理想である。ゆえにこの世において成功を期待する小人と俗人とはこれをいだくべからずである」

 これは一九二九年(大正四年、六十九歳)十月二十四日の日記にある。亡くなる一年前である。ここでも、彼には無教会かカトリックかの選択が依然としてあるのであって、プロテスタント教会は消えている。プロテスタント教会なるものは内村の意識の中では教会を造ったが故に矛盾として映っているのだ。

 この日記の内容をどう読むか。これが内村の無教会主義の総決算であろう。そして、私はやはり思わざるを得ない。小人や俗人をも受け入れられるキリスト教の可能性を。無教会はプロテスタンティズムの一つの運命をわれわれの目の前にまざまざと見せつけたのである。

 内村鑑三は「無教会主義とは第二の宗教改革である」と言っていた。そこには彼なりの一つの論理が働いていた。それはプロテスタンティズムのいくつかの「柱」の内的関連に思いを寄せ、統一的「柱」を立てようといったアプローチである。これは、実はルターの中にもあったもので、それが「信仰義認」の「柱」であった。そして、この「信仰義認」の「柱」は純粋に個人主義的なものであった。そこには「体」に対する配慮がない。無教会のようなプロテスタント原理主義者にとっては、「体」は相対的なこと、二次的なことであるかも知れない。実際、内村鑑三は、教会の理解を「霊の共同体」といった面にのみ固執して、可見的教会論の問題を相対化したのである。この消息は、塚本虎二との晩年の論争の中に端的に現れている。塚本も論理的な人間であったが、内村にも論理がある。そして、われわれもまた、理解を求めて、無教会の教会史的論理を求めていく。

 無教会主義はプロテスタンティズムの一つの論理的帰結であるが、そのキリスト教、なかんずく教会の理解に「欠け」はないのであろうか。

(続く)

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