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2007年4月 9日 (月)

内村鑑三試論①

●「実験」

 内村鑑三は若い時から自然科学に強い関心を持っていた。「実験」という自然科学の用語をキリスト教信仰の実践を意味するものとして使うなど、彼は宗教家としては新しい感性の持ち主だった。「実験」という言葉は彼にふさわしいが、これは同時に、ある意味で無教会主義そのものにも適用される言葉のように思う。

 では、この実験によって明らかになったものは何か。

 内村は自らの意志により「内村聖書研究会」を解散した。これは非常に示唆的な決断であったように思う。その意味するところは何だろうか。「消滅」(死)を招来する、この決断は、一方では復活を待ち望んでいたというようにも受け取れる。それは次のような事情を背景として言えるのではないかと思う。

 内村は無教会が有教会となることを望んでいた。従って、自らの打ち立てた「第二の宗教改革」としての原理「救いを得るには信仰だけで充分、可見的教会は必ずしも必要ではない」といった原理を、後継者らが自分らにふさわしい形式の中に取り入れて、新たに共同体を可見化していくことを望んでいたようにも思われるからである。その時には、内村の表現形式は静かに、消滅の可能性にさらされなければならない。その相対性は絶対化されてはならない。内村聖書研究会の解散と共に、晩年の後継者問題に際しての「弟子をつくらない」といった思いの中に、こんな論理が潜んでいたのかも知れない。

 内村においての「ふさわしい形式」といったものは、武士道であったもの、詩人・預言者的な天分であったもの、漢学の素養、博繊などであった。これらの形式において、彼は「新しいキリスト教」の原理を探し求め、また表現し、それらを彼の信仰個人雑誌「聖書之研究」の中で精力的に発表していった。「二つのJに仕える」といったことも、無教会の原理の一つであろう。こうして、「無教会活けるものと死せるもの」といった選択を、後世の人々に完全に委ねて、彼は世を去ったと言うべきであろうか。後世の人々は、内村の残した、このさまざまな信仰的素材を目の前にして、「最初から」、自らの、ふさわしい形式において家造りをしなければならないのである。

(続く)

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