« 賀川豊彦試論① | トップページ | 乳と蜜の流れる里 »

2007年4月10日 (火)

賀川豊彦試論②

●協同組合

 賀川のキリスト教において顕著な特徴は、その社会性である。それは教会内部の社会性といったものではなく、人間全体、人類といったもので、彼は常にこの意識を待っていた。

 これは、果たしてプロテスタンティズムから自然に流れ出てくる観念なのだろうか。プロテスタンティズムの運命はピューリタニズムや無教会に流れていくのであり、それは分離や個人主義化へと常に向かっている。従って賀川の中に総合への志向、人類全体への視座があるとしたら、ここにはプロテスタンティズムヘの反省があるのではないか。狭い教派主義、信条主義で壁ができているプロテスタント世界の中で、賀川を異様に大きく映し出したもの、それはプロテスタンティズムヘの反省としてのカトリシズムの真理契機ではなかったであろうか。

 賀川の謎を解く鍵はどこにあるのだろうか。それは協同組合である、と私は考えている。賀川の社会理論は協同組合主義である。彼は、これが資本主義の弊害を克服する最善の、唯一の道であると考えた。そして、これは資本主義だけではなく、近代の分裂国家群のもたらす弊害をも克服し、「新しき中世」をもたらすダイナミズムでもあったのだ。

 協同組合は確かに資本主義の弊害を克服する社会理論として現れてきたが、ルネッサンス期のユートピア思想の影響も受け、新しい社会へのロマンチシズムを常に内にたたえていたのである。それは、ヨーロッパ近代が失ったキリスト教共同体(コルプス・クリスチアーヌム)への新たなる再建へと霊感されていたのである。

 賀川は戦後、世界連邦運動に走った。これも、彼の協同組合理論の一つの展開であった。ここにおいては、全人類が一つの共同体に属するという思想が現れている。現在のIT化は、グローバルな視点を要求している。誰も、この力を妨げることはできない。と言うことは、世界連邦とあえて言わずとも、世界は着実にその方向に向かっているのである。

 世界性、国際性、普遍性―-こう言った観念が常に賀川の中にあった。協同組合をキリスト教的に見て、どう評価するか? こういった間題意繊は、どうしてプロテスタント信仰の中から生まれてくるのだろうか。しかし、カトリック世界では、社会理論の検討の中で、協同組合には高い評価が与えられている。賀川が協同組合主義者であったが故に、プロテスタント世界では対話の相手を狭めたとすれば、逆に、この思想はカトリック世界では対話の相手を広げるきっかけになる。

 キリスト教は確かに魂の救いが大事である。これはプロテスタントの主張する大切な真理である。しかし、人間は一人では生きていけない存在であり、社会を形成しなければ生存を全うできない。この社会性をプロテスタント信仰の中で、どう位置づけるのか。

 内村はプロテスタント信仰に忠実に生きたが故に社会性を犠牲にし、賀川は社会性に目覚めたが故にプロテスタント世界では異様に映ったと言えようか。そして、この社会性への顧慮、包括的・総合的な視座こそがカトリック的なのである。

 教皇も、公会議も常に人類全体への視座を持っている。賀川が一般的なプロテスタント意識の中で異様なるものとして映るとしたら、それは彼の中に秘められているカトリシズムの故であるかも知れない。

(終わり)

|

« 賀川豊彦試論① | トップページ | 乳と蜜の流れる里 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 賀川豊彦試論① | トップページ | 乳と蜜の流れる里 »