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2007年4月 5日 (木)

論争

ルターとエラスムスの、自由意志論争は一度、しっかりと整理しておいた方がいい。というのは、その後も、同じような論争が起きたからである。カルビン系の教会の中で、アルミニウスの「異論」があり、ドルト会議で拒否された。しかし、ウェスレーはアルミニウスを擁護した。これも、また自由意志の関する問題であった。

もともとはアウグスティヌスとペラギウスの間の論争であった。ルターが登場した時、この論争がきちんと意識されていなかったのだろう。

そこで、問題は、信仰の救いにおける位置づけである。信仰によって救われるというのが聖書の教え、キリスト教の教えである。その時、信仰が人間の側の功績になりはしないか、そんな問題が起きるかも知れない。しかし、それは否定しなければならない。では、どうしたらいいのか。

二段構えにすればいいのである。救いの第一原因は神の恵み、第二原因は人間の側の信仰、という具合に。

この第一原因と第二原因とを、同じ「原因」という言葉によって、混ぜてはいけないのである。混ぜた時に起きるのが、セミ・ペラギウス主義である。混ぜなければ、救いのための信仰の必要性を、どれほど強調してもいい。それは人間の功績にはならない。

こういう観点から、もう一度、一連の論争を振り返り、整理してみたらどうだろうか。

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