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2007年4月24日 (火)

行為の契約

ジョン・ウェスレーの『説教』の中に、こんな言葉があった。

「彼らは決して、行為の契約が「罪過と罪とによって死んでいた者」(エペソ2・1)にたいして与えられたのではなく、人が神にたいして生きており、罪を全然知らず、神が清きごとくに清くあった時に、その人にたいして与えられたものであるという事実を、考えなかったように思われる。彼らは、それが決して、一度失われた神の好意と命とを回復するために意図されたのではなく、それが永遠の生命において完全になるまで、それを存続させ増加させるために意図された、という事実を忘れている」

義認のあと、聖化が始まる。その聖化の過程で、「行為の契約」を考える余地が生まれる。

引用文の「行為の契約」は、堕罪前のアダムに語られたもののようだが、それがウェスレーによって引用されているということは、義認後の聖化の過程を歩んでいる信徒のためにも有効である、という意図が隠されているのではないだろうか。

トマスには「功徳論」というものがある。それは絶対他力的、義認における恩寵を経た後での考察である。絶対他力は、完全受動であるが、それは義認・新生の時の条件である。しかし、その後は、どうなのだろうか。新しい行為が始まるのではないだろうか。そして、この行為もまた信仰の中で考察されるべきではないだろうか。

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