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2007年4月28日 (土)

伊藤博文の提案

「玄侑 近代国家を作るためにどんなヒエラルキーを用いるべきか調査するためにヨーロッパに視察に行った人たちの中で、伊藤博文は日本の宗教はキリスト教にしたらどうかなんて言っていますね。
梅原 そうですか。それは面白い。…」

これは玄侑宗久対談集『多生の縁』(文藝春秋、174頁)にあります。

伊藤博文は、明治憲法制定のための「提案」の中で、ヨーロッパ事情を説明し、そこにはキリスト教があるが、日本で、それに替わる精神的軸になるものはないだろうか、その時、仏教、神道は不十分で、ただ皇室の伝統が一番いい、と、そんなことを言っています。

玄侑さんの発言は、それとは別の資料があるのでしょうか、と思います。伊藤は、玄侑さんの言うように、日本の宗教をキリスト教にしようとは言っていないと思います。

「日本の宗教をキリスト教に」というのは、日本の国教をキリスト教に、という意味かも知れませんが、そういう提案はないと思います。しかし、明治体制の中に、平田篤胤の神道が入っていく中で、篤胤の中にあったキリスト教取り込み要素も混じっていき、そこにキリスト教を発見する場合もあった、それはありうると思います。

明治国家神道体制の本質に関して、ある小説が、主人公の発見の驚きと共に描いています。堀田善衞氏の『若き日の詩人たちの肖像』です。集英社文庫の下巻の319頁以下に書かれています。平田篤胤が神道の中にキリスト教を引っ張り込んだ、というのですが、これは、よく知られた話です。

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