« 内村鑑三試論⑤ | トップページ | 内村鑑三試論⑦ »

2007年4月10日 (火)

内村鑑三試論⑥

●「分派」

 武田友寿氏は「内村鑑三・青春の原像」 (日本YMCA同盟出版部)の中で、内村のピューリタニズムを「プロテスタンティズムの一分派」と書いているが、異端的色彩の強い「分派」という言葉を、私はここで使いたくない。いや、ピューリタニズムはプロテスタンティズムの精華とさえ言いたいくらいだ。もちろん、武田氏の視野には、そう見えるのだろうことは理解できる。

 内村はプロテスタントの中に育ちながら、プロテスタントがカトリックから引き継いできている堅い信仰を保持してきた。もし、内村がキリスト教会の歴史を丹念に調べていったのであれば、ニューマン枢機卿と同じように、カトリック信仰に行き着いたかも知れない。彼の関心の中で「教会論」は常に、大きなウエイトを占めていたのだから。しかし、歴史は、そのように展開しなかった。

 内村はプロテスタントの前提を常に意識しつつ、それから離れようとはしなかった。従って、彼の無教会論は、不用意に読むとカトリック教会否定をも含んでいるようだが、実際、これまで調べてきたように、そう読んでもおかしくない個所が多々見られるのだが、真実は、プロテスタントの原初的な原理、信仰義認の「実験」の中に立ち、それから視点をずらさなかった批判であったが故に、プロテスタント教会の可見性の瓦解を促すものとしても作用したのである。それは教派というものへの疑問符である。これは、晩年、カトリック主義として批判したところのものを指す。

 しかし、プロテスタント主義というものは教派を容認、是認しているのではないかと考える時、そこには、ただ内村にとっては「超克されるべきプロテスタント主義」というものだけがあるのである。

 しかし、教派主義に対する批判と、教会の可見性に対する批判とは同じではない。教派主義批判は分かりやすい批判であるが、教会の可見性への批判というものは、そんなに分かりやすいものではない。いや、厚い壁があるだろうと思う。

 こうして、無教会はプロテスタンティズムの運命をつきつめた所で真のカトリシズムの世界を望見したのである、と私は言いたい。内村の位置から普遍的教会へは、ほんの一歩である。と言うことは、内村鑑三の中には、カトリシズムの真理が他のプロテスタント教会よりも純粋に輝いていたのだ。

(続く)

|

« 内村鑑三試論⑤ | トップページ | 内村鑑三試論⑦ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 内村鑑三試論⑤ | トップページ | 内村鑑三試論⑦ »