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2007年4月25日 (水)

近代哲学の探求

西洋の近代哲学思想には確かに魅力がある。それはキリスト教との関わりの中で生まれ、形成されてきたもので、光もあるし、陰もある。

近代日本に、それは紹介され、学ばれてきた。しかし、そこでは学ぶ人に信仰は前提されていない。その時、どれくらいの共感が起きるのだろうか。同時に、信仰によって強められていない理性が、西洋近代哲学の森の中に入る時、その核心にどれだけ迫れるのだろうか。また、それは危ない試みとはならないだろうか。その分野での探求を断念した人もいる。

信仰と理性の関係について、トマスは一つの考え方を提起している。スコラの原則と言われる。それは、哲学が、ギリシャ思想を受け継いで、神という、哲学(形而上学)の本来的対象に関わりをもち、理性の限界の認識とともに、その突破において、新たな力を与えられて、なおも探求を続けていくために、必要な前提と、私は思う。

中世哲学にしても、近代哲学にしても、信仰を棚上げした時に、どんな有意義な、理解の地平が見えてくるのか、なかなかしんどいような思いがしている。

もちろん、ラッセルのような批判もあるのだけれど。

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コメント

スコラとは何か。こんな説明がされている。

「スコラの方法の特徴は第一に、哲学の道の型を神学の道にも適用して(転位の問題)、開拓が進められたこと。かつ哲学は神学の婢という関係にあること」(『西洋哲学史』山崎正一、原佑、井上忠著、東京大学出版会)

これだけだと、なにやらよく分からないけれど、最初の「神学」は「自然神学」、あとの「神学」は「啓示」と言えば、分かりやすくなる。同じ「神学」の言葉が使われていても、別の意味と思う。


投稿: | 2007年4月26日 (木) 21時10分

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