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2007年5月 5日 (土)

回想法

回想法という精神療法がある。朝日新聞(2005年5月23日)の社説に、回想法の効果が紹介されている。回想法とは、高齢者の心理的安定を高める心理療法で、思い出を語ることで、認知症(痴呆症)の予防ができるのだという。「記憶をかき集めて、生きてきた道のりをたどる。脳を活性化させるとともに、過去の自分の姿から今の状況に向かう勇気をもらう」と紹介している。

司馬遼太郎の歴史小説を読むことの効果と、回想法とは無関係ではないかも知れない。すぐれた歴史小説家というものは、回想法という手段を使って、民族精神を癒す精神療法家なのかも知れない。

NHKのラジオ深夜便の人気も、回想法の大掛かりな実施と、その効果の現れを明示しているのかもしれない。

深夜便 回想法の 効果あり
 毎日聞いて 心健康

リハビリは 体だけでは ないですよ
 個人回想 怠らないで

自分史の試み、回想法、内観、カウンセリングなど、心の健康に日ごろ励みたい。瞑想も、その一つかも知れない。その勘どころは、意識化されたものの意味づけなのだと思う。もちろん、それが正しいかどうかは分からないが、仮説として当面、採用しておくといったことでもいいのではないだろうか。

回想法の解釈として、こんなことを考えた。

旧約聖書には、こんな個所がある。
「モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(民数記21・9)

一方、新約聖書では、こう言われている。
「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(ヨハネ3・14-15)

両方とも蛇が出てくる。もちろん、原点は旧約聖書の方の物語である。蛇とは、人間の不幸の原因を作ったアダムとエバの最初の罪(原罪)に関係する動物のことだ。原罪の原因は蛇の誘いにのったためといわれている。

蛇を仰ぐということは、原罪の原因の過程を、もう一度、意識化することを意味するのではないか。それが癒しにつながるとすれば、そこには精神分析と同じような癒しの過程が見えるのではないだろうか。ここに精神分析的プロセスが見えるのではないだろうか。

要するに、罪というものは、もちろん、ない方がいいのだけれど、罪をおかした時には、それから逃げることの中に解決や癒しがあるのではなくして、徹底的に意識化することが解決、癒しにつながるというのであろう。聖書は精神分析の原理を先取りしているように思えるのである。

回想法もまた、拡大解釈をすれば、そんな過程での癒しを求めているのではないだろうか。現在は過去に、また未来につながっている。そのつながりを見定めなければならないのである。

そして最終的にはエデンの園の回想、これが大切なのだろう。

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