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2007年5月14日 (月)

塚本虎二論

内村鑑三と塚本虎二との関係は、きちんと整理しておいた方がいいと思う。塚本は自分でも自覚していたように、、内村の一部である。しかし、内村には、別の要素があった。彼の方が複眼であり、状況感覚豊かであったと思う。

内村は無教会が分派的存在になることを嫌った。しかし、塚本のやり方では分派的になるだろうと思う。

制度、組織などを教会から排除することはできないだろう。カトリックもプロテスタトンも、それはできない。

その時、それらのない在り方でも救いはあるのだ、という主張なら、なにも問題はないのだろうが、それらがあるのは間違っていると言い出せば、反発を買うに違いない。

教派主義への課題は教会も共有しているのである。しかし、塚本の教会批判の中には、ただ、制度・組織などがいけないというだけで、教派主義への批判が弱いように思う。

塚本の、組織、制度への批判に、もう一つ、共感が覚えられないのは、教派主義への批判、そして教派は教会なのか、といった問題提起が欠けていたから、と思う。ていねいに説明すれば、教会人の関心を得ることは、そんなに難しいことではないと思う。

いずれにしても、塚本虎二論というものは、無教会論をどう構築するかと無関係ではないと思う。

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コメント

例えば、内村の最後の遺言の中に、こういう言葉がある。

「塚本も赦す。自分の罪も主イエス・キリストにありて赦して貰ふ」

塚本は、この言葉を伝え聞いて、こう思ったという。

「しかし不思議にも、石となつた私の心には、どうしても、その意味が感通しなかつた。ただ、何を赦して下さつたのだらう、とばかり思うた」(『内村鑑三先生と私』14頁)

さて、この「赦し」「赦される」の内容は何なのだろうか。

故人が、周囲の人々に話していれば、当然、その内容は知れていると思うが、そんな情報が伝わっていない。塚本本人にも、当時は、伝えられなかったのだろう。

ただ、内村晩年における塚本との関係から、推測はできるのである。そんな推測で、あの言葉を味わっているのが、一般の人たちではないだろうか。

私も推測したい。それは塚本論ともからんでいるからである。

内村が「赦す」といったのは、塚本が無教会を「分派的に先鋭化」させたことではないだろうか。そして、「赦して貰ふ」といったのは、その「原因が自分にある」ことを知っていたからではないだろうか。

塚本は、「分派的に先鋭化」させた自分の「罪」を感じなかったのではないだろうか。だから、何を赦してもらったのか、分からなかった、と言ったのではないだろうか。

無教会というのは、もともとは、内村の「実験」的提案だったのかも知れない。しかし、塚本の登場で、無教会の本格的歩みが始まり、そこに一つの党派的勢力を感じ取ったのではないだろうか。それが嫌だったのではないだろうか。

投稿: | 2007年5月14日 (月) 15時15分

「先生には無教会主義は信仰ではなかった」と塚本は言っている(『内村鑑三先生と私』274頁)。塚本は、無教会主義を信仰と受け取ったのかも知れない。そう、受け取っても、仕方ないような言い方を、内村はしていたのである。この点では、塚本に同情する気持ちがいくらかは、ある。いずれにしても、『内村鑑三先生と私』は無教会論を考える上での、必須の資料と思う。

投稿: | 2007年5月14日 (月) 22時14分

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