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2007年5月12日 (土)

創造活動とは

 認識は、分裂、主体・客体の分裂から出発する。しかし、ベルジャーエフのいう創造活動は主体と客体との一致が成立する現実の存在にその出発点を持っている。それは認識そのものが現実的であり、現実のうちにおいて行われることである。

 認識論は「認識の対象は認識の外部にあって、なんらかの形で認識に反映する」という考え方だ。しかし、霊的に理解された認識とは「それによって、また、そこにおいて、あるものを現実にもたらすはたらき」といえようか。だから、「創造」という言葉が使われるのだろう。

 認識の一次的段階は現実的であり、その現実に分裂が起こるとき、認識に客体化が起こってくる。創造活動とは、この一次的段階における認識に関係する。エデンの園、楽園追放、楽園への回帰、その各段階における認識とでも言えようか。

 創造活動の前提である現実の存在とは堕落した人間の理性によって合理化され、形を与えられた存在のことではなく、合理化以前の「根源的生」、まだ暗黒のうちにある存在のことを指す。この現実の存在の内での認識活動が内面的な創造活動(『人間の運命』292頁)であって、その場合には主体と客体が内的に連関し、認識は現実に即したものになり、「何か」etwas ものの本質を知ることを意味するのである。

 創造活動においては現実の世界は存在するのであり、主体・客体分裂の状態における認識のごとくに現実についての単なる概念だけが存在するのではない。

 西田幾多郎の純粋経験と、ベルジャーエフの創造活動を比較したら面白いと思う。

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