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2007年5月10日 (木)

物自体の認識

 ベルジャーエフのいう創造活動は現実の存在を予想している。カント哲学の認識論ではとらえられない現実の存在との関係のうちの活動が創造活動である。

 ベルジャーエフは一時、カントに熱中したが、カントが物自体のうちにおける認識を拒否しているのを受け入れることができず、それによってカント熱が冷めていったといっている。しかし、それでも彼がカントを非常に高く評価していることが彼の著書によってわかる。

 ベルジャーエフは認識によって存在を求めるのではなく、存在からの認識を求める。彼は理論理性による形而上学を拒否したカントの立場を守りつつ、なお物自体における認識を認め、新たな形而上学を作ろうとする。「形而上学の基礎となることのできる唯一の場-つまり、人間の霊的体験は神存在を証明するただ一つの証拠である」(『愛と実存』31頁)という。

 「人間の霊的体験は神存在を証明するただ一つの証拠」という言葉には賛同するキリスト者も多いのではないだろうか。しかし、「物自体における認識を認め」というのは何を意味しているのだろうか。五感を通さない認識というのであれば、分かるような気がする。しかし、それらも、もともとは五感を通して形成された認識かも知れないと反論する人もいるだろう。

「物自体における認識」とは、聖霊のうちにおける「認識」のことを指しているのかも知れない。五感を通過した認識でも、その土台の上に、異質な別世界からの要素が加われば、それが「物自体における認識」なのだろうか。

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