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2007年5月10日 (木)

回心

ベルジャーエフは、哲学的自叙伝を残しているが、自ら回心を知らないと言っている。どう理解したらいいのだろうか。

ベルジャーエフによれば、正教にとっては回心はほとんど問題にならないようで、ベルジャーエフも自分には回心と呼ばれるものがなかった、もしあるとすれば、それは人生の意味探究の旅を始めた時だという。

こういう時、解釈が必要になる。ベルジャーエフが回心という言葉で何を考えていたのかということである。

回心が内面的には再生・新生に、また外面的には洗礼に結びついていることを思う時、正教にも洗礼があるではないか、だから正教だって回心を知っているのだ、と反論することもできる。

ベルジャーエフは一応、正教との信者なのだろうが、「自分がキリストの神秘的教会の会員であることを常住に感じている」(『わが生涯』280頁)ともいう。

この神秘的教会というのは不可見的教会のことなのだろうか。あるいは聖霊の実感、聖化の感覚なのだろうか。そして、普通の信徒であれば、まず、可見的教会の会員であることを言うのに、不可見的教会とのつながりを言うのは、彼の教会観が、一般とは少し違うということなのかも知れない。そして、その区別には、教派乱立の可見的教会を全部まとめて「見る」というメリットもある。

言葉は、自分が定義しているようには、他人は使っていないかも知れない。その時、自分の定義によって、他人の言葉を判断することを、普通のこととしてやっているが、当人は、どんな定義をしているのか、それを知るのも大切である。解釈する余裕を持たなければ、相手を誤解しているかも知れないからだ。

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コメント

「わたしは、青年時代に、意味(神)と、永遠(救い)とを、探究しようと決心した。この探究こそ、私の回心ともいうべきであり、哲学への召命であった」(『ベルジャエフ』田口貞夫著)とも言っているとのこと。

投稿: | 2007年5月12日 (土) 21時06分

「煉獄、天国、地獄、こういったすべてのものはキリスト教に本来的なものではない。神に関するあなたがたの概念を再検討するために、至高善が被造物の永遠の苦悩にあると決めたような全能の神というものを考えてみよ。あなたがたは、そのような神を是認することができもしよういうのであろうか。カルヴァンの予定説の仮定は、人間が生活していたきわめて恐怖の状態からでなければ説明がつかない」(『神と人間の実存的弁証法』)

恐らく、ベルジャーエフの、こういう言葉は、それだけで教会から「異端視」されるだろう。しかし、彼が、なぜ、こういうことを言うのか、その意味を探らなければならない。だから、解釈が必要となる。

投稿: | 2007年5月13日 (日) 06時21分

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