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2007年5月23日 (水)

解釈学

ディルタイ、解釈学という名前は知っていたが、余り関心がなかった。しかし、放送大学で、実は、重要な問題提起をしていることを知った。

大学の時、「哲学の本質」を読んだが、よく分からなかった。しかし、実は、実存主義思想とも関係する領域をディルタイも探っていたのであることを知った。

こんな言葉があった。

「哲学なる概念は、単に一つの普遍的事態を表すばかりでなく、それのある一つの連関--歴史的連関も表すのである。哲学者達は先ず初めに直接に世界と人生の謎に直面している。彼等が哲学なるものについてつくる様々な概念は、そこから生まれるのである。従って、哲学的精神がそののち取ったあらゆる立場というものは、遡ってこの根本問題に関わるのであり、生命のある哲学的仕事はいずれもみな、この連続の家で生まれるのであって、哲学なるものの過去は一人一人のあらゆる哲学者に働きかけている。それで、哲学的精神はたとえ大なる謎の解決について絶望に陥る場合でも、この過去の力によって、この謎の解決のためにさらに新しい立場をとらざるを得ない。だから哲学的意識のすべての立場およびこれらの立場を表現している哲学のすべての概念規定は、一つの歴史的転換を作るのである」

「哲学とは、精神がそのすべての態度について、その態度の究極の前提に至るまで行う精神の省察である」

思えば、精神分析も、解釈を求めているのである。そして、解釈が妥当であれば、それで病気は消えていくのであった。

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