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2007年5月17日 (木)

実存主義の時代

 昭和40年代は大学紛争の時代であった。そのころ、哲学界では実存主義が流行していた。どの大学でも哲学の授業で実存主義を扱わないところはないといった状況があった。

 実存主義案内の本を書店で多く見かけた。そこには、ニーチェ、キェルケゴール、ヤスパース、ハイデッガー、サルトル、マルセルなどは必ず出てくるが、どうしたことか、ベルジャーエフの名前はなかなか見当たらなかった。

 おそらく、ベルジャーエフの思想があまりにも終末論的すぎて、キリスト教の前理解を欠く日本の哲学界が自らの関心事としてベルジャーエフを受け入れる余地があまりにも少ないか、または彼の根本的主張があまりにも単純で明快であるために、難解性を好む哲学者たちの肌に合わないためかともと思った。

 ただ、ハイネマンの『実存主義、その生けるものと死せるもの』には、神秘主義的アナーキストとして、ベルジャーエフが登場していた。そこではベルジャーエフの哲学は常に傍系であると紹介されていた。しかし、彼の実存主義は、私としては、ロシア的精神構造の中で展開されていて、興味深く感じられた。

 『実存主義案内』(E.ムーニエ著)という著書があった。「哲学の使命は事実、絶望を伝えることではない」と言われていた。確かに、実存主義は、限界状況について語るなど暗い状況を対象にしているが、絶望は、根本的には絶望を超えた人たちによって伝えられ、その超えることで、実は希望が伝えられているのだと思う。ムーニエは、またこの本で「厳密に言えば、実存主義的でない哲学なぞというものはないのである」ともいうが、同感である。しかし、今、哲学は実存主義といっても、多くの人たちは振り向かないであろう。

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