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2007年5月 2日 (水)

ポストモダン

ポストモダンの概念と「新しき中世」とは、どんな関係にあるのだろうか。

その時、そもそも、ポストモダンとは何か、という問いがなければならない。『二十一世紀と福音信仰』(千葉眞著、教文館)が、説明している。(32頁~)

それによると、現状に懐疑的な「抵抗のポストモダニズム」と、現状の積極的意義を称えようする「反動のポストモダニズム」があり、根深い対立があると、いう。

しかし、その中で、抵抗のポストモダニズムの思想においては、いくつかの共通項があり、その一つとして、こう説明されている。

「第一に、ポストモダンという概念は、それ自体「中世」と「近代」を画するようなカテゴリー的な変革ないし断絶を意味するものでは決してなく、むしろモダンの変質を示唆するという点である。換言すれば、モダンが量的に急激に変化した結果、その変化の極致ないし到達点として質的な変化をともなうポストモダンの諸相が見られ始めるにいたる、ということである。ここにポストモダンが、モダンに根本的に対立する新しいカテゴリーではなく、むしろそのサブ・カテゴリーとして理解されるべき理由がある、ともいえよう」(33頁)

かつて、吉満義彦は、歴史的中世の再現を求めているのではなく、中世の永遠的なものの妥当性を主張するのだ、という意味のことを言っていた。大まかに言って、中世は信仰の時代であり、神中心の時代でもあった。そんな中で、逆説的ではあるが、人間もまた生きていけるのである。

かつて、「新しき中世」を言った人たちは、現代のポストモダンの思想家たちよりも、あるいは急進的な立場であったかも知れない。なぜなら、ポストモダン(後近代)ではなく、新中世と言ったのだから。

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コメント

ポストモダンは「脱近代」、それに対して、レイトモダン(後期近代)という言葉もあるらしいです。前者は近代との断絶、後者は近代との連続面を意識した言葉でしょうか。

投稿: | 2007年5月 3日 (木) 21時48分

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