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2007年5月20日 (日)

闘争的精神

 ベルジャーエフは非常に能動的な精神である。しかし、単に人間の罪性による有限性の内において徹底的に能動的であるというのではなくして--もしそうであったら創造活動は彼とは無縁だっただろう--、その有限性に打ち勝ち、無限性に対する憧憬において能動的であった。それ故に、彼には何か神話的、伝説的なイメージも漂っている。

 彼には非常にはっきりした現実意識、歴史的現実に対するとぎすまされた意識がある。しかしまた同時に彼は大きな幻の中に生きたのである。精神の幻の中に生き、その幻を創造活動によって把握し、打ち出した。

 我々にとって、ベルジャーエフのイメージは徹底的な抗議的精神である。闘争する精神、自然の悪魔的諸力、異教の無化力、あいまい性に対して、最後まで戦い続けた精神である。

 「人間の圧倒的大多数は-[名ばかりの]キリスト教徒も彼らが唯物主義者である限り、この中に含まれる-精神(霊)の力を信じない」(『神と人間の実存弁証法』)。

 しかし彼は、精神の力を信じない人間の圧倒的大多数に対して、ひとり徹底的に精神(霊)の力を信じ通した。このような彼の闘争的精神は、古代ギリシャの哲学者が人生の目的に幸福という静的な、自己満足的な概念を打ち出したのに対して、「幸福は人生の明確な目的ではない」(『神と人間の実存弁証法』)とはっきり拒否している。そして「幸福は恩恵の一時的瞬間として与えられるに過ぎない。真理はこれを求め、無限なるものを追求する人々によってのみ、到達されうるものである。真理はただ道を通し、生活を通してのみ与えられる。それであるから、真理はつねに戦いとられうべきものである」(『神と人間の実存弁証法』)という。真理は常に受動的贈与として主体に所有されている時にのみ、その真理獲得の闘争が意味をもつのだという反論もあるであろうが、この「真理を戦いとる」というところに彼の生涯を貫いている一つの基本線を見ることができる。

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