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2007年5月15日 (火)

人物像

 『ロシア思想史』にはベルジャーエフの紹介があるので、それで彼がいかなる人間であったか、概略を知ろうと思う。

 「ニコライ・ベルジャエフ(1874~1948)は、今世紀のロシア最大の思想家である。彼の優れた思想は、西欧において極めて高く評価されている。彼の思想の分野は、文明批評、社会論、人間論、歴史哲学、宗教思想、ロシア思想に関するもの等、多方面にわたっている。彼は終始、パーソナリティに最高の価値をおく人格主義の立場をとる。そして、人間解放の悲劇、深い人類愛がその思想的基盤になっている。彼は、はじめ、人間解放を求めてマルキシズムに入ったが、マルキシズムは精神の自由を抑圧するとしてこれと訣別し、独自のキリスト教信仰に入った。この点も注目すべき事柄であろう。ベルジャエフの思想が特にわれわれに訴える点は、その迫力ある人間解放の大理想と、真の自由を求める強烈な探究心にほかならない。また、マルキシズムとキリスト教、ロシアと西欧の課題と身を以てとりくんだ情熱であろう。現在、人間性が過度に疎外され、精神の自由がともすれば見失われがちな時、また東西両陣営が緊張状態にある時、ベルジャエフの思想家としての地位は、極めて大なるものと考えられる」

 また『孤独と愛と社会』には次のように書かれてある。

 「ベルジャーエフの書いたものは量的にもすこぶる多く、個人の心霊の神秘的な深みから、現実的な共産主義批判まで、いいかえればヤーコプ・ベーメから、マルクス、レーニンまできわめて広汎な領域に及んでいるけれども、そこにはつねに求心的な一点があり、いつもそこが彫り返されて、そこから全視野に新しい波が送られてゆくという感じである。かれの思想家的性格は体系家ではなく、どこまでも問題探究者のそれである。問題探究者というのはひろくさまざまな問題を探究するという意味ではもちろんなく、つねに自分の問題を深く掘りさげてゆく態度をいうのである。かれの書いたものはどれを読んでも調子が似ていて、その上いくつかの主題が決まったように鳴りひびき、そうしたもののヴァリエーションの連続といった感じがする。しかしそこにはまた絶えざる前進と深化があるので、私はニーチェのある文章を、一批評家が評した美しい比喩を思いだす。それはスイスのセルベローニにある螺旋形の小径を登ってゆくのにたとえたもので、そこから見ると幾多の白い家々をめぐらせたコモの湖やレッコの湖などが見え、また北方の湖のかなたには雪をいただいた連峯が望まれ、しかもこれらの美しい眺望はその螺旋形の小径をのぼるにつれて、同じ眺めではあるが、しかもつねに新しく魅惑的な風景をくりひろげるというのである。ベルジャーエフの著作に接するごとにそうした感興をおぼえる」

 『神への認識』『宗教』を読んで、私は、その明瞭かつ適切な説明とその背後にある主体の一貫した信仰的態度に大いに感銘を受けたが、その著者である菅円吉氏は、まだ日本において、ほとんどベルジャーエフが紹介されていなかったころ、「廿世紀思想」で、ベルジャーエフを紹介した。そこには「ニコライ・ベルジャィエフ(Nikolai Berdiajew)の哲学思想は、現代哲学の中に於て最も特色あり、最も深刻にして且つ最も意味あるものの一つとして、既に欧米の識者の間に注意されつゝある」と書かれている。

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コメント

ベルジャーエフの視界の特徴を、私は「螺旋登攀的眺望」と言いたいと思います。そんな視界が広がっているのを読者としては感じます。彼の著作を読んでいくと分かります。

最近、放送大学で、解釈学についての講義を聞きました。大変、興味を覚えました。ディルタイの名前は知っていましたが、解釈学に興味を覚えたのは、初めてです。ベルジャーエフの「認識論」の「理論化」が、そこにあるように思いました。

人は、人生という道の上を行く旅人と思います。景色は変わります。そこに旅の楽しさもあるのでしょう。しかし、変わるものと共に、変わらないものも必要であり、大切ではないでしょうか。軸は不変でないといけません。そして、その軸の不変性を、きちんと認識している必要があると思います。

投稿: | 2007年5月15日 (火) 11時16分

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