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2007年5月20日 (日)

天才

 ベルジャーエフの著書を読むと、我々は彼の情熱に感心し、また彼の徹底的首尾一貫性に、率直性に驚く。原理に対してあくまで忠実であり、その原理を彼独自の意識の論理的必然性に従って展開していき、その結果が如何なるものであろうと、それを主張していく彼の大胆さにうたれる。しかし、このように彼の著書を感激を持って読み進みつつも、彼について何かを言おうとすると、いつも彼がどこかに隠れてしまうようで仕方がない。

 彼は徹頭徹尾、自分が哲学者だと言ってはいるが、概念の研究者としての哲学者というよりは、一人の偉大な賢人と言った方が良いかも知れない。「天才とは、その頭の中で表象としての世界が一段と高い明るさに達し、ひときわ鮮やかな姿をとって現われているような、そういう人間のことである。そして、もっとも重要でもっとも深い洞察を提供するのは、個々の事物についての細心な観察ではなく、全体の把握の充実度なのであるから、人類が最大の教訓を仰ぎうるのは、この天才からである。彼は円熟の域に達すれば、それを何らかの形で与えるであろう。してみれば、天才を定義して、事物についての--ひいてはまたその対立者たる自己自身についての--際立って明らかな意識である、ということもできる。人類が事物と彼ら自身の本質についての解明を求めて、ふり仰ぐことができるのは、かような天才を恵まれた人である」(『知性について』133頁)とショーペンハウエルは言っているが、ベルジャーエフはまさにそのような天才であったといえるであろう。

 「非凡な人々、天才的な人々は一面において孤独であり、理解されず、その環境とその時代へのはたらきかけから手を引いてはいるが、彼らはなお他面においては自分自身の中に閉じこもらず、世界を進展させる精神力を顕示することによってその時代に先行していくのである。真に卓越した人物は、真の創造的人物はグループをなしては行動しない、個的存在として行動する。彼らはどれも自立独往であり、しかもその民族の深い生命に親しく結びついている」(『神と人間の実存的弁証法』)。

 ベルジャーエフはこのような人間ではなかったか。ベルジャーエフには確かにその思想の核になっている重要な概念がいくつかあって、それらが彼の内に有機的に統一されており、その内的・全体的運動において歴史上、主導権を握ってきたさまざまな思想を批判・検討しているのである。そして、そのいくつかの思想の核に「自由」とか、「創造」とか言われるものがあるのである。そのような彼の思想の骨格を形成しているようなものに関しては、彼がロシア人であることを感じる。

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