« 実存主義の時代 | トップページ | ロシア無神論 »

2007年5月17日 (木)

ロシア的実存主義

 ベルジャーエフは、実存から出発する。しかし彼の実存主義は、キェルケゴール、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルなどとは違うという。ベルジャーエフによれば、ロシア人は非常に極端であり、矛盾している。彼らにとっては中庸の道はなく、常に正統か異端かのどちらかである。ロシア人は懐疑派ではない。彼らは独断家である。彼らの間では、すべてが宗教的性格を帯びる。彼らは相対的なものには、ほとんど理解がない。ベルジャーエフは、このロシアの子である。

 彼の哲学は非常に具体的である。それは常に自己自身の実存の意識から哲学しているという意味である。非人間的なる時代思潮に対して正邪を決定していく作品群は純粋な学問としての理論理性の所産というよりも、強力な実践理性の所産である。

 彼の実存主義は非常に極端に走る。キェルケゴールがイロニーで語った真理を彼はそのまま率直に語る。それは革命に通じている。彼が最初に受け入れたマルクス主義では政治的革命、のちの立場となったキリスト教では精神の革命が構想されている。

 ロシアは政治的な共産主義革命を遂行したが、「人間主義は内的実存的弁証法の力によって反人間主義に転化する。人間の自己主張は結局人間の否定になる。ロシアではこの人間主義の弁証法の終局は共産主義であった」(『ロシア思想史』)という。そして今、この共産主義革命で出来た国はなくなってしまった。

 彼にとっては哲学は闘争であった。青年時代、マルクスを師とした彼は、マルクスとともに、「哲学は世界を解釈するだけではなく、世界を変革しなければならない」と告白しつづけた。彼の哲学は、生涯そのような革命の哲学であった。

 彼は自ら回心を知らないと言っているが、偉大な宇宙的回心を構想している。人間は政治的革命か精神的革命か、そのどちらかを選ばなければならない。彼はそういった緊張した意識を持っている。彼の生きた時代は、そういう時代であったのだろう。

|

« 実存主義の時代 | トップページ | ロシア無神論 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 実存主義の時代 | トップページ | ロシア無神論 »