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2007年5月12日 (土)

ロシアの巡礼たち

 西欧社会では、そして日本でさえも、彼が『ロシア思想史』の中に描くロシア・インテリゲンチャ、そしてロシアの巡礼たちの姿は見られないのではなかろうか。

 「インテリゲンチャは理想主義的な階級であり、全く理想によって動かされ、自分達の理想のためには監獄、苦役、死をもいとわない人々の階級であった」
 「一体何がこの人々を感動させたのか。何人の霊感が彼等を再創造したのか。彼等は公の地位も、個人の利益も、身の安全も、一向に考えもせず、気にもかけなかった。彼等の全生命と全力は個人的利益を少しも顧慮することなく、ひたすら公共の善に捧げられた。彼等のある者は自己の富を忘れ、ある者は貧を忘れ、理論的問題の解決に向って休む暇なく前進する。真理と生命への関心、科学と芸術への関心、人間への関心が一切を呑み込んでしまう」
 「頭髪が灰色になっても、霊感は永遠に若い、この人々のような、私心なき思想への傾倒者、科学への献身者、自己の確信への熱狂的信奉者の群を、諸君は同時代の西欧のいずれの地域に認めるであろうか」

 そして彼は、ロシアの大自然を背景に精神的巡礼たちの姿を描く。

 「ロシア人はいつも他の生活、他の世界を渇望し、いつも既存のものに不満である」
 「巡礼は西欧では不可解なほど、特色のあるロシア的事象である。巡礼は広大なロシア国土を遍歴するが、決してどこかに定着したり、何かに執着したりしない。巡礼は真理を探求し、神の国を探求する。懸離れたものをめざして闘う。巡礼は地上には永住の都を持たず、来るべき都を目指して熱烈に前進する。人民大衆は常に自分達の階級から巡礼を生み出したが、ロシア文化の最も創造的な代表者達は精神的に巡礼であった。ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、ソロヴィヨーフ、その他の革命的インテリゲンチャはみな巡礼であった。肉体の巡礼ばかりでなく精神の巡礼も存在する。精神の巡礼とは、有限なものには安息と平和を見出しがたいもの、無限をめざして闘うものである。しかし、この闘いもまた終末論的闘いであり、すべて有限なものは終って、究極の真理が啓示され未来には何か異常なものが生まれるという期待をもって待つ」。

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