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2007年5月15日 (火)

創造活動と回想

 我々は回想の持つ不思議な魅力を知っている。過去の事実が回想において全く自発的に蘇ってくるのは、そして現在を照らし、また現在に新しい意味を加えるのは、我々にとって非常な驚きである。過去は死んではいない、過去は生きているのだと、考えたくもなる。

 しかし、そのような断片的回想は一つの究極的意味によって結合されなければならない。ベルジャーエフは、自分自身の過去を回想して、『わが生涯』を書き、人類の過去を回想して、『歴史の意味』を書いた。それは回想が創造活動に結びついているがゆえに、ベルジャーエフにとっては必然であったとも言えよう

 ベルジャーエフは過去の客観的事実の採集に専心する学者というよりは、その学者の得た知識によって、自分の主観を語る詩人のごとき存在である。この主観性が彼にあっては西欧的な宗教的客観性に深い影響を与えている。それゆえに、彼は精神世界の巨人としての姿を、我々の前に現している。

 また、この主観性の中に、彼は歴史の精神的意味を終末論的に解釈していき、まさに永遠の青年としての若さを我々の前に示すのである。そして、彼は、この作業を預言であると考えている。それゆえに、預言とは未来予知ではなくて、我々に理解できる言葉であり、現在の我々に決断を迫る言葉である。彼は常に哲学的人間学から出発するからである。

 その預言の中心はイエス・キリストである。それは史的イエスではなく、ケリュグマのキリストである。それはまた、「預言」という言葉への解釈かも知れない。

 そこには非神話化への批判もあるかもしれない。しかし、非神話化の非難の根本は、あやふやな存在論に対する認識論の優先へのそれであって、真実の存在そのものにぶつかった場合には、人はその伝達として、どうしても理性とのなんらかの結びつきを考えていかなければならないのではないだろうか。

 ベルジャーエフにあっては、この預言活動こそ創造活動である。そして、この創造活動は時間の征服である。それは時間が実存に従属しているからである。「時間は諸実在や本質や実存が変化することによって生み出されるのであって、その逆ではない。それゆえに時間は克服され、超えられるのである」(『孤独と愛と社会』146頁)という。このような言葉はいかにして理解されるのであろうか。

 大衆にあっては、そして客体化された人間にあっては、時間が優先し、時間が彼らを決定する。それゆえに彼らは可見的変化にのみ敏感であり、その原因である内的・不可見的実存の出来事には目を向けない。しかし、歴史の可見性は、この実存の出来事の現象であって、それゆえにこの実存の出来事の中心に認識主体の位置する預言者的精神にとっては、現象としての歴史は有意味的に把握され、また歴史の未来展望が開けてくる。

 ベルジャーエフはこのような預言者的精神であった。「私には、私の祖国ならびに全宇宙の破局的時節に生きるという運命が下された」(『わが生涯』9頁)と言っているように、彼はまさにカイロスに生きた人間なのであり、彼はこのカイロスにあって、時間を永遠にするため、生涯戦ったのである。

 では回想の創造的意味はどこにあるのだろうか。実存主義は深い意味での人間中心主義であり、そこでは現在の私が中心である。そして、過去と未来を現在の私を中心にして結びつけていく。この過去を現在の私とどのように結びつけるか、その結びつけ方によって、その人間の未来は決定されていく。創造活動とはこの結びつけ方を永遠化する作業である。それゆえに創造活動には神との交わり、霊的実在と触れ合うことが前提されていなければならない。この霊的実在の中にあって、自己を時間的・空間的に開き続けていく実存的態度の中にこそ、創造活動は可能である。創造活動はそれゆえに、過去を、自然科学的にではなくて、精神科学的に、不断に、新たに意味づけしていく作業である。歴史に投影された人間の不信仰を信仰によって、新しく意味づけしていくことである。そして、この作業の中に、実存的過去が究極的意味連関の一つの鎖として現在によみがえってくる。これが回想である。

 回想は受動的であると同時に能動的である。回想は、過去が現在に侵入することであるが、同時に過去の選択は、現在の実存によって決定される。「記憶は能動的である」「記憶はふるいわけを遂行する」(『わが生涯』8頁)とは、その意味でなければならない。この能動的記憶から創造活動が始まる。創造活動は人間がそこから追放された楽園の記憶がなければ成立しない、創造活動は一貫してこの楽園を自己のうちに実現して、それから社会、世界に向かって、その記憶を呼び戻せ、と訴え続ける働きである。

 ベルジャーエフは人間の原罪をそんなに重く見ない。原罪のゆえに人間は偉大だという。彼は人間に対する確信に満ちあふれている。原罪による神との断絶を絶望的にとらえない。そこに福音を聞くことによる信仰を、われわれは挿入する。その時、古い記憶が生まれてくる。こうして、記憶こそは、そしてこの記憶による創造活動こそは、人間回復の唯一の道となる。

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