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2007年5月11日 (金)

背教の分析

「背教の状態においては、人間の心に生得的な宗教衝動は、生ける神からそれ、様態的側面の多様性を伴う人間経験の時間的地地平に向けられる。これは、これら諸側面の一つの神聖化、すなわち、相対物にしか過ぎないものを絶対化することに起因する偶像の形成を、引き起こすのである。しかし、相対的なものは、相関するものとの統一においてのみ、その意味を現わすことができる。このことは、われわれの時間的世界の一側面の絶対化が、今度は宗教的意識において対立する絶対性を要求する相関的諸側面を、内的必然性をもって呼び起こすということである。換言すれば、あらゆる偶像は対-偶像を引き起こす」(ドーイウェールト著『西洋思想のたそがれ』)

著者は、一般には余り知られていないと思うが、改革派系の哲学者とのことである。

背教において、人間経験の時間的地平における一つの相対物の絶対化が起き、それが偶像である。偶像は、それ故に多数になる。

偶像は神の代替物であるから、絶対を要求するのだけれど、本来は相対である。偶像を捨て、神に立ち返る時、偶像は必要なくなり、本来の相対に返るのだろう。

人間の経験における遍歴は、こうして起きるのであろうか。しかし、遍歴は、何ものかを目指している限り、やがて終わるのである。終わった人は再び、遍歴する必要はない。

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