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2007年5月19日 (土)

率直かつ具体

 ベルジャーエフが私にとって非常に重要な思想家として現れてきたのは、彼の徹底的な率直性と具体性のためである。

 彼の率直性は彼の自叙伝を読めば、一目瞭然である。彼は共産主義を共産主義社会の中にいながら、堂々と原理的に、すなわち哲学的に、人格主義の観点から批判し、自己の所信を述べることを恐れなかった(『わが生涯』329-330頁)。

 一方、彼の具体性とは、換言すれば、実践理性への優位であり、そこでは社会的相対性を帯びるすべてのものが原理的に客体化され、事柄の中心問題が繰り返し語られている。おおよそ、私の実践理性に関係ないすべては私にとって無価値であり、無意味である、とベルジャーエフの態度は一貫して、この実践理性優位な立場である。

 この態度は、近世主観主義として非難されるかもしれないが、単なる皮相的主観主義ではない。逆説的に見えるかもしれないが、人間の真の問題を扱うのに、客観主義の代表とでもいうべき科学的方法を用いて、人間を科学の対象と見る態度では、限界があるということである。

 ベルジャーエフの「主観主義」は、絶対者と結びつく主観主義であるゆえに、そこにおいて、個人の自由と独立など、基本的人権に暴力を加えない方法において、客観的価値を潜在的に主張しているのである。この態度の非常に急進的な姿がベルジャーエフである。

 そして、この中にロシア的無政府主義的魂が神と結びついたときの積極的価値を見ることができる。彼は共産主義批判のために、亡命しなければならなくなったが、この亡命も彼からロシア的心性を奪うことなく、西欧文化圏との接触によって、ますます彼にロシアの根本的性格とその天職を認識させるに役立ったというべきであろう。

 内村鑑三は常に、私は二つのJ、すなわちイエスと日本に仕えるといっていた。彼のキリスト教が絶えず、日本の支配的時代思潮の中で、日本の真の天職を表すという形で主張されているように、ベルジャーエフも自分がロシア人であることを絶えず意識し、ロシアという特殊性を介してキリスト教という普遍性を主張しているのである。

 彼は終始、存在の中心問題に突進する。ある特定の時代、特定の地域で具体性をもつものを、彼はどんどん超えていき、存在するすべてが、そこから存在を受け取っている場所へと上昇して行き、その絶対的自由からすべてを見下ろすのである。それゆえ、彼の著書を読むとき、我々は、彼が我々の至聖所の近くにいることを感ずる。人間が神の像であり、人格である限り、彼はその現実の誠実な解釈者である。

 ベルジャーエフは相対者を相対として解釈する。それゆえに人間の魂に直接訴えず、ただ理論理性のみ満足させる学者とは違う。相対者を絶対者において解釈するがゆえに、そこに絶えず全体との関係が現れ、人間の真の救済、解放への配慮が、全著書にみなぎっている。具体性とは人間の救済に関係しているということである。ベルジャーエフの著書のどこを見ても、人間の救済に関係していないところがない。彼は我々にとって、全く具体的である。

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コメント

「哲学者の品位は、意見を率直にのべることにある」(『ベルジャエフ』田口貞夫著)

投稿: | 2007年5月22日 (火) 09時26分

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