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2007年5月11日 (金)

再臨の時

 人間には「いまだ」という客観的終末(再臨の時)については、そのカイロスを知ることが許されておらず、ただ「すでに」(初臨の時)というカイロスのみ知らされている。その初臨のカイロスは、聖霊降臨によって、常に現在の、主観的終末のカイロスの経験となっている。であるから、人間には、この主観的終末に徹底的に忠実であることだけが可能であり、その信仰告白がベルジャーエフにあっては創造活動なのである。だから、創造活動は聖化のうちにおける活動なのであろう。そして、そのような創造活動は客観的終末と無関係ではないと言っている。

 「歴史の終末は人間の創造的行為によっても左右される」「実際、キリストが再臨するためには、まずわれわれ人間がはげしい創造活動をいとなみ、この世と人類の終末に対して完全な準備をしておかなければならないであろう。この意味からいえば、終末はかえって人間の真の創造活動がおこなわれたとき来るとも、あるいは宇宙的過程がその積極的な結果をもたらしたとき訪れるともいうことができるであろう」(『人間の運命』574-5頁)。

 このような言葉を読む時、再臨の前提として福音宣教があるのだ、だから、福音宣教に努めることは再臨を速めることにつながるのだ、といった再臨論ともどこかでつながっているように思えるのである。

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